第九話 試練の時
帝国が偽王女を用意して、マーム国内の抵抗運動を瓦解させる手段に出たことを受け、抵抗組織でも対策が話し合われた。
作戦の例として、エリスが直接占領されているマーム城に乗り込み、自分こそが本物の王女だと宣言する手段が検討されたが、エリスが本当の王女だという証拠が無い点が問題になった。
帝国だってそれくらいのことは考えているだろう、単にそっくりさんを用意しただけのはずがないのだ。
現状でただこちらの正当性を主張しても、不毛な水掛け論になりかねない。
議論が停滞しかけた時、エリスがゆっくりと口を開いた。
「……一つ心当たりがあります」
エリスの話によれば、マーム王国には代々の王に受け継がれる宝があり、試練を乗り越えてそれを手に入れることが、王位継承の儀式となっているそうなのだ。
通例であれば、試練を受ける人物一人だけでなく、それを護衛する戦力と共に挑むらしい。
試練は個人の武勇ではなく、下に着く者達を指揮する能力が重要視されるのだろう。
だがいつ帝国と本格的な戦いになるか分からないこの状況だと、そんな余裕は無い。
そうして結局、俺とエリスの二人だけで試練の遺跡へ向かうことになったのだ。
俺達が出発した時、時刻は既に日も暮れ始めた夕刻であった。
※
ミドン郊外、ごつごつした岩肌が覗く砂地の一角に、その遺跡への入口は存在していた。
テニスコート程はある巨大な扉が、地面に蓋をするように建造されている。
長い年月の間で劣化したのか色は失われているものの、精巧な彫刻が一面に掘られており、月の光りに照らされたそれは幻想的な美しさを持っていた。
その扉の中央には、古代マーム語で試練の地と書かれているらしいが、俺にはさっぱり解読出来ない。
「マーム国代二十二代王女、エアリアス・キルト・マームの名において、道よ開け!」
扉の前に立ったエリスが宣言し、地面に手を当てると、巨大な扉が重厚な音を立ててゆっくりと開いていく。
俺と同じくらいの歳でリーダーなんてやってるから只者ではないと思ってたけど、王女だったとはな。
そう聞いた後だと、どことなく漂う気品にも納得がいくから不思議だ。
「行きましょう」
軽く目配せしてから、先導するようにエリスが歩き出す。
石造りの階段を後に続いて降り始める。
薄暗い遺跡の中には照明も無く、手に持った頼りないランタンだけが、ぼうっとした明かりを放っていた。
「不謹慎だけど、古代遺跡ってちょっとワクワクするな、相棒」
ポケットに入れた札の束、その中にいる筈の相棒に話掛けたが、返事が無い。
いつもなら軽快な相槌が帰ってくるはずなのだが、もう夜も遅いし寝てしまったのだろうか。
そんな風に考えて特別気にも止めていなかった、この時はまだ。
それから暫く俺達は、黙ったまま遺跡を歩いていた。
周りには動く物の気配もなく、ただかつての栄華を思わせる壁画が点々と描かれているのみだった。
「それにしても、エリスが王女様だったなんて、驚いたよ」
沈黙に耐え切れず、敢えて気安く声を掛けた。
「すみません、今まで黙っていて」
「いや……気にして無いさ」
気を紛らわそうとしたのだが、逆に謝られてしまった。
取り敢えずフォローしたものの、俺達の間には重たい空気が漂ったままだ。
どうしたものか、と戸惑っていると。
「カムロさんが良ければ、少し昔話を聞いてもらえますか?」
願ってもない申し出に、一も二もなく頷いた。
エリスはこちらを少し振り向いて確認してから、ゆっくりと話し始めた。
「私が生まれた丁度その年に、マーム王国は帝国に征服された……そうです」
「私の父……マーム王は無駄な戦いを避け、潔く降伏を選びました」
だが、帝国は王族を氾濫の火種と見なして、征服直後に一人残らず処刑したのだった。
丁度生まれたばかりのエリスは、彼女の母である王妃の手によって生後すぐに病死したと見せかけられ、帝国の目からどうにか逃れることが出来たらしい。
エリスは小さい頃からあの場所で人目を避けて育てられ、物心つく頃には既に抵抗組織の一員として活動していたそうだ。
それから今まで、王国再興のために自分を捨てて抵抗組織のリーダーとして行動してきたエリスの気持ちは、一体どんな物だったのだろうか。
「現状を見れば、父の判断は間違いだったかもしれませんね」
そうこちらに顔を見せずに言ったエリスの言葉には、想像も付かない程の深い感情が込められており。
どう言葉を返して良いのか、俺には全く分からなかった。
そんな話をしている内に、いつの間にか目的地に辿り着いたらしい。
気付けば通路も終わり、視界には開けた大きな部屋が広がっていた。
「ここが最奥か?」
「恐らくは……」
よく見ると、部屋の奥には祭壇の如く一段高くなっている場所があり、その上には小さな箱が置いてあるように見える。
あれが目的の宝……?
俺達が部屋の中に一歩踏み出した、その時。
部屋の中を大きな振動が包み、祭壇の両脇に立っていた獅子と虎の石像が突然動き出したのだ。
それぞれ二体ずつ、計四体の石像はこちらに明らかな敵意を向け、ゆっくりと近づいてくる。
「これが試練って訳か!」
エリスを後方に下がらせ、二体の獣の前に立つ。
大きさは普通の三四倍はあるだろうか、全く命の気配を感じないモノクロの獣達は、まるで本物の動物のように生き生きと躍動していた。
「俺の先攻! 俺のターン!」
この状況ならば、相棒の一撃で決められる。
その確信と共に勢い良く札を引き抜いたが、そこに現れたのは。
「相棒……じゃない!?」
最初に握られる五枚の手札、その中に相棒の姿は無かった。
予想とは全く違う結果に、焦る心を抑えながら次の手を思案するものの、手中に呼び出せる魔物は一枚も無い。
M&Mの高クラス魔物は、特定の条件を満たさなければ呼び出せない者が殆どである、今の手札はクラス7が三体とクラス8が二体、そのどれも条件を満していない。
これでは何も出来ない、所謂手札事故の状況である。
動きの止まった俺目掛け、獅子の爪が勢い良く振り下ろされる。
前転してどうにか避け、状況を打開するために更なる札を引こうととしたものの、山札は石のように固まっていて全くカードを引くことが出来ない。
ルールとマナーを守って楽しく、一ターンにドロー出来る札は一枚のみ……って、こんな状況でもか。
思わず叫びだしそうになった俺の目に、心配そうに見つめるエリスの姿が映る。
ここで諦めてしまえば、今までのエリスの思いも全て無駄になってしまう、それに、エリスの前でカッコ悪い所は見せたくない。
そう気持ちを奮い立たせ、次々と繰り出される爪や牙を何とか回避していく。
落ち着いて頭を働かせてみると、相手は幾つかのパターンに則って動いていることが分かった。
一定の規則通りに、単純な行動を繰り替えしているだけなのだ。
それに気付いた後は簡単だ、自分がアクションゲームの主人公になった気分で、攻撃の来ない場所を見極めて回避すれば良いだけ。
ゲームと違うのは、実際に自分の体を動かさなければいけないのと、一回でもしくじればそれで終わり、という所だろう。
そう頭では分かっていても、元よりインドア派だった体は上手く動いてくれない。
何回目かの攻撃を回避した時、足がもつれて倒れ込んでしまった。
その隙を見逃さず繰り出された虎の爪が、胴体を掠めて地面に突き刺さる。
直撃は免れたが、風圧で大きく体を吹き飛ばされ、壁に思い切り叩きつけられてしまう。
エリスが青ざめた顔で何かこちらに叫んでいるのが見えたが、朦朧とする頭に内容が入ってこない。
蹲った無防備な体目掛け、獅子の鋭牙が繰り出された、その時。
山札が、眩い光を放ち始めたではないか。
この窮地で、ようやくこちらのターンが回ってきたらしい。
光に怯んだのか、周囲の獣達が一瞬動きを止める。
「俺のターン、ドロー!」
ここで逆転の札を引けなければ勝利は無い。
精神を右手に集中させ、裂帛の気合と共に札を引いた。
その手に握られていたのは――
「手札から魔法、最後の賭けを発動!」
宣言と共に、右手に握られた札が全て光に包まれ消えていく。
「この効果で、現在の手札は全て墓地へ送られるが、その代わり俺は山札から二枚ドローする」
そして、二枚の札が手中に現れる。
見慣れぬ光景に戸惑っているのだろうか、獅子達が静止していたのは幸いだった。
「墓地に光属性の札が三枚ある時のみ、この魔物は召喚出来る!」
さっき捨てた札の中に、光属性は丁度三枚。
どうなることかと思ったが、まだ俺の運は尽きていないようだ。
「原初に生まれし雷よ、古の数秘術に導かれ、神の法の執行者となりて降臨せよ!」
祝詞が唱えられると、翳した札から放たれた光の粒が、次第に巨大な人の形を成していく。
「召喚、クラス9! 真理の導雷者!」
眼前に現れたのは、身長40m程の巨大な光の巨人。
眩しく光る装甲に身を包み、全身に雷を纏ったその姿は、あちらの世界のスーパーロボットのようだ。
常に帯電しているのか、ハチドリの嘶きの如き電流音が辺り一面に響き渡っている。
「手札を一枚代償に、真理の導雷者の、効果発動!」
宣言と共に握られていたもう一枚のカードが光の巨人に吸収され、巨人の頭部、丁度目に当たる部分が神々しく輝き出した。
「墓地の光属性魔物一体を山札に戻す度に、相手のコントロールする札一枚を、ゲームから取り除く!」
効果を使えるのは三回、その全てを使用し、巨人の目から放たれた白色の光線が横一文字に薙ぎ払われ、獅子一体と虎二体を跡形も無く消し去る。
残る敵は、獅子が一体のみ。
「電光審判撃!」
巨人の全身を帯電していた電流が、一つの大きな奔流となって右手から放出され、石の獅子は為す術も無く粉々に砕け散った。
戦闘終了を確認し終えた時、ダメージが限界を迎えたのか、不意に体に力が入らなくなった。
スローになる景色と共に、視界がゆっくりと狭まっていき――
「カムロさん!」
背中から倒れこむ体を、両手で優しく抱き留められる。
ぼんやりとした意識の中で、エリスの暖かい声だけが頭に響く。
「どうして、こんなになるまで」
後頭部にぬるりとした嫌な感触が走る。
エリスはその手が赤く汚れるのも構わず、必死に俺の頭を抱えていた。
「……正直俺にも分からない」
それは本心から出た言葉だ。
単なる冒険心か、未知なる戦いへの興味か、それともエリスへの――
纏まりのない考えの中、視界は次第に薄れていく。
暗闇に堕ちる意識で、エリスの呼びかけだけが、うっすらと頭に響いていた。