金光
発酵と腐敗は紙一重、とはよく言ったものでして。
「紙一重っつーか、穴空いてんちゃうかな、その紙……」
時は真夜中。
蔵の中、小分けにしたカビをそれぞれ突っ込んだ煮豆を味見しつつ、ふう、と私は盛大に溜息をつきました。
何だかんだで、気付けば、季節が三つほど巡ってしまいました。
神様連中は当たり前のように本堂で暮らしていますし、天帝様からは音沙汰ないしで、あせったのがバカみたいです。
「まあ、実りは一日にして成らずとも言うしなあ……」
天帝様からすれば、十年ぐらい、大した時間じゃないのかも知れません。
キョウはすっかり女衆と打ち解けましたし、ナギは文字を子供達に教えてますし。
確かに神様は神様なんですが、私が来た当初よりも、ぐっと村人との距離が近くなったように思えるのです。
ヨミも無愛想ながら犬と仲良くなって、シキの狩りにも同行しています。
そんな毎日の中、私は、このまま天帝様から忘れられたままでいればいいのに、とさえ考えるようになりました。
あ、味噌は作りますけどね。味噌汁が飲みたいので。
さておき、蔵の中のフレグランスは――まあ、とてもじゃないですが、言い表せたもんじゃありませんでした。
事前にヨミに良い香をつけてもらってなかったら、外に出た途端に犬達に逃げられる事間違いなしです。
それだけ凄い臭いの中にいるにも関わらず、嗅覚が麻痺しないのは、ひとえにヨミの風の力によるものでしょう。
ここに来る前、妙に協力的だったのが、何か不気味ですけど。
「ヨミって、なに考えてるかわからんものなあ……」
「悪かったな」
「のおおおううううお!?」
私の背後に立たないで下さい! 思わず手にしたモノ投げちゃったじゃないですか!
「豆を投げるな!」
「いやその、悪霊退散的な……」
鬼は外ー、みたいな…。上手く風で反らしてくれたから良かったですけど。
「なしてここに。ナギと一緒に、夕涼みするって言うとらんかった?」
「そのつもりだったんだがな。少し、お前と話がしたくなった」
「話?」
何でございましょう、と他の煮豆をつまみつつ聞く姿勢。
「お前は、恋をした事があるか?」
「ぶふっ!?」
煮豆吹きかけました。
「…いや、あんま考えた事が。と言うか、そーゆーのに無縁やったし……」
「無縁とは?」
「…真顔で聞かんといて」
生きた年月=彼氏いない暦ですよ。とっくに開き直って食べ物に生きるつもりでしたよ。
「…縁があるように見える?」
「ああ」
「……ごめん、もう一回」
「見える。それだけ子が産めそうな体格で、それだけ前向きならば男にも困らんだろう」
「…微妙に喜べんわ」
でも、まあ確かに、生まれて来る時代を間違えたような気がしないでもないです。
下膨れ美人の時代もあったそうですしね。その時代ならモッテモテでしたでしょう。
「ヨミの目からも、魅力的に見えたりするん?」
「見える、と言ったら俺を食うか?」
「食わんわッ!」
どんだけ肉食系に見えとるんですか私!
「そう言う趣味はございません!」
「ふむ。ならば火に飛び込めば食ってもらえるか」
「そっちの意味なら尚更食わんわー!」
人肉は食わんと何度言うたら! とこぶしを振り上げかけて、はたと思いとどまりました。
そういや、キョウにしか「人は食わん」って言っておりませんでしたね……と。
「…とにかく、どっちの意味でも食わんからな。だいたい私に食われたいとか、何でそっちに行きつくん」
「俺とて、低位の神に食われるのは、かなり不本意なのだが……」
なら言わないで下さい!
「…だが、お前になら食われてやっても良いと思ったんだ」
「何やねん、それ」
そして何故に頬を染めますか、と再び豆の味見に戻ると、ヨミが大きく溜息をつきました。
「お前に食われれば、この郷に産まれる事ができる。…そうすれば、兄上と生きられる」
「あー、そう言う理由ね……」
私は転生マシーンですか、間違ってはいませんけれど。
「それに」
「それに?」
もぐ、と次の一塊を口にして振り返ります。
途端に、ヨミが真剣な顔で何やらきっぱりと言いきりました
「俺は…お前や、キョウとも別れたくないんだ」
「…へ?」
兄上一番じゃなかったんですか?
いや確かに、最近は和気藹々とした集団にさりげなく混ざっていましたけど――
「それって、ずっと一緒にいたいって事…?」
みんなと?
私やキョウと?
ナギとだけじゃ、なくて?
そんな疑問符を浮かべまくる私に、こくりと真っ赤になって頷くヨミ。
…あれ、何かカワイイですよ。どうしましょう、これ。
「鉄面皮にも、ようやく家族のありがたみが判ったんやねえ……」
よきかなよきかな、とうなずく私。
その直後、唇が触れる感触がして、私はバックダッシュで後ろに跳びすさりました。
「何でそう来るっ!?」
「変か? 石楠花とかに、こうして感謝と好意を表されるのだが」
…それは、獣同士のオハナシです。
「頼むから、人の常識を覚えとくれや…」
命がいくつあっても足らんから、と袖で口を押さえて次の煮豆の味見にGO。
その途端、私の舌が、覚えのある味を感知しました。
「味噌…!」
「は?」
「この味や! これ、味噌や!」
苦節三年、ようやく叶いました味噌の素! もとい、もろみ!
米カビに灰を混ぜて、生き残ったカビが麹でしたよ! ばんざーい!
「ヨミ、早速みんなに知らせ――」
その声が、ふつりと途切れます。
ヨミの姿が、どんどん遠くなって行きます――
「え、ちょ…!?」
一体何が!? とあわてる私の周囲に、金色の光が差し込みつつありました。