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窓の外では、暴力的な吹雪が帝都の石造りの街並みを白く塗り潰していた。

暖炉で爆ぜる薪の音だけが、重苦しい静寂の中でリズムを刻んでいる。

アイクは机の上に広げた魔術式を、集中して眺める。


「兄様。やはり魔素とは、ただの物質間の反応を助ける『媒質』だ。そう仮定すれば、この式の歪みはすべて解消されます」

「……媒質、だと? だが、それではこの火は、水は、魔素が変化したものではないのか。どう説明する」


リーンハルトが、狂信的なまでの熱量で羽ペンを走らせる。アイクが提示した「魔素とは触媒となって現象を生み出すものであくまでも媒介にすぎない」という冷徹な理論は、この世界の魔術体系を根底から覆す破壊力を持っていた。それを証明するのに今翻弄している。


従来想像力で作り出すものだと言われていた魔術がいま、論理的に体系化されつつある。


羽ペンを握る指先が、微かに震える。脳内では組み上がっているのに、未発達な指の筋肉がその速度についていけない。焦れば焦るほど、文字が幼く歪む。

アイクは苛立ちを隠すように、ペンを持ち直した。


例えば火を生み出すのになにか必要な要素があると仮定し、それらを無理矢理くっつけるために魔素という存在があるという仮説を立てる。この場合火を生み出すのに必要な要素は何か。どのようにくっつけているのか2点を解き明かさなければならない。また火だけではなく水でも同じような原理で動かせるのかを証明する必要がある。


(火を生むために必要なのは、熱源と火素の結合。魔素はその結合確率を無理やり引き上げる触媒だ……。解き明かすのは難解で、そして、ひどく虚しい)


アイクはペンを置き、自分の小さな掌を見つめた。

思考の深淵から湧き上がる「答え」に、後から理屈を継ぎ足している感覚。この明晰すぎる頭脳は、自分ではない誰かが作り上げた「完成済みの回路」をなぞっているだけのようで、不意に背筋が寒くなる。


(きっと()()()()()()()()だ。僕を、僕でなくしている呪い)


そう、これは僕の力じゃない。記憶の持ち越しが勝手にやっていることだ――。


「……アイク? どうした、顔色が悪いぞ」

「いえ、なんでもありません。……それより兄様。そろそろ西の遠征軍が戻ってきた頃ではありませんか」


実に4ヶ月の期間がかかった遠征だった。だが、アイクが巻いた種は戦場という肥沃な土壌で十分に育っているはずだ。


「そうだが……。あんな脳筋のようなものたちのことをなぜ僕が気にかけなくてはならない。」

「ですが,ちょうど兄様が頼んでいたものが手に入るかもしれませんよ。西部にしか生えていないガシオリの実に,ソメイラン」

「そんなこと言ったか?」


キョトンとした目。当然である。アイクが「兄様の願い」として拡大解釈し、クーリルトに吹き込んだのだから。アイクはさらに「キョトン」を重ねて見せた。


「え? だって4ヶ月ほど前に傷病薬に使えるかもって。でも西部にしかないからって残念そうにおっしゃっていたではありませんか」


アイクも同じくキョトンとする。


「……頼んで承諾されたのか?」

「ええ、はい。」


頷いて肯定を示した。リーンハルトの額に青筋が浮かぶ。かつてはアヴェラルトを介して、あるいは自らクーリルトに協力を求めたことがあった。しかし無骨な三男は「戦場の土に薬草など生えていない」と一蹴したのだ。


「あんの、脳筋野郎。……僕という存在の頼みだから断ったのか!!」

「兄様?どうされたのですか?」


いきなり荒ぶるリーンハルトにアイクが驚いたように聞く。


読み通りだ(シクトプラエディクシ)


怒りという名の関心。無関心だった兄弟の間に、アイクが「借り」という名の楔を打ち込んだ。


「僕が西部にしかないという理由で諦めるわけなかろう。クーリルトにも帝都大学にも、つては辿った。」


リーンハルト話しているうちにだんだんと怒りが込み上げてきたようだった


アイクは壁にかけられている時計を見る。そろそろだろうか。


コン,コン,コン。

塔の重厚な扉を叩く音が響く。リーンハルトは訪問者に心当たりがないようで首を傾げている。


アイクは笑みを深めた。

程なくしてクーリルトの従者がこちらに向かってくる足音を感じる。


この部屋の扉を叩くノック音がした。ドアが開く。


開かれたドアに立っていたのは荷物を抱えた第三皇子クーリルトだった。

雪の匂いを纏い、外の冷気がこちらに伝わってきた。


アイクが蒔いた種は4ヶ月前のものだ。

まずはハンネスへの交渉からだった。

アイクは机に戻り、一枚の紙にサラサラと傷病薬の効能と理論を書き込み、ハンネスに見せた。


「これは…?」

「ねえ。ハンネスは、戦いにおいて人が死んじゃう理由の一つになにがあると思う?」


唐突な質問にハンネスは戸惑う。


「……矢傷、でしょうか」

「ブッブーハズレ。正解はね、傷が膿んで死ぬ人なんだ」


ハンネスの表情が変わった。

現場を知る彼だからこそ、その言葉の重みがわかる。


「そう、ですね。確かに戦場では医療が行き届かず……」


「約半分も。そんなにたくさんの人が『戦い』じゃなくて『その後』で死んでるの。

……ねぇその人たちを救ったらどうなるかな?」


絵空事を、とハンネスが不審な目をする。

アイクは机から小瓶を取り出した。


「これは怪我の治療薬。かの有名なリーンハルト兄様が開発したものだ。……けれども、その権利、利権はぼくが握っている」


実際は共同開発だが、そんなことはどうでもいい。知名度も信頼度も高いのはリーンハルトの方なのだから、ここでその名前を出すことに意味がある。そして重要なのは「アイクが鍵を持っている」と思わせることだ。


「っ!それがあれば、西の民は……」


最前線で歩兵として戦うのは帝国軍ではない、西の民だ。

同じく死にゆく数も圧倒的に西の民が多い。


「うん、死ななくて済むね。」


アイクはにっこりと笑った。そして。


「でもこれを流すルートを持っていないんだ.」

「……まさか」


ハンネスの心臓が跳ねた。


「そのまさかだ。これで君は名誉も無碍にされない立場も手に入る。でも手柄はリーンハルト兄様に、だ。『独占販売権』は君の実家、オルアドイン家にあげよう」


まさに悪魔の交渉だった。結果ハンネスはアイクに屈した。


「あ、ハンネス、ついでに負傷者の記録も取っててくれる?学者に一人、話を通してて」


ーーポーンを進める。



「クーリルト兄様、改めましてアイクです。この間、謁見の間でお会いしましたよね」


遠くから聞こえる練兵の号令を背景に、アイクは鈴を転がすような声で話した。

対面する第三皇子クーリルトは、激しさを孕んだ風のように鋭い視線をアイクに落とす。


「ああ、先日ぶりだな。……ところであんな頭でっかちが、俺にどんな用事があるってんだ?」


吐き捨てられる言葉は棘を含んでいたが、その瞳の奥には、西の惨状を放置されていることへの苛立ちが滲んでいる。アイクはそれに気づかないふりをして、懐から折り畳まれた紙を差し出した。


「これは?」

「リーンハルト兄様からです。兄様、戦場で傷ついた人たちが化膿して死んでしまうことに、ずっと心を痛めていらっしゃって。……ようやく、傷口を清める薬が出来上がったのです」


クーリルトの眉が跳ねた。

困惑が、一瞬で切実な希望に塗り替えられる。皇帝に直訴してまで西の窮状を訴えた彼だ。リーンハルトという稀代の天才が答えを出したと言われれば、喰いつかないはずがなかった。


「クーリルト兄様も、西の人たちのことを憂いていらっしゃる。……ぼく、知っています」


アイクがじっと見つめると、クーリルトの瞳に、幼子を見透かそうとするような鋭い光が宿った。

迷いが生じた。なにかあるのはわかる。だがそれ以上に現場の救いになるかもしれない期待感が勝った。


「……あいつが、タダで薬を渡すはずがない。条件は何だ」

「……! よくわかりましたね」


アイクは驚いたように目を丸くして見せた。


「ガシオリの実とソメイラン。西にしか生えないその植物を、収穫してきてほしいと……言伝を預かっています」


クーリルトは鼻で笑った。すぐに思考は軍指揮官としての現実的な懸念へと切り替わる。

取り入れた場合の損得、実利、懸念、全てを考慮する。


「………だが、俺の職務は軍の統率だ。数万人の軍隊に必要な量を確保するのに、専用の採取部隊と輸送ルートを持ち得ていない。残念だが、断らせてもらう」

「存じております」


アイクは即答した。断られることは、織り込み済みだ。

良い薬を与えられても、現場の運用がきちんとできなければ意味がない。不公平な救済は軍に軋轢を生み、中途半端な希望が本業の指揮を鈍らせることを、この鋼の皇子は最も嫌う。

アイクは一歩、クーリルトに近づいた。その小さな影が、皇子の大きな軍靴に重なる。


「リーンハルト兄様に協力してくださる方が、ご親切にもl救()()()の中にいました。そちらの方ですべて手配します。兄様は、戦場で流布されるその薬を……()()してくださるだけでいいのです」


アイクが口にした「協力者」とは、先日掌握したばかりのハンネスのことだ。軍の内部から実益を流し、指揮官はそれを見逃す。軍規を汚さず、結果だけを手にするための悪魔の提案。


「……なるほど。あいつの使い走りにしては、随分と話が早いな」


クーリルトは、初めてアイクという存在を正しく「脅威」として認識したのかもしれない。クーリルトの視線が一瞬だけ、アイクの灰青色の瞳に釘付けになった。勘が言っている。この幼子の内側に何かが潜んでいると。だが、目の前にあるのは西の民を救うための蜘蛛の糸だ。同時にもうもたらされないかもしれない希望でもあった。


「……承諾した。ガシオリの実とソメイランは、俺が直々に探してきてやろう」


交渉は成立した。

アイクは満足げに頭を下げた。

これで、西の民への恩義、リーンハルトへの協力、そして自分を介した接点。

ゆっくりと、確実に家族も網の目は編まれていく。


背後で翻るクーリルトの赤いマントが、夕闇の廊下で血のように鮮やかに見えた。



こうして全て蒔いた種は収穫できた。

だから人情に厚いクーリルトがわざわざ出向きここにいる。


「感謝をいいにきたんだ。…あとはこれだ」


クーリルトは不器用に、革の袋を机に置いた。

リーンハルトは、一瞬だけアイクを盗み見てから、袋をチェックした。中身を見た瞬間、彼の瞳に知的な歓喜が宿る。


「ガシオリ……。それに、新鮮なソメイランまで! 本当に採ってきたのか?」


リーンハルトが喜び勇む。アイクはリーンハルトが喜ぶ姿をみていると胸が暖かな気持ちになった。

嬉しさで声が弾むリーンハルト。クーリルトは頷いて肯定した。


「遠征中の片手間に、俺が、自ら探したんだ。私情で部下に手を貸させるわけにはいかないからな」


クーリルトはそっぽを向いたが、その耳は少し赤い。

彼は、アイクから密かに与えられた傷病薬が西の民と自分の兵たちの生存率を劇的に上げたことを知っている。

アヴェラルトはクーリルトに「耐えろ」と言った。だが、リーンハルトの知恵は「救う手段」をくれた。その差が、クーリルトの心に敬意に近いものを植え付けていた。


「お前には本当に感謝しているんだ。薬のおかげで死者が前回の4分の1にまで減った。」


珍しく殊勝に感謝の意を示すクーリルトにリーンハルトは話半分でしか聞いていない。

仕方がない、なかなか手に入らなかったのだから。袋の中身をチェックしている。


「おい、話聞いてんのか!」

「あああああーーー!!」


二人が声を荒げるのは同時だった。


(双子じゃないんだけど、同じ14歳ゆえに、なのかな)


不思議だなぁとアイクはホワホワした無垢な笑みを浮かべていた。


不器用な兄たちが、お互いに『借り』を作り、それを不満という形で吐き出す。これこそが、家族の団結に必要な摩擦だ。


「おま、急に叫ぶな!」

「そんなことはどうでもいい、中身の半分はまっったく違う。しかも雑草じゃないか。薬草ですらないと。君の目は節穴か!!」

「はああああ、だからこの間断ったんだろうが!この頭でっかち!自分で取りにいけ!!」


口論が始まった。もとよりこの二人は知と武の対局にいて、水と油のような相反する存在なのだろう。

まるで犬猿の仲だ。


まぁまぁとアイクが仲介に入る。


「クーリルト兄様。渡すものがあるのでしょう?」

「ああ、まぁ……リーンハルト、これを見てくれ。」


クーリルトが、一通の報告書の束を差し出した。それは、アイクがハンネスに命じて密かに取らせていた、戦場での詳細な傷病記録だった。

それを受け取ったリーンハルトの顔色が、一変した。


「なっ……なんだ、この統計データは!? 傷口の化膿率、死亡までの時間、そしてこの薬の……凄まじい有効性! 僕の理論が、実戦でこれほど完璧に証明されているなんて……!」


リーンハルトの手が震える。学者として、自分の発明品がこれほど鮮烈な「数字」で示されたのは、初めてだった。


しかしまた二人は、些細なことで口論に発展する。だが、その罵り合いには不思議と陰りがない。

アイクは二人の間に割って入り、リーンハルトの袖を優しく引いた。


「兄様、怒らないで。クーリルト兄様は、リーンハルト兄様の研究がどれだけたくさんの人を救ったか、ずっとお話ししたかったんですよ。……ね?」


アイクは次に、クーリルトに無邪気な瞳を向ける。


「クーリルト兄様も、この薬草を探すのに軍服をボロボロにしたって聞きました。リーンハルト兄様、この草は半分でも十分、研究の進展になるんですよね?」

「……まあ、そうだが」

「……今回は不問にしてやる」


二人は毒気を抜かれたように黙り、照れ隠しに顔を背けた。

アイクという「共通の窓口」がいなければ、この感謝は一生届かず、二人は永遠にすれ違っていた。


(……もう少しで、『家族』が完成する。布石はもう置いてある)


「クーリルト兄様はただ、感謝している気持ちを中途半端に誤魔化してしまうのです。リーンハルト兄様も感謝をめっっちゃなさってるのに、うまく表現してないだけ。……不器用さんですね?」


アイクが鈴を転がすように笑うと、二人の兄はバツが悪そうにアイクの頭を撫でた。ーー全てがアイクの盤上


アイクは理想の家族に想いを馳せて、外の荒れ狂う吹雪を見た。

真っ白な世界に、自分の境界が溶けていくような感覚。

理想郷にいくばくもせずに叶うだろう。


ああ、本当に、と嘆息した。


アイクは、()()()()()()()()()()()()()()()()




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