peripeteia
peripeteia-転換
「なっ……はぁあああああああああああ!?」
アイクの絶叫が、執務室の重厚な壁を震わせた。
椅子を蹴立てて立ち上がったアイクは、信じられないものを見る目でオアンネスを指差す。その指先は怒りと混乱で小刻みに震えていた。
「オアン! え? なんで? なんでそんな勝手なことするの!? 契約!? 誰が、いつ、どこでそんなハンコ押していいって言った!?」
「昨日、君が窓から優雅にダイブした後だ。皇帝が『ぜひ』と言うので、こちらとしても好条件を引き出させてもらったよ」
オアンネスは机に寄りかかり、手元にあるアイクの書きかけの書類をパサパサと捲りながら、事もなげに言った。
「えええええええっ!? いやだ、絶対いやだ! 誰があんなカビ臭い皇宮に戻るもんか! 僕はここの総帥だよ!? 一ヶ月も空けたら組織の運営がガタガタになるよ! ほら、この未決済の山を見て! 僕がいなきゃ、君たちなんて三日で銀の歯車の餌食になっちゃうんだからね!」
アイクは机をバンバンと叩き、地団駄を踏んだ。
普段の冷徹な知略家はどこへやら、今の彼は完全に子どもそのものだった。
「ふむ、三日か。もう少し持つとは思うが。だが安心しろ、君がいない間は俺が預かっておく」
「預かるって、そんな、……ペットの散歩じゃないんだから! そもそも、僕のこの超天才的な頭脳が一ヶ月も不在になるなんて、夜天の檻にとっては致命的な損失だよ!? 損失補填はどうするの!!損害賠償だよ!」
アイクは喚き散らしながら、今度はオアンネスの腰のあたりに頭をグリグリと押し付け、全力で抗議の意を示した。
「そんなにここが好きか、アイク。先日は『ゴミ溜め』と言っていたのに」
「好きとか嫌いとかじゃない! 僕は、仕事があるの! オアンのバカ! 裏切り者! バカ!!!」
語彙力の低下が著しい。オアンネスは、自分の腰に縋り付いて喚く小さな総帥を眺め、ふっと喉の奥で笑った。
「ははっ、いい声で鳴くな。よしよし、そんなに泣くほど嫌なら、俺が代わりに行って『総帥が怖くて家から出られなくなりました』と伝えてきてやろうか?」
「……バカにしてるでしょ。絶対にバカにしてる! ああもう、オアンのそのニヤけた顔、本当に腹が立つ!」
アイクはパッと離れると、今度はソファに身を投げ出し、クッションを抱えて顔を埋めた。
「書類なんて全部シュレッダーにかけてやる……。組織を解散させてやる……。みんな路頭に迷えばいいんだ……」
「それは困るな。だがアイク」
揶揄う気配は消えて真面目な声色でオアンネスが言った。
「探し物があって、ここにいるんだろう?」
その一言だった。
空気が一変し、アイクの愚痴がピタリと止まる。
「……探し物は皇宮にある。ここにはいくら探しても出てこない。それは、君が一番よく分かっているはずだ」
クッションに顔を埋めたまま、アイクは動かない。
やがて、スンッ、と音がしそうなほどの静寂を伴って、アイクが顔を上げた。
そこにあったのは、先ほどまでのおちゃらけた子供ではない。暗く淀んだ、全てを見透かすような冷徹な瞳だった。
「……知ってたんだ」
「ああ。友人だからね」
オアンネスは、その「友人」という言葉に、アイクが与えられなかった「無償の愛」の代わりを全て込めた。
自分では彼を満たせない。だからこそ、その呪いを解くために、かつての檻へ戻れと背中を押す。
アイクは無表情のまま、少しだけ唇を尖らせた。
「……もう。本当にオアンは、……性格が悪い」
そう言って、アイクは投げ出していたペンを拾い上げた。
その小さな背中は、先ほどまでの駄々っ子とは違い、一国の「第四皇子」という仮面を被り直す、孤独な支配者のそれに戻っていた。




