2.とんでもない提案―3
給湯室から戻り、社長の机にコーヒーを置いた時には、もう眼鏡をかけて真剣な顔で書類を見ていた。
ちなみに、上司サマのお好みはブラックコーヒーである。甘いものは好きだが、コーヒーはブラック派らしい。
その後しばらくは、わたしも自分のデスクに戻り、仕事をする。
そして順調に午前中を終えると、そのまま席で出勤途中に買ったおにぎりを食べた。休憩時間はキリのいいところでとって良いと言われているため、少し遅めの昼食になった。
ちなみに最近のお気に入りは、カリカリ梅とジャコのおにぎりだ。ごはん自体に具が混ぜられているので、どこを食べても味があるのも嬉しい。
わたしはだいたい、お昼はパンかおにぎりをひとつしか食べないので、今日もいつも通りすぐ食べ終わり、化粧直しをするために席を立った。
以前は社長専属に2人秘書がついていたらしいが、今はわたしだけなので、化粧直しもなるべく急ぐようにしている。
とは言っても、わたしが席にいない時の電話は、直通の番号でかかってきた場合でも、秘書室に回ることになっている。そして、秘書室にいる秘書たちは、昼食の時間をずらして、必ず1人は電話番が居るようにしているそうだ。そのため、あんまり心配は要らないのだが、それでもやはりなるべく席を空けないようにしていた。
いつだったか上司サマが、外に食べに行っても良い、と言ってくれたことがあったが、特に食事にこだわりがあるわけでもないので、今まで食べに出たことはなかった。
トイレから戻ると、ちょうど電話がかかってきた。
相手はなんと、上司サマのおじい様である会長からだった。
今年の2月に米寿を迎えたという会長は、会社のことはほぼ社長に任せているものの、まだまだ現役で、相談役として活躍されている。
たまにではあるが、このように電話がかかってくることもそれほど珍しいことではなかった。
しかし、実を言うと……わたしはこの会長様が苦手である。
これまでに3回ほど直接お目にかかったことがあるのだが、どうもあの目に慣れないのだ。上司サマによく似たくっきりの二重で、いつも少し笑うように目尻を下げているのだが、どうしても目の奥が笑っていないように見えてしまうのだ。
また、88歳とは思えないほど若々しく、スーツをびしっと着こなしてしまうのも、一切の隙がないように思えて少し怖い。
そして、もうひとつ。
「ああ、末木さんか。淳季にかわってくれ」
そう、この声だ。
有無を言わさず用件だけを簡潔に伝える硬い声。長い間、人の上に立っていた者ならではの言い方だ。電話だとそれが余計に強調されてしまう。そうなると、わたしはひたすら“はい”だけを言い、なるべく早く電話を変わることに集中する。今回も、結局まともに言えたのは“はい、かしこまりました”だけで、挨拶も何もできなかった。まぁそれは、会長がわたしだと分かった瞬間に、電話をかわれと言い放つせいもあるのではないかと思うが。
ひとまず、電話をかわるために一度保留にし、わたしは社長室のドアをノックした。
なかに入ると、上司サマは相変わらず眼鏡をかけ、書類とにらめっこをしていた。もしかすると、食事もとっていないのではないだろうか。