第百五話 人とものの間で
黒い船体は、月明かりを反射して闇の中で鈍く光っていた。
重厚な操舵室の扉を開ければ、最早聞き慣れたあの声が俺を迎えてくれた。
「た、ただいま」
「今日も遅かったっすねーって、なんか疲れてないっすか?」
姿勢をかがめ、心配そうに顔を覗き込むアメリア。 それまで気付かずにいたが、いつの間にか俺の姿勢は随分傾いていたらしい。
「まあ、色々あってな」
ゆっくりと腰を下ろし、四人で環になって座る。
「どこから話したらいいのかな……」
躊躇いながらも、俺は少しづつ話し出した。
仮面の男に会った事、警備機械に襲われた事、地下道に迷い込んだこと、そして。
「そんな場所があるなんて、信じられないっす!」
アメリアが一番強い反応を見せたのは、地下に広がっていた大自然の風景について。
最初は興奮しながら聞いていたが、その中で見つけた大勢の死骸について話が及ぶと、途端に表情は憂鬱なものに変わった。
「じゃあ、生きてる人は……」
恐る恐る口に出された質問に、黙って首を横に振る。
「でも、何も見つからなかった訳じゃない」
アメリアの前に、地下からずっと抱えていた小さな物体を置く。
それは、あの死骸の群れの中で唯一発見したもの。 もう骨だけになった一人の死人が、腕の中で大事そうに抱えていたものだった。
「これって、本……いや、日記っすか?」
「多分な」
かなりの年月が経っているようで、表紙のかなりの部分が判読不能になっている。 しかし、「……の日記」と書いてある部分だけが辛うじて判読出来た。
「もう読んだんすか!?」
「いや、もう遅くなってたし、どうせなら皆で読もうと思って」
キカコに時間を問えば、既に朝の探索開始から10時間程が過ぎていた。
また階段を登って帰ることを考えれば、一刻も早くここを後にした方が良いと判断したのだ。
「ね、ねぇご主人、それ読むの明日にしない?」
この日記の中には、あの街がどうしてああなってしまったのか、何故地下にあんな場所があったのか。 そして、何故あの人達が死んでしまったのかの理由が書いてあるかもしれない。
多分相棒は、それを知るのがなんとなく恐ろしいのだろう。
「まあ、別に急ぐ理由も無いけど……」
それは俺も同じだったから、相棒の提案を否定はしなかった。
「じゃあ、今から夕飯作るっすよ!」
「もうお腹ぺこぺこだよー」
腕をまくって張り切るアメリアと、その後ろを付いていく相棒。
と、不意に肩を叩かれ。
「殿、少しお話したい事が」
いつの間にか接近していたキカコに耳元で囁かれる。
「何?」
「甲板で話したいので御座る」
真剣な顔でそう告げたキカコは、立ち上がって扉を開け甲板へと歩いていった。
「キカコ、どうしたんだろう?」
何か発見したことでもあったのだろうか? 少し疑問に思いつつも、そのままキカコの後に続いて甲板に出る。
夜の海は、昼とはまた違った顔をしていて、波の音も心なしか寂しいものに思える。 少し寒いくらいの夜風の中で、正面に立つキカコの銀髪が月明かりを反射してきらきらと輝いている。
「単刀直入にお聞き致す、拙者は」
一旦言葉を切り、キカコは躊躇うように顔を俯かせた。 数秒の沈黙の後、意を決した表情になってキカコは口を開く。
「拙者は、何故生きているので御座るか?」
「それって、どういう……?」
疑問に思うこちらを見て、キカコは更に続ける。
「起動してから、拙者は常に違和感を覚えていたので御座る。 本来あるべきものが欠けているような、何かが失われているような」
苦しそうに話すキカコの顔は、真っ白なままなのに何故か青白く見えた。
「……再起動する前の拙者は、殿に対して自爆装置を使ったので御座るか?」
「それは……」
あの時の事はもちろん覚えている。 けど、再起動する前の事は覚えていないと言っていたし、余計な気遣いをさせたくなかったから黙っていたのだ。
「やはりそうで御座ったか」
キカコは、ふっと寂しげな笑みを浮かべる。
「元々拙者の体には、緊急避難用の自爆装置が元々搭載されていたので御座る。 しかし、目覚めた拙者の体には、それが綺麗さっぱり無くなっていた」
最初から取り付けられたものだったからこそ、自身の体に言いようのない違和感を覚えたのだろう。
「控えめに言っても、拙者が自爆すれば動力炉の暴走で半径5kmは更地になっていた筈。 なのに拙者も殿も生きておられるとは、一体」
半径5kmって、随分なものを積んでいたんだな…… もしそんなものをまともに食らっていたら、塵一つ残っていなかっただろう。
「別に、大した事はしてないさ」
軽く笑って、俺はあの時の事を話し出した。
※
荒廃した街で、歩行機械から現れた機械の少女。 寝込んでいるように思えたその少女は、俺達を巻き込んで今まさに自爆しようとしていた。
「逃げ……!?」
逃げる間もなく白い閃光が視界を覆い、凄まじい轟音が鼓膜を震わせる。
「うわぁっ!?」
最後の時を覚悟した相棒が、身を屈めて素っ頓狂な声を上げていた。
「……あれ? 生きてる?」
が、相棒や俺には何も起こっていなかった。 それどころか視界に入る全ても、先程までのそれと全く変わりないように見える。
「どうやら、間に合ったみたいだな」
安堵の声を出す俺の手には、あるものが握られていた。
「それって、前に使ってた」
それは、時の回廊というM&Mの魔法札。
相棒が言っているのは、海賊船に現れた仮面の男戦の最後。 道連れ狙いの特攻に巻き込まれた時に、俺が魔法の効果で受けるダメージを0にして難を逃れていた経験だろう。
「正確に言えば、前のとは少し違う札だけど」
あの時、札の効果で確かに怪我も無くその場をやり過ごせたものの、攻撃の反動で俺は遥か彼方へと吹き飛ばされてしまった。
その教訓を活かし、今度は発生した攻撃そのものを無かったことにする魔法を用いたのだ。 そして今回これを使ったのは、もう一つ理由がある。
「それで、この子も生きてる訳?」
目の前には、先程と変わらず寝たままの少女の姿が。 胸の球体は発光を止めており、自爆を再び始める気配はない。
「発生したダメージそのものが消滅したからな、そもそも爆発自体が起きなかった事になったんだろう」
M&Mのルール上、ある効果を無効にする効果を発動した際には、一種の巻き戻しが起きる。
この札を用いた時にもそれが発生し、最初に使われた札の効果が、全くなかったものとして処理されるのだ。
現実でもそれが起こるかは一種の賭けだったが、以前の経験から大丈夫だと確信していた。
※
「……とまあ、こんな事があったのさ」
俺の話を聞き終えたキカコは、不思議そうな顔をこちらに向ける。
「何故、拙者を助けたので御座る?」
「何でってそりゃ……」
キカコが歩行機械から落ちて来た時にすぐ破壊していれば、そもそも自爆が起きなかっただろう。
それに、目の前で自爆しかけた機械を持って帰るなんて、普通だったら危なっかしくて出来ない。
「可愛い女の子を助けるのは、当たり前だろ?」
別に女の子以外でも助けるつもりではあったが、落ちて来たのが美少女であったからこそ、尚更俺はこの子を何としても助けたいと思ったのだ。
「拙者は、女の子では御座らん。 ……あくまで拙者は機械で御座る、拙者がこうして喋っているのも、内臓された機構が半自動的に動作しているだけ」
悲しむ様子でもなく、感情を見せずに淡々と事実を語るキカコ。 まあ、理屈で言えばそうなんだけど。
何を言っていいのか分からず、暫し沈黙が続く。
そして、不意にあることを思い出した俺は、ゆっくりと口を開いた。
「付喪神って、知ってるか?」
急な問いに、きょとんとした顔で首を横に振るキカコ。 まあ、そりゃ知らないよな。
「昔俺が住んでた所に伝わってる、伝説……みたいなものなんだけどさ。 長く使われた道具には、人間みたいに魂が宿るって考えられてたんだ」
これは日本古来の考え方で、ものを大事にする心から自然に発生した伝承だとも言われている。
例えば、持ち主に捨てられた傘が、怨念を抱いて唐傘お化けという妖怪になったりとか。
古いものでも雑に扱えばそれが自分に返ってくるから、新しいもの以上に大切に扱わなければいけないという教訓を含んでいるのだろう。
「そんな事、科学的に有り得ないで御座る」
「確かにな、でもさ、そっちの方が面白いって思わないか」
反論するキカコに、笑みを浮かべて答える。
事実がどうとかよりも、面白い方が俺は好きだった。
「拙者にも、何時かは魂が宿ると?」
「ひょっとしたら、もう持っているのかも」
今までのキカコの受け答えは、本当の人間のそれとなんら代わりが無いように思えた。
妙に時代掛かった言葉を使う所や、躓いて転ぶ所なんて、まさにそうだ。
「……殿は、不思議な方で御座るな」
柔らかい表情になったキカコが、ぽつりと呟く。
「そうか?」
前にも似たようなことを言われたけど、俺の何処がそんなに変わっているのだろうか。
自分では、特に変わった所のない人間だと思っているのだけど。
「ご飯出来たっすよー!」
「そろそろ戻るか」
甲板まで響いてきたアメリアの声に、船内へと歩き出す。
「承知で御座る!」
今までで一番元気に答えるキカコ。
その顔には、普通の人間より人間らしい、満面の笑みが広がっていた。