白(ハク)
親父が有名な画家だったからか、ものごごろ着いた頃には絵を描いていた。このときの絵は、自分で言うのはなんだけど、うまかった。才能を感じた。それは親父にも共通だったようで、親父は画家仲間に俺の絵を自慢して見せていた。そのことは誇らしくもあった。見る者、見る者が俺のことを天才だといった、親父のよりも才能があると。
でも、そのときの充実の時間は長くは続かなかった。
親父が亡くなった。母親は俺が生まれてからすぐに亡くなってしまったので俺は一人になり、親戚に引き取られた。その家に画材なんてなかった。画材を買うお金なんてなかった。しばらくの間俺は絵を描かなかった。
小学校に上がり、俺はこの家に来て初めて鉛筆と紙を買い与えられた。喜びのあまり俺は学校が終わると毎日、学校と家との間にある公園で絵を描いていた。正直、下手になっていた。思うように絵が描けない。毎日描いていたのに少しも上達しなかった。
よく考えると、あのときは絵が描けてから親父に見せていた。親父はその絵を見ると必ず具体的なところを褒めてくれた。そして、俺はまたほめてほしくて親父が褒めてくれたことを頑張ってまた行った。今、絵がいくら描いてもうまくならなかったのは自分の描いた絵のどこが良かったか振り返らなかったからだと思う。まぁ、その時の俺がそんなことに気付くはずもなかった。
ある日、俺はいつもの通り公園で絵を描いていると、
「へたくそな絵ね」
俺はおそらく初めて、神経が逆なでされるという言葉の意味を知った。
声の聞こえた方を振り向くと一人の女の子が立っていた。パッと見俺より背が高かったから年上なんじゃないかと思う。
「貸してみなさい。私が絵を描いてあげる」
そいつは俺から画材(もちろん鉛筆と紙だが…)をぶんどって絵を描き始めた。こんな奴に、多くの有名な画家から称賛された俺の絵よりうまい絵を描けるわけがない。そう、高を括っていたのだが…、そいつの絵は確かにうまかった。公園で遊ぶ元気な小学生をよく観察していた。静止しているはずの絵が背景と相まって動き出しそうな絵だった。
そいつには明らかな才能があった。絵を描く才能。俺がかつて持っていて、失ったもの。
「ふふん、ざっとこんなもんよ」
そう言ったときに見せた笑顔がとても魅力的だった。今まで一回も忘れたときはない。
「あなた一人?なら一緒に遊びましょ」
その女の子とは毎日のように遊んだ。二人っきりで遊んだ。もともと、この町に子供は少ないのだ。
「そうだなぁ、まず鬼ごっこ。まずはあなたが鬼ね」
たぶん、その女の子が初恋の相手だったと思う。
「よーし、十秒間ここで待っててその間に逃げるから。範囲は………この町全体」
でも、その女の子は一週間しかこの町にいなかったみたいだった。あまりにもいきなりな別れだった。ちゃんというと、初めて会った時から、一週間たった日に行った二度目の鬼ごっこの最中にいなくなった。範囲はこの町全体とか言いながら、どこまで逃げたんだか……。その日、町中探したんだけど見つからず、夜通し探して最終的に俺が迷子になった。
絵をまた描き始めた、あの女の子に認めてもらいたい一心で。褒めてほしかった。自分の頑張ったことを。次第に自分の絵のいいところ、悪いところが分かってきた。もともと才能ならあったのだろう。絵はめきめきと上達した。
そんな折、親父の知り合いと名乗る男が現れて、また、俺の生活が変わった。
その男は俺に絵描く場所を提供してくれた。ただ、俺の中にはまだしこりがあった。あの女の子と行った最後の鬼ごっこはまだ終わっていない。
その男の家で、ちゃんとした画材のもとで俺は絵をかき始めた。俺は初めて、個展を開かされた。絵は思ったよりも高く評価されていた。その絵、自体ではない。評価されたのは俺の才能だ。絵自体を評価しろよ…。親父の知り合いとかいう男はただ単に俺の絵で儲けたいだけの金の亡者だとしか思えなかった。俺の絵を見に来た人はただの俺の絵を冷やかしに来ただけだとしか思えなかった。
俺はまた、親戚の家に戻った。……金の亡者には何も言わずに。
高校は一人暮らしをすることになった。学費は親戚のおばちゃんとおじちゃんに払ってもらえることになったが、生活費は自分で稼ぐことにした。日中は学校だから、夜間にバイトだろうか…。どちらにせよ、日中は眠たくて仕方なさそうだ。それと、なるべく学費は奨学金取れるように勉強も頑張ろう…。
雲が流れるように、日々は流れた。
「見つけた……」
いつの間にか俺は中学三年になっていた。
その夏、やっとあの女の子、(確か、”みれい”という名前だった気がする)を見つけた。まぁ、鬼ごっこなら、見つけたというのかはわからないけど、みれいを見つけて、あの日の鬼ごっこはやっと終わったという気がする。
しかし、みれいは俺にはまったく気付いてないようだった。毎日、毎日公園の大きな木の下という、いつも決まったところに座り、絵を描き続けていた。……絵、うまかったもんな。
どんな絵を描いているんだろうか。
あの時とは違う俺の絵を見てほしい。
二つの気持ちに押されて、ある日俺はみれいの絵を後ろからのぞいてみた。その絵に俺は衝撃を受けた。……へたくそ。少なくとも今描いている風景画からは才能を感じなかった。どうしてだろうか、あの時はうまいと感じたのに…。
次の日も、次の日も俺は後ろから絵をのぞいてみた。やっぱり、
「へたくそな絵」
みれいは後ろを向いた。…しまった。思ったことが口に出てしまったのだろうか。
みれいは俺の全身を見た後、怪訝な表情をした。その表情で、みれいは俺を覚えていないんだなと分かった。俺は一時もみれいのことを忘れたときはなかったのに…。
高校に入ってから、俺はまた美玲と高校の遠足で再会することとなった。しかも、その後俺は美術部に入れられることとなった。正直、同じ部活に入ることを決めたのは寝てもいいと言われたからだった。夜にバイトを入れている身としてはとてもありがたい。まぁ、初恋の人と同じ部活に入る~とかいう下心がなかったわけではない。
六月も終わりに近づいたころ、理事長が俺に話しかけてきた。
内容は簡潔に言えば、曾和美玲の退学。話は急なものだった。でも、なんとなくは予想していた。美術部を適当な理由をつけて退部という話に持っていく、美玲の性格からして理事長に抗議しに行くのは予想できた、後は、「理事長への抗議」という事実を利用して美玲を退学なりなんなりにしてしてしまうだけでいい、人数が不足した美術部は廃部になる。
一番厄介なのは、この話を俺に聞かせて判断させることだ。理事長が俺の才能を惜しんでいるのは知っていた。何を隠そう、俺に個展を開かせた金の亡者はこの理事長だった。また、俺に絵を描かせてそれを売りとばそうとでも考えているんだろう。美術部の俺以外の部員の誰かが俺のために退部になる前に、俺がその人のことを庇って自らが退部しないかを判断させようとしているのだ。
ふざけるな。
人を巻き込んでまで、自分の意思に従わせたいか。そこまでされると俺は逆に従いたくなくなってくるが…、今だけはそうはいかなかった。自分の思い人である美玲を退部させようとしているのだから見過ごすことはできなかった。
七月に入って、俺は退部を決めた。そして、学校をやめた。そして、日本を出ることにした。
日本を出る日の前日、俺はまた、あの公園に来ていた。
「へたくそな絵」
存分に神経を逆なでしてやろう。これが最後になるのだから。
美玲はまた、風景画を描いていた。……たぶん俺が思うに、美玲が本当に得意なのは、風景画ではなくむしろ人だと思う。初めて会ったときに感じたが美玲の描く人はとてもその世界で生き生きとしていて、動き出しそうだった。それだけではなく、その人の表情、環境に至るまでよく観察されている絵である。まぁ、言ってあげないけど、美玲ならいつか自分で気付けるだろう。
「まだ、こんなところで絵を描いていたんだな」
「まぁ、お気に入りの場所だし、……それよりその会うたびにへたくそって言うのやめてほしいんですけどー。確か初対面でも私に言ってたよね」
初対面でへたくそと言ったのはあなたです。
「やめれば?風景画描くの。才能ない」
この言葉だけでさっきのことに気付けるほど鋭いやつではないことは分かっているから言っている。
「……いやだし、続ける。やっぱり、絵をかいてるときが一番楽しいし」
美玲はあの時はよく笑っている印象を受けた。でも今は笑うのを見たときの方が少ないかもしれない。少なくともその笑顔が俺に向けられることはない。まぁ、俺が半分以上悪いと思うが改めるつもりもない。
「なぁ、美術部、これからどうなるかなぁ」
たぶん、俺がいなくなった後、新入部員が誰も入らず、部員不足で廃部だろうと思うが、聞いてみた。
「…さぁ、部長が美術部やめるまで今のままのびづつぶが続くんじゃない?」
「今明らかにかんだのに押し切ったな…」
「……‼、流してよそれくらい」
そう言って、そっぽを向かれてしまった。
今のままの美術部か……。たぶん、その望みは叶わないんだろうな。俺はもう明日には日本を出るんだから。
「んじゃな。ガンバレよ」
返事は帰ってこなかった。
……最後に、何か残しておきたかったんだけどな。
◇ ◇ ◇
ハクはいなくなった。黄色と茶色と白の奇妙な絵を残して……。
「美玲君、ちょっといいかな」
後ろを振り返ると部長がいた。
「あの絵をどう思った?」
「え?」
部長は私を喫茶店へ連れてきて話し始めた。…ところで、私お金持っていないんだけど、おごってくれるなかな?ちょっと心配。
「実はね、昨日美術室にいきなり白君が来たんだよね。それで、いきなりあの絵を描き始めたんだ」
「……部長って日曜まで美術部に来て絵を描いていたんですか…。ってハクが美術室で絵を描いてたんですか?」
「…そこに驚くのはどうかと思うけど…。…それでね、あの絵をどう思ったか聞きたいんだけど」
「……あの絵って、ハクが残していった絵のことですか?」
部長は首肯して答えた。
「そうですね……、最初、黄色と茶色と白の模様かなと思ったんですけど、でもあの絵を見ていると不思議と涙が出てくるんですよね。どうしてかはわからないんですけどね」
「実はね、白君が言うにはあの絵はまだ完成してないらしいんだよね」
コーヒーが運ばれてきた。私はブラック飲めないし、砂糖とミルクを入れているんだけど部長は何もいれずに飲んでいるみたいだ。
「昨日、いきなり白君が部室に来て絵を描き始めたはいいんだけど、そのまま五時間はずっと絵と向き合っていてね。でも次第に筆を入れなくなってきて、何度も首をひねっていた。そして、なんの未練もない、みたいにやぶちゃったんだよね」
「………………………」
私の頭の中にはクエスチョンマークしか思い浮かばなかった。
「五時間かけて描いていた絵を、ですか?」
「あぁ、その時点でもう五時半で日曜だから学校が閉まっちゃう時間だったけど、白君は描き続けてね。結局僕が許可をとって夜七時まで白君は描き続けたんだ」
「それに、部長は最後まで付き合ってたんですか?」
「うん、最後に話したいこともあるって言われたしね」
「何の話だったんですか?」
私のカップにはコーヒーがまだ半分は残っていた。砂糖を入れているはずなのに苦かった。
「それを今から話すつもりだ」
ケーキが運ばれてきた。私の分もあるけど、本当に私今お金ないんだけど……。おごりだよね…。
「七時になって白君はまだ首をひねっていた。でも、いきなり後ろを振り返って僕に『この絵の続きを描いてほしい』って言ったんだ」
「絵の続きを、ですか?」
「ああ。理由は特に言わなかったんだけど、今日になってその意味が分かったよ。白君はあの時からもう出ていくことが分かってたから、その日で描ききれなかったら続きは描けなかったんだろうね」
「あの、どうしてハクはいなくなったんでしょうか?」
私はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「……美玲君にはなるべく話したくなかったんだけど…」
そう前置きされると、聞かない方がいいじゃんないかという気にはさせられるが、もし私のせいでハクがいなくなったのなら、聞かなくてはならない気もした。
「前に理事長に美術部を潰そうとしたときがあったね。あれは実は白君を美術部から追い出そうとしたんだ」
「ハクを、ですか?」
「白君は天才だ。それはずっと前から知られていた。理事長にとって彼の才能をこんな小さい美術部で埋もれさせることは考えられないんだろうね」
ハクの才能は知っていたけど、そこまですごい人だったなんて……。
「あの時、美玲君と萌音君が理事長に直訴しに行ったのは失敗だったね。理事長にとっては美術部を潰す口実を何とかして作りたかったんだから、理事長への反発ってのは避けなくちゃならなかった」
「でも、あの時直訴しに行かなくても美術部は潰されたんじゃないですか?」
「少しだけ違う。あの状態になれば、美玲君じゃなくてもほかの部活の人が生徒会なり、理事長なりに抗議に行ったはずさ。そして、何事もなかったかのようにもとに戻っていたはずだった。理事長が潰したかったのは美術部だけだったんだから」
「なのに、私は何も考えずに理事長に反抗して……」
「理事長は君を退学させたり、退部させたりする口実を得た。その口実さえあれば、美術部を潰せた」
「でも、どうしてそれでハクが出ていかなくちゃならなくなったんですか!」
納得がいかなかった。私はいいように利用された。どうしても納得できなかった
「分かっているんだろう。……理事長は君や萌音君を退学にさせると白君に迫ったんだ。白君は自分が理事長に従うことで君や萌音君を守ってんだよ。従わなくても美術部は潰れるからね」
納得がいかなかった。納得がいかなかった。
……どうして、ハクが…。私は涙が出て来た。
「泣いてはいけないよ。僕の話したいことはこれですべてだ。お金は払っておくから、落ち着いたら帰りなさい」
「先輩は葛飾北斎と歌川広重」
部長は席を立ってお金を払いに行こうとしたが、私の言葉に立ち止った。
「私はミレーで萌音ちゃんがモネなら、ハクは何ですか」
部長はその場で少しだけ考えて言った。
「…………曽我蕭白、かな。世に出ることのなかった天才だよ」
そう答えて部長は店から出て行ってしまった。聞いたことのない名前だった。でもなんとなくハクっぽく感じた。
私のカップにあったコーヒーはすでに冷たくなっていた。
「美玲ちゃん」
「ん?」
次の日の放課後、私は美術部にも行かず、何をするでもなく教室に残っていた。後ろから声がかかった。その声は萌音ちゃんのものだった。
「少し話があるんだけど……」
「ハクについて?」
「うん」
なんとなく、そんな気がした。
「えええええええええ!!!!!!!!!!!!!!告白した!!??」
「み、美玲ちゃん声のボリューム落として」
放課後の帰り道、周りには誰もいないが、確かに声が大きすぎたかもしれない。でも、それくらい私には衝撃的だった。
「ハクに告白したんだ……」
「……うん。…振られちゃったけどね」
萌音ちゃんは少し悲しそうに笑った。
「相談してくれたら、協力したのに……。あと、何も言ってくれなかったのは少しだけ悲しいかな…」
「あははは……。美玲ちゃん猛反対するかなと思ったから、ちょっと言わないでみた」
「うーーーーーーーーーーーーん………………………。…大丈夫、反対しない」
「あまり大丈夫なように見えないんだけど…。……それでね、一応粘って聞いてみたんだ。どうして私じゃあダメなのか。……かっこ悪いけどね」
い、意外とアグレッシブ…。
「そうしたら白君がいなくなるってこと聞いちゃって、それで黙っててほしいとも言われたから何も言えなかったけど……。白君はどうしていなくなったのか美玲ちゃんは知ってる?」
「うん……、昨日部長から教えてもらっちゃった」
「私にも教えてくれるかな……」
私は昨日部長から聞いたことを話すことにした。
「………そっか……。それでいなくなっちゃったんだね」
「うん、だから全部私のせい」
「そ、そんなことないよ」
萌音ちゃんは手をぶんぶん振って否定した。
「私だってその時理事長に抗議しに行ったんだから…、私だって同罪だよ」
萌音ちゃんは笑ってそう言った。その笑顔は、女の私ですら『惚れてまうやろ~‼』と叫びたくなるほど可憐だった。この際、ネタの古さは関係ない。
「あ、でもね、私は白君がいなくなったのは、私と美玲ちゃんの二人のためとかじゃなくて、たぶん美玲ちゃんのためだと思うんだ」
…それは、…つまり…、あれだ。
「萌音ちゃんは理事長の娘だから不問にされると思って?」
「違うって、あの人は、…お父さんは娘であろうと、自分の目的のために何の躊躇もなく利用できる人だよ。あの人だけは信用してはいけない」
「あの人って……。そこまでひどい人なの?」
少なくとも、私のお父さんは尊敬にたる人だ。本当に小さい頃には転勤で何度か転校しなくてはならなくなったけど、それでも私は楽しい日々を送れていた。普通の父親だと思う。
「まぁ、その話は今はどうでもよくて、白君の話。私は、たぶん、白君が好きだったのは美玲ちゃんなんじゃないかと思っているんだ」
「え!?私?」
お、おそらく違うんじゃないかしら……。は、ハクにまつわる記憶は…。『へたくそな絵』『へたくそな絵だな』『うわっ、下っ手くそ……』、だめだ、どうしてこんな記憶しか残ってないし……。ていうか、私の絵そんなにへたくそかな…。これでも、意外と褒められるんだけど…。メアちゃんとか、メアちゃんとかに。
「美玲ちゃん、ちゃんと聞いてる?」
気付いたらもう駅についていた。私はここからもう少し歩いたところにあり、萌音ちゃんは電車通学なのでそろそろ別れなくてはならない。
質問は…まぁ、一つだけ確実なのは……。
「うん、私が萌音ちゃんの声を聴き落とすことなんてありえない」
「え?」
「な、何でもない」
危ない、聞かれたら気まずい心の声が出た気がする。
「……美玲ちゃん、ちゃんと話する気あるの?」
「うぐ……」
萌音ちゃんに強い目をされるとものすごく痛かったりする。
「ちゃんと考えたげて、白君のこと」
そう言って萌音ちゃんは改札口をくぐった。私はその場に一人残されてしまった。
ハクはもういない。
私の中の記憶を探れば、日曜日にあの公園に会ったのが最後だっただろうか。あの時……、あ、私がそっぽ向いちゃってハクが怒って帰っちゃったんだっけ?……あれ?もしかしてそれに怒って海外に行っちゃった?…んなわけない。
部長はハクがいなくなったのは私たちのためだと部長は言った。
でも、萌音ちゃんは私一人のためだと言った。
もしかしたら、あの日あの公園に来たのはお別れを言うためだったとか……。うわー、私、結構最悪な対応した気がする…。でも、あれはどう考えても先に失礼なこと言ってきた白が悪い気もするけど…。
思い返せば、けんかばかりしていた気がするな…。ん?けんかって二人でするものなのにいつも私一人しか参加してなかった気がするぞ?
なんかなー、考えれば考えるほどハクが私のこと好きなんて考えられなくなるんだけど…。萌音ちゃん…、私は萌音ちゃんの方が好きだよ。
……もう一度ハクの絵を見に行こう。
萌音ちゃんと別れた後、私はそのまま家に向かっていたが、振り返ってまた学校を目指した。
『ちゃんと聞いてる?』『ちゃんと話する気あるの?』
さっき萌音ちゃんに言われた言葉だ。
辛辣。
私は、人の話を聞かない子なのかな。まぁ、人と話しているのに別のことを考えてるなんて、私にとってはよくあることだけど…。その時考えてることはたいていポジティブで薄っぺらい内容。
もともと深くは考えない方だ。深く考えて間違ったら恥ずかしいし、深く考えてあたることはないし。それより何も考えず気楽に生きていきたいと思う。
でも、後先考えずに動いた結果が今回のことを招いたのなら私は考えなくてはいけない。
どうして、ハクはいなくなったのか。どうしてハクはあの絵を残したのか。
学校の美術部のカギはたいてい部長が持っている。今、美術部は開いているかな?と思っていたけど、美術部は開いていた。
「やぁ。美玲君もう帰ったのかと思っていたよ」
「部長、お疲れ様です」
問題のあの絵の前には部長が座っていた。
「あれから、少しは落ち着いたかい?」
あれからというのは昨日の喫茶店のことだろう。私はハクがいなくなったのは私と萌音ちゃんのためかもしれないという話を聞いて泣いてしまったから、心配してくれていたんだろう。
「はい、大丈夫です。部長は何しているんですか?」
「…昨日、言ったとは思うけど…、白君にこの絵の続きを描いてくれと言われたから描こうとしているんだけど…」
「けど……?」
「……ふふ。何も描けないんだよね。何も思い浮かばない。この絵は何なのかまったくわからない」
「ハクは、部長にお別れを告げてたんですか?」
「え?」
私はなんとなく考えてみたことを言ってみた。もう考えるのを放置してはいけない。
「ハクは私にも萌音ちゃんにもさよならは伝えてないみたいでした。部長にもお別れを告げてないのなら、その絵がさよならを表している……、みたいな」
ハクは何らかのメッセージをこの絵に託したんじゃないか。私なりには精一杯考えた。
「あり得るかもね。でも、そうだとしたら何を伝えようとしているんだろう。……もし、この絵が花ならその花言葉が……とか考えたんだけどさ。やっぱりわからない」
「え、絵具取り除けば、その下に言葉が描いているとか」
「……あ、でも、何度も言うことだけど、僕は続きを描くことを白君から頼まれているんだ。まず、美玲君が言ったことは考えられないだろう。そして、今この絵が何かを表していることは、もしかしたら、ないのかもしれない。……完成してないんだから」
「そうですか……」
「……なかなか、積極的だね今日は。いつもなら、悩んだ末に、『ハクのことだから適当に書いたんじゃないですか?』とか言いそうなのに」
私そんなに適当かな?
「……あれ?でもどうしてハクは描ききれなかったんでしょう?」
「…………時間がなかったんじゃないかな?」
「…いえ、もともと、ハクは短時間でも絵を完成させることができるんです。私がハクに初めて会ったとき、ハクは二時間くらいでもう絵を完成させました。…だから、五時間もかけてそれでも描けなかったなんておかしいんです」
「……白君は時間があっても完成させることはできなかった……と?」
「……そ、そこまでは言ってなかったつもりなんですが…」
「いや、可能性はあるかもしれない。白君は絵を完成できなかったんじゃなくて、描けなかったってことか。……じゃあ、白君は何を描こうとしていたんだろう。いや、描けなかった理由は何かを考える方が早いかもしれない」
私たちはまたこの絵をよく見た。
やっぱりだ。どうしてかこの絵を見ると涙が出てくる。
やっぱりこの絵にメッセージがあるとしか思えない。
心がそのメッセージを受け取っているのかもしれない。
じゃあ、そのメッセージって何だろう。
頭ではわからないのかな。
ハクは何を残した。
どうしてハクほどの天才がこの絵を描ききることができなかった。
わからない。
わからない。
わからない。
私は頭が悪い。
考えることの放棄をしたくなってくる。
でも、分かりたい。
ハクのことを知りたい。
だってハクのことを考えると……。
そうか、やっと私にも見えてきた。
「そうか、分かった。白君が描けないもの」
そう言って部長は黄色と茶色と白の絵の具を取り出した。そうして、ハクの描いた絵に描き足していった。
涙が止まらなかった。
この絵を見るとこんなにも心が温かくなる。
こんなにもうれしくなる。
こんなにも親しみを感じる。
こんなにもリラックスする。
そのはずなのにどうしてこんなにも後悔するのだろう。
どうしてこんなにも悲しみや無念を感じるのだろう。
いろいろな感情が私の中に生まれて、渦巻いて、自己主張して、また消えていく。その時に自分の体がなくなったかのように感じる。
そしてとても苦しくなった。
すべてが、私の一部だった。
これが白の書きたかった絵なんだね。
「できた…、たぶんこれで完成だ」
そこに書かれていたのは私の顔だった。
私が言うのもなんだけど、輝く笑顔だった。
「『俺には完成できない』か…。白君にも見えなかったんだろう。きざなこと言うようだけど、最後まで、我生君は美玲君のことが見えなかったんだ。君があまりにも輝きすぎていて…」
私はたぶん白のことが好きなんだ。
意地悪で、すっごくむかつくやつだったけど好きだった。
この絵を見て私が泣いてしまったのは、私のハクに対する気持ちが流れてきたから。そして、この気持ちがなくなっていくような気がしたから。
どうして、私には何も言わずにいなくなってしまったんだろう?
私はもうハクのいる生活が、私の一部だった。
いや、私の中の亡くなった一部分がハクだっだ。
この、私の絵は白、つまりハクがいないと完成しないというのに。
「さしずめ、この絵のタイトルは太陽とでもつけたいもんだねぇ」
部長は、部長らしいことを言いながら絵をまじまじと見ている。泣いている私はお構いなしだ。
部員たった三人しかいない部室に、用意された五人の椅子。描かれた未完成の三枚の絵と、完成した一枚の絵。
かけたものしかない部室に、完成したハク。
私たち美術部は、四月の発足から、たった三か月の活動で幕を閉じた。
私の部活は、中学と同じく三か月で幕を閉じることになった。
この話はこれで終わり。
ここまで読んでくださった方に多大な感謝を。