第十話 立ちはだかる者は
抵抗組織本拠地の地下迷宮は、入り組んだ通路が幾つも絡み合い、侵入者を防ぐ為の盾として機能していた。
その中には、学校や商店など、ここで暮らす住民の為の施設も存在している。
地下三階、慣れた者でも気を抜けば迷い込んでしまいそうな奥に存在しているのは、そんな施設の内の一つである抵抗組織メンバー用の病院。
カムロが居た世界のそれとは比べるまでも無いが、一応の治療機能を備えており、傷を負うことも多いメンバーにとっては特に重要な施設と言えるだろう。
※
鼻につくツンとした消毒液の匂いで目を覚ます、ごつごつした硬い枕のせいで寝違えたのか、首筋が少し痛んでいた。
ここは病院だろうか、壁に掛けられた古びた時計で、今が昼時であることは察せれるが……
目を開けるとまず視界に入ったのは、こちらを心配そうに見つめる少女の姿。
年格好は相棒と同じくらいだろうか、黒い髪を短く切り揃えた所謂『ぱっつん』の髪形をしていて、それが可愛らしい顔によく似合っている。
服は抵抗組織の大多数と同じく余り上等ではない物だったが、小さく縫い付けられた刺繍が、控えめに女の子らしさを主張していた。
恐らく見舞いに来てくれたのだろうが、少女の姿に見覚えが無い。
と、こちらが訝しげな表情をしている事に気付いたのか、少女はおもむろにフードを目深に被った。
その姿を見て、かつてミドン市街で助け、道案内をしてもらった際の面影と、目の前の少女が一致する。
あの時はずっとフードを被っていて、あまり顔が良く見えなかったんだよな。
「お、思い出して、くれた?」
たどたどしい口調の問い掛けに、努めて優しく頷き返す。
「い、イェン……な、名前」
「イェンっていうのか、宜しく」
続けて告げられた言葉を、少女の名前と推測して、ゆっくりと手を差し伸べた。
予想が当たったのか、イェンは恐る恐る俺の手を握り返してくれる。
「あ、あの」
握手をしたまま、イェンはこちらの目を見て真剣な口調で話し始めた。
どうやらここからが本題のようだ。
「お、怒らないであげて」
怒る……?
何か腹を立てるような事があったっけ。
と、考えを巡らせるが、さっぱり心当たりが無い。
「タイちゃんが、か、勝手に居なくなった、から」
……タイちゃんって誰?
頭上に?マークが浮かんで思考が停止した、その時。
「ご主人!」
病室の扉が勢い良く開き、相棒が慌てた様子で駆け込んで来たのだ。
良く見ると、その手には濡らした布の様な物を持っている。
看病の為に用意してくれたのだろうか。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
走り込んで来た相棒は、そのまま横たわる体に縋り付いて大泣きし始める。
呆気に取られるこちらの返答を待たずに、相棒は泣きながら事情を説明し始めた。
昨日相棒は家出しており、山札の中にはずっと居なかったらしい。
だからあの戦いで相棒をドローする事が出来なかったのか。
一向に泣き止まない相棒の頭を優しく撫で、別に気にしていないと告げると、相棒の顔に少しだけ生気が戻った。
それでも自分の責任だと落ち込む相棒に、努めて柔らかく、怪我をしたのは自分の責任だと伝える。
実際あの場面で事故を起こしたのは、こちらの実力不足が大きいだろうし。
無意識の内に慢心していたのか、最近素振りも怠っていたからな。
そこまで考えてから、相棒の家出の理由が気になった。
全く気付かなかったけど、何かこちらに落ち度があったのだろうか。
それとなく聞き出そうとしたが、頑として相棒は理由を教えてはくれなかった。
ただ一言。
「これからはずぅっとご主人のそばを離れないからね!」
とだけ。
まあ、教えたくないのなら別に良いけど。
「な、仲直り、したの?」
そんな俺達の様子を見て、イェンが控えめに話に入って来た。
そういえば、さっきのタイちゃんってもしかして……
「うん! イェンもご主人の看病ありがとう!」
「こ、この前のお礼、だから」
どうやら、いつの間にか相棒とイェンは友達になっていたらしい。
無邪気に二人でじゃれ合っている姿は、普通の子供同士のようで微笑ましい。
と、また扉が軽くノックされ、おずおずと中に入って来たのは。
「カムロさん、大丈夫ですか?」
申し訳無さそうな顔をしたエリスだった。
椅子を引いいてベッドの隣に腰を下ろしたエリスから今の状況を聞くと、遺跡の戦いからまだ一日しか経っていないらしい。
俺の症状は軽い脳震盪と切り傷だけで、入院の必要も無かったそうだが、大事を取ってここに寝かされていたそうだ。
「無事で良かったです……」
安堵するエリスに、これからの抵抗組織の行動について尋ねる。
エリスが王族だと示す宝も手に入れたのだし、ここから一気にミドンを取り返しに打って出るのだろう。
そう予想したのだが、エリスから返されたのは予想外の答だった。
「帝国護将軍の一人が、旧マーム鎮圧に派遣されたらしいのです」
その名前なら聞き覚えがある、帝国が誇る五人の精鋭で、それぞれが一流の武人でありながら、更に個人特有の技能も習得しており、帝国の快進撃を支えてきた立役者……だったっけ。
一向に進まない抵抗組織との戦いに決着をつける為に、遂に虎の子を出したのだろうか。
その知らせに抵抗組織はすっかり萎縮してしまったらしく、エリスがマーム城に乗り込んで制圧する作戦も立ち消えになってしまったそうだ。
「でも、これはチャンスじゃないか?」
「え……?」
帝国が誇る武人を倒し、行方不明となっていたマーム王女が正当な王位継承者として名乗りを上げる。
マームを取り戻すシチュエーションとしては、出来すぎなくらいだ。
成功すればミドンだけでなく、一気に旧マーム領土全てを奪還できるかもしれない。
「そんな、相手は歴戦の英雄なのですよ!」
確かに危険も多い、負ければ一気に抵抗組織は瓦解し、二度とマーム奪還は叶わないかもしれない。
だけど。
「ただ待っていてもどうにもならないさ」
このまま座していたとしても、ジリ貧でどうにもならなくなるのは目に見えている。
それなら、一か八かに賭けた方がまだ可能性がある。
「……分かりました」
渋々ながらだが、どうやらエリスも納得してくれたようだ。
自分一人では決められない、これから他の仲間を説得してみますと告げて、エリスは立ち上がった。
「そうだ、これを」
見舞いの品だろうか、最後に美しい白い花を渡してエリスは去っていった。
「あの花……」
花瓶に刺された花を見てイェンが何か気付いた様子だったが、それきり黙りこんでしまう。
花がどうかしたのだろうか?
疑問符を浮かべる俺と相棒の周囲を、ただ白い花の澄んだ香りが包んでいた。
※
帝国から旧マームへと続く街道、かつては立派な石畳が敷き詰められていたそこも、整備する者がいなくなったのか、今は伸びきった草で覆われている。
病室でカムロが目を覚ました頃、その道を豪華な装飾が施された馬車が、周りを重武装の騎士に囲まれてマーム方向へ向かっていた。
カムロのいた世界のリムジン程度だろうか、ゆったりとした車の中は、外と同じく不必要な程の綺羅びやかな細工が施されており、搭乗する者の特別さを示していた。
そこでは様々な格好の男女五人が、思い思いに車中の時を過ごしていた。
ある者は読書を、ある者は酒を飲み、またある者は両手に持った食材を貪り食う。
そんな中、五人の中で最年長だと思われる長い白髭を蓄えた重鎧の男が、おもむろに口を開いた。
腕組みをしながら眉間に皺を寄せた姿は、あらゆる敵を寄せ付けない分厚い壁のようである。
「それにしても、我ら全てが動員されるとは」
「皇帝陛下は何を考えておられるのでしょうね」
読書をしていた扇情的な格好の女性がそれに続く。
無造作に伸ばされた金の髪と、露出の極めて多い格好の中で、背負われた巨大な槍が異様な存在感を放っている。
「別に、俺は戦えれば何でもいいけどな」
酒を飲んでいた軽装の男が、気楽な様子で答えた。
軽薄そうな顔の中で、鋭い目だけがぎらぎらと獲物を狙う肉食獣の如く光っていた。
「ただの残党狩りって訳じゃあ、無さそうだ……」
短髪の巨漢が低いトーンで応じるも。
串に刺さった鶏肉を両手に持ち切れない程抱えた姿のままで、どこか可笑しみを放っている。
「なあコースト……って寝てるし」
巨漢にコーストと呼ばれた小柄な男は、長い杖を両手に抱えたまま眠り込んでいた。
青い外套に身を包んだ姿は魔術師を思わせるが、魔術杖を両手に二本、背中に三本も装備した異様な出で立ちである。
「いずれにせよ、我らは陛下の命に殉ずるのみ……だろ?」
軽装の男がそう告げると、周りの三人もゆっくりと頷き返す。
五人を載せた馬車は、既にミドン目前まで迫っていた。