第百二話 滅びはいにしえの
砂浜に付けられた自分の足跡が、波に攫われて消えていく。 月明かりに照らされた長い影だけを引き連れて、夜の海岸を一人歩く。
ひんやりとした夜の空気が、時折服の隙間から体に入ってきて少し冷える、上着が必要だったかな。 出発した頃のあっちは晩夏で、ようやく過ごし易くなって来た頃だったけど、こっちの気候はどうなんだろう。
皆が寝静まった後、俺は何となく眠れずに、船から出て夜風に当たっていた。 今日は色々な事があって、気分が落ち着かなかったのかもしれない。
今朝船に乗り込んだのが、もう数週間も前の事の様に感じる。
大渦を越え、辿り着いた大陸の外。 生物の気配も無く、荒野と廃墟しか存在しないここが、求めた新大陸なのだろうか。
まだ全てを見た訳では無い事が分かっていても、心の中には言いようの無い不安が広がっていた。
と、前方の波打ち際に人影が。 相棒辺りが気付いて追いかけてきたのだろうか。
「お前は……!」
目の前に立つ人物を見て、驚きを伴った声が出る。
長い金の髪と、凛々しい顔立ち、明暗が反転したような青紫色の肌。 露出の多い扇情的な服装を身に纏うその女は、強大な力を持つ召喚獣、|(至神創皇・瑞勾陳)しじんそうおうずいこうじん。
瑞勾陳はあの夜以来こちらの呼びかけにも答えず、全く姿を見せていなかった。
「どうした、まるで物の怪に会ったような顔ではないか?」
優雅に砂浜に立つ瑞勾陳は、こちらの驚きを物ともせず妖艶に笑っている。
「そう警戒するでない、落ち込んでしまうでないか」
くつくつと笑う瑞勾陳は、こちらが瞬時に戦闘態勢に入ろうとした事などお見通しだったらしい。
瑞勾陳の声に、山札へ手を伸ばし掛けた手が止まる。
「……何の用だ」
「そこでは聞こえないだろう、もう少し寄れ」
鷹揚な動作で手招きされ、用心しつつ近づく。
「貴様の存外素直な所、それは美点だな」
その距離がすぐ近くまで接近した瞬間、皮肉な笑みを浮かべた瑞勾陳の手が、避ける間もなく俺の頭を掴んでいた。
「なっ!?」
この場で俺の命を奪い、自由を取り戻すつもりなのか。 既に急所を掴まれている、抵抗するにしてももう手遅れだ。
このまま一思いに掌を握れば、西瓜が潰れるように頭蓋骨が一気に弾け飛んでいるだろう。
しかし、覚悟していた瞬間は訪れない。 不穏に思って目を開くと、そこに広がっていたのは砂浜ではなく、全く未知の風景。
転移魔法で何処かへ飛ばされた? 違う、これは――
頭に直接映像が流れ込んでいたのだ、それはまるで、映画を瞼の裏で再生されたかのように。
大地を埋め尽くす機械の軍勢、燃え盛る炎に包まれる街、争いあう二つの軍勢、それら全てを飲み込む激しい閃光。
映像を見ている間、俺は直接匂いや衝撃までもを感じていた、その場に自分が居たかのような圧倒的な臨場感に浸っていたのだ。
映像が終わっても、暫くは一歩も動けなかった。 頭が朦朧として、何も考えられなかった。
「今のは……?」
数十秒の沈黙の後、ようやくぽつりと戸惑いの言葉が出る。
「我の記憶だ」
「……召喚獣の戦争か」
遥か昔に古代文明を滅ぼしたという、人間と召喚獣の間に起こった戦争。
その戦争に、瑞勾陳も参加していたのか。 だとすれば、今見せられた光景は、かつて本当に起こった事。
「流石に察しが良い、その通りだ」
こちらの答えに、瑞勾陳は満足気な表情を浮かべる。
「何でこんな…… いや、何故俺にこれを見せる」
どうしてあんな事が起きたか今聞いても仕方が無い。 重要なのは、なぜ瑞勾陳がこの光景を見せたのかだ。
「我に聞かずとも、大方予想は付いているのではないか?」
皮肉げに笑う瑞勾陳を見て、何を伝えたいのかが自然と察せた。
恐らく瑞勾陳はこう言いたいのだろう。 この先に待ち受けている出来事は、あの光景以上に衝撃的なものになるだろうと。
そんなものに直面し、果たして俺は耐えられるのだろうかと。
「それでも俺は……知りたい」
例え何が待ち受けていようと、もう俺はここに来てしまったのだ。
今更戻ることなんて出来ないし、するつもりもなかった。
「ならば、我が言う事は無い」
ふっと柔らかな表情になり、瑞勾陳は手を頭から離す。
「もしかして、お前……」
わざわざこんな手を使うなんて、瑞勾陳は何を考えているのだろう。
そもそもあの夜聞いた瑞勾陳の言葉が、俺達を大陸の外に誘い出したようなものなのに。
……俺を気遣っているのか? まさかな。
「どうした?」
「いや、何でも」
嘲るような口調で不思議そうにこちらを見つめる瑞勾陳から、そんな温かみは感じられない。
けど、少しは信じてみてもいいのかもしれない。
「最後に一つ、頼みがある」
その言葉で、一瞬警戒心が復活する。 まさか、あの映像を見せた代わりになにか無理難題を押し付けるつもりじゃ。
「そろそろ我を使ってくれ、どうにも暴れ足りんのだ」
寂しげに笑った後瑞勾陳の姿は消え、砂浜には札のみが残される。 どうやら、警戒は無駄に終わったようだ。
たった一つ残った影は消えそうな程薄くなっていて、水平線の先は、少しずつ白み始めていた。
※
今にも降り出しそうな曇天の中でも、街に傘を差す人の姿はない。
「……何も無いね」
相変わらず廃墟が広がる街の中を、相棒とキカコを連れて歩く。。
またアメリアは船でお留守番だった、置いて行く時に大分不満そうな顔をしていたので、何か土産でも持っていったほうが良いかもしれない。
「お役に立てず申し訳ないで御座る」
やはり何も覚えていなかったようで、街に入ってからキカコはずっと落ち込んでいた。
動きやすい軽装姿で街頭に立っているキカコは、一見普通の少女に見え無くもない姿だった。
流石に裸はまずいと言う事で、アメリアの服を借りたキカコ。 だが、背丈はともかく一部の寸法が合わなかったようで、色々とはち切れそうになっている。
服の下が機械の体だと分かってはいるけど、これはこれで直視するのを躊躇ってしまう。
「せめて、地図でも見つかればな……」
崩れかかった建物の中、机や椅子の残骸ならいくらでも見つかるのに、この街について分かる手掛かりは何も残されていなかった。
文字の書かれたものを見つけても、 『ここは~社です』 とか、明日の予定とか、何処にでもあるようなものばかり。
探索開始から数時間が経過し、そろそろ休憩でも取ろうかと思っていた時。
「今のは?」
何かが軋むような、微かな重低音が不意に聞こえた。
その音は近くで探索していた相棒の丁度真上、剥き出しになった建物の骨組み付近から響いている。
「相棒、上だ!」
咄嗟に相棒が飛び退いた地点目掛け、上空から黒い影が落下した。
廃材が飛び散り、周囲にもうもうと土煙が立ち込める。
「カムロ・アマチ! 何故貴様がここにいる!」
煙が晴れたそこに現れたのは、姿を隠すような長い外套を羽織り、白い仮面を付けた男の姿。
その仮面には、見覚えのある奇妙な刻印が刻まれていた。