第十四話 流れ着いて
マームとサモニスの国境から南東方向、大陸有数の河川であるルツウ川が流れ込む河口付近に、帝国第二の都市として栄える港町イルグスクがある。
かねてから交易の要として順調に発展を遂げており、商売に訪れる者や、出稼ぎに来る者、観光客などで常に活気溢れる場所であった。
その中心街の一角、大勢の作業員が集まる工事現場の前に、カムロと相棒の姿があった。
目の前には、大量の瓦礫。
なんでも解体作業中に事故で瓦礫がばら撒かれてしまったというが、これを人の手で運ぶとなると、かなりの時間が掛かるだろう。
このままだと作業に大幅な遅れが出てしまうので、どうにかして素早く運んで欲しいというのが依頼だった。
慣れた手付きで札を構え、瓦礫に向ける。
意識を集中させ、魔物を呼び出した。
「召喚! 森の賢者!」
大きな猿形の魔物達に命じて、瓦礫を運ばせていく、作業そのものは単純なもので、一時間もせずに全ての瓦礫を退かし終わっていた。
「いやー助かったよ、召喚士はこっちじゃ貴重だからね」
人の良さそうな現場監督は、心底感心した様子で何度もこちらへ礼をしていた。
最初は戸惑ったけど、こうやって直に人の役に立つのって、結構良いかも。
この頃は物騒な事ばっかりやってたから、余計にそう感じるのかな。
感謝の言葉と報酬を受け取り、暖かい気持ちで歩き出す。
向かう先は、街外れの丘の上。
※
イルグスク郊外、丁度町を見下ろすような小高い丘に、一件の小さな家が建っていた。
赤いレンガ屋根が特徴的な家の玄関には、木製の大きな立て看板があり、『便利屋イスルド』と書かれている。
「ただいま」
「ただいまー!」
「お帰りー! もうご飯出来てるよー」
ドアを開けると、既に夕食の準備は終わっていたらしく、食欲をそそる匂いと、ホカホカの湯気が立ち昇る料理が並べられていた。
こちらに元気良く挨拶を返すのは、この家の持ち主にして、便利屋イスルドの店主である、レラ・イスルド。
年の頃は少し上だろうか、薄い青色の髪を後ろで束ねた、所謂ポニーテルの髪形をしており、ぱっちりとした目元と相まって、活発な印象を受ける。
何より目を引くのは、動きやすさを重視した飾り気の無い服の上からでもそれと分かる豊かな双丘だろう。
レラが忙しなく動き回る度に縦横無尽に揺れ動き、意識していなくても自然に視線が向かってしまう。
今も釘付けになっていたようで、口を尖らせた相棒に頬を抓られてしまった。
相棒と一緒に椅子に腰掛け、目の前のレラに軽く礼を言ってから食べ始める。
うん、いつもながら美味しいや。
「そういえば、もう一週間になるんだね」
「そんなにか」
壁に架けられたカレンダーを見て、レラが感慨深そうに呟いた。
「あの時は驚いたよー! 川を見てたら人が流れてくるんだもの」
「はは……」
崖での戦いで転落した俺は、地面ではなく運良く川に落下出来たらしい、だがそのまま体は流され、なんと河口付近まで辿り着いていたのだ。
あそこからの距離を考えると、丸一日か二日は流された事になる。
自分でも生きてたのが不思議なくらいだ。
「ご主人が暫く目を覚まさないもんだから、ほんとに心配したんだよ」
とは相棒の言葉。
そんな訳で水死体一歩手前だった俺は、運良く釣りをしていたレラに拾われて、どうにか命を繋ぎとめたのだった。
レラは見知らぬ怪我人にもとても優しくしてくれて、治療を施してくれただけでなく、食事と寝床まで分け与えてくれた。
「単にほっとけなかっただけだよ」
って本人は言ってたけど、普通出来る事じゃない。
その恩を返すために、今はこうやってレラの家業を手伝っている。
サモニスに帰らなきゃならないのは分かってるけど、北の街道はマーム独立からのゴタゴタで通行止めだし、どっちにしろ動けないんだよな。
相棒は背中に乗ってけばって言うけど、流石に距離がありすぎてこっちの体が持たないだろうし。
「でもでも、拾ったのがキミで良かったよ」
そう言って、お日様のような笑みを浮かべるレラ。
可愛らしい表情に、心臓の鼓動が早まった気がする。
「召喚士ってだけで凄いのに、あんなに大きな子達を呼び出しちゃうんだもんなぁ」
「別に、大した事じゃないよ」
照れくさくなって思わず否定するが、内心かなり嬉しい。
素朴な表現が、かえって心からの感嘆を現している気がした。
「ご主人は凄いからね!」
その横で、何故か相棒が得意気になっていた。
食事の後片付けを済ませてから、風呂に入るレラと相棒を見送り、一人居間で物思いに耽る。
居間の左右に並んでいる棚には、レラの父親が残したと思しき幾つものノートや、何に使うのかさっぱり分からない実験器具のようなものが並んでいた。
レラの父親は考古学者だったそうで、イルグスク近郊にある廃鉱奥の遺跡に存在するかもしれない、未知の古代文明について研究していたそうだ。
しかしその研究は世間から荒唐無稽だとして認められず、失意のまま若くして亡くなったらしい。
生まれてすぐに母を病気で亡くしていたレラは、それからずっと一人で暮らしてきたという。
そんな過去を持ちながらも、レラは悲壮な表情を少しも見せずに明るく振舞っている。
あっちの世界の両親との別れと、こっちの世界での両親の死をまだ上手く消化できていない自分とは大違いだ。
そういえばエリスも似たような境遇だったけど、一言も弱音を漏らしたりはしなかったっけ。
エリスやレラの強さを見習わないとな……
「むう……不公平」
「わ、わわ! くすぐったいってば!」
風呂場から聞こえる能天気な会話を耳にしつつ、新たな決意を心に刻んでいた。
※
カムロがイルグスクで便利屋を手伝っていた頃、帝国軍最新軍事技術研究所では――
ベルナルドが机に向かい作業をしていると、背後から心臓を鷲掴みにするような冷えきった声が掛けられた。
「計画は進んでいるのか?」
前触れも無く部屋を訪れた皇帝を振り向きもせず、ベルナルドは飄々とした口調で告げる。
「護将が全滅したそうで」
「……使えない駒が幾つか消えただけに過ぎん」
不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、憮然とした口調で告げる皇帝。
「左様ですか」
皇帝から放たれる殺気を前にしても、ベルナルドはいつもの慇懃無礼な態度のままだった。
「それよりも、例の物は完成したのだろうな」
「お喜び下さい、陛下から享け賜った聖遺物のお陰で、予定よりも強力な物が完成いたしました」
聖遺物とは、エリスから奪われたマーム王家に伝わる指輪の事である。
あの戦いの後、混乱の中で消失したと思われていたそれは、帝国の手の者によって密かに本国へと運ばれていたのだ。
かつてマーム王国を繁栄に導いた指輪は、今禁断の兵器を作り出す為に使われようとしている。
「口だけなら何とでも言える、成果を出せ」
「はっ」
ベルナルドは横柄に礼をして、肩を怒らせて去っていく皇帝を見送った。
その背後、暗幕に包まれた研究所の奥では、何かの巨大な影が、来るべき日を待ち望むかの如く不気味に胎動していたのだった。