表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/33

16

こほんっ、と。

アイクは、普段は決してしない、わざとらしいほどに真面目な咳払いをした。

その瞳には、もうすでに外界を拒絶するように目隠しが巻かれている。


笑い死にそうな勢いで過呼吸に陥ったウーヴェは、同僚の従士たちに引きずられるようにして下がっていった。サキは依然として地下牢に繋がれたままだが、アイクたちは場所を移し、最上階の円卓会議室に集まっていた。


「さて。……真面目な話をしようか」


重厚な黒檀の円卓。帝都の夜景を一望できる巨大な窓があるが、そこから差し込む月光は室内を照らすどころか、かえって室内の影を濃く、どろりと重く変質させている。

アイクは、円卓を囲む二人の枢機卿――ヴェロニカとゲルフを順に見た。


「なぁに? あの『救世主』の処遇について?」


ヴェロニカが揶揄うように首を傾げた瞬間、会議室の温度が劇的に下がった。アイクの、ほんの一瞬だけ口元がへしゃげる。


「そんな、些細事の話じゃない」


「些細事」という五文字を、アイクは一音ずつ、鋭利な刃物で切り出すように強調した。先ほどの屈辱的な失態を、強引な威圧で塗り潰そうとする徹底的な拒絶。その声には、思い通りに進まぬ盤面に苛立ちを隠せない、独善的な鋭さが混じっている。


「……わかったわよ。ここ最近多発している、オークションの襲撃事件のことね。ゲルフの狂犬部隊が、手も足も出なかったっていう」

「ぬかせッ! 我が部隊は有能だ!」


それまで石像のように沈黙していたゲルフが、卓上を激しく叩いて立ち上がった。


「ただ、あやつらが奇妙な術を使ったのだ! 剣を振るう隙さえ与えぬ、呪いのような……!」

「やだやだぁ。これだから脳筋は。負けを環境のせいにするなんて、美学がないわよ」

「貴様ぁッ……!」


一触即発の空気が会議室を満たす。だが、その爆発を鎮めたのは、アイクの放った零度の言葉だった。


「わかってるよね。……僕の盤上に、無能や無駄はいらない」


アイクは感情を完全に排した声で、二人を射抜いた。

ゲルフの咆哮が喉の奥で凍りつき、彼は物理的な壁に衝突したかのように、力なく椅子へと沈み込んだ。アイクの前では、人間らしい怒声すらも、空気を無駄に震わせるだけのコストでしかない。


「襲撃者の狙いも目的も、大体見当はついている。……僕が今、議題にしたいのはそこじゃない。内通者についてだ」


ヴェロニカの表情から余裕が消えた。ゲルフの瞳に、好戦的な色が戻る。


「……まさか、我らの中から手引きを?」

「二人、いるんだけどね。……一人はまぁいい。今回は、もう一人のほうを追ってもらうよ」


そこで、ヴェロニカが不審げに声を上げた。


「……総帥、あいつこそ怪しまないの? オアンネスよ。あいつは一度、この組織を裏切っている。それに、この場にいないのも怪しすぎるわ」

「ふ……ふふっ」


アイクが漏らしたのは、さっきのウーヴェのような笑いではなかった。

獲物の内臓を引きずり出し、その造形の規則性を愛でるような、乾いた狂気の響き。


「オアンは僕を裏切らないよ。……『11歳』までは、絶対にね。彼は今、僕が出した重要な任務を遂行中だ」

「……なんで、11?」


首を傾げるヴェロニカ。アイクは心底不思議そうに、年上の部下である枢機卿の顔を覗き込んだ。


「ヴェロニカ、わからないの? 盤面を読み取るのが君の仕事なのに」


それは蔑みですらなく、純粋な疑問であり落胆だった。

ヴェロニカの額から冷や汗が吹き出す。アイクの問いは、無自覚にヴェロニカが盤枢卿足り得るかの試練となる。


「待って……今考えるわ。……ああ、ええ? ……ああ、そういうこと」


ヴェロニカは、あるおぞましい最適解に辿り着き、声を震わせた。


「あいつ、気味が悪すぎて直視してこなかったけど……。子供を育てることを生き甲斐にしている、あの『欠陥品オアンネス』……ああ、あの事件で」

「ヴェロニカ。正解は、それだよ」


アイクは細い指を唇に当てて、満足げに微笑んだ。その顔は、難解なパズルを解き明かした無邪気な子供のようであり、同時に、人間の性根を弄ぶ悪魔のようでもあった。

しかし、その笑みも一瞬で表情筋を失ったかのように冷え切る。


「さぁ、オアンのことを心配している余裕があるのなら、自分の足元ぐらい視えてるよね?」

「えっ……」


困惑げにヴェロニカは眉を顰めた。その様子にアイクはますます隠しきれない不満を滲ませ、口角を歪ませる。


「『猟犬』を統括する枢機卿。葬枢卿ヴァルター直属。……暗殺部隊の第三席。彼が今回、情報を流した内通者だ」


アイクが淡々とその名を口にした瞬間、ヴェロニカは弾かれたように身を乗り出した。


「なっ……!ヴァルターの!?知ってたの!?あそこは諜報も兼ねてるのに!知ってて放っていたというの、総帥!」


どこの部隊であっても内通者の存在は

痛手を負うが、諜報を兼ねてる部隊となればさらにその損失は倍となる。だからこそヴェロニカは焦って声を上げた。

一体どこまでの損失が流れてしまったのか。


「……うるさい」


アイクが低くつぶやいた。ただそれだけで、室内の空気が物理的な重さを伴ってヴェロニカを押し潰す。


「君の管理不足を僕が補ってあげていたんだ。感謝こそすれ、叫ぶ理由がどこにあるの? ヴェロニカ。……あぁ、もしかして。僕の駒の動かし方に、不満があるのかな?」

「っ……それは……」

「もし不満があるなら、今この場で君が僕を詰ませてみればいい。……なんで、気づかないの?わからないの?」


アイクは椅子からふわりと飛び降りた。その動作は軽やかだが、纏う雰囲気は徹底して拒絶の色に染まっている。


「盤上を操れもしない盤枢卿なんて、ただの飾りだよね。いっそその目、僕が潰してあげようか? 視えていないなら、あっても無駄でしょ?」


残酷な言葉を吐き捨てるが、その声の端々には自分と同じ視座に立てない者への執拗なまでの失望が滲んでいた。


「そんなに自分に自信があるなら、その内通者は君に一任するよ。好きに料理して。……僕、もう飽きちゃった、全部」


アイクは一度も振り返らず、扉へと歩き出す。


「あーあ、つまらないな。……なんで、誰もわからないの」


アイクは一度も振り返らず、扉へと歩き出す。一任という信頼ではなく、期待を裏切った相手を視界から消し去るための、一方的な破棄だった。


扉に手をかけ、アイクは誰にともなく、吐息のような弱音を零す。

音もなく扉が閉まった。

残されたのは、冷や汗を流す二人の枢機卿と、氷のように冷え切った沈黙だけだった。








最上階の円卓会議室を後にしたアイクは、そのままテラスへと続く廊下を歩いていた。その背中に、音もなく影が差す。


「アイク。任務は終わったぞ。……あぁ、何があったんだ?」


声の主は「檻枢卿」オアンネス。酷く返り血を浴びた姿で立っていた。

アイクの刺々しい気配を察して苦笑する。


「『お土産』だ。ウーヴェのためにわざわざ俺に頼んだのは意外だったな。そんなにお気に入りだったのか」


オアンネスが手に持っていたのは紙片と、敵の末路を物語る幾つかの遺品が入った袋。アイクはそれを受け取ることすらせず、目隠しの下で不快げに眉を寄せた。


「……遅いよ、オアンネス。君がもたもたしている間に、僕の盤面が乱された。」

「それは申し訳なかったな。『お土産』はどうする?」

「いらない」


アイクは吐き捨てるように言い、目隠しを乱暴に外す。

ーそのままテラスの長椅子に身を投げ出した。そして、膝を抱えて顔を埋めてしまう。

そこへ、何も知らないウーヴェが、息を切らせて駆け寄ってきた。


「総帥! 探しましたよ、もう! 総帥に言われた書類頑張って仕上げたんですけどっ」


ウーヴェがそこまで言った瞬間、アイクが顔を上げた。その瞳には、会議室で見せた零度の冷徹さと、隠しきれない理不尽な苛立ちが混濁していた。


「……やり直し」

「えっ?」

「今、君が言ったこと全部。一文字残らず気に食わない。やり直して」

「は……? い、いや、総帥に言われた――」

「聞こえない。もっとマシな声で話して。あと、三歩下がって。……やっぱり五歩。君の影が視界に入るだけで、計算が狂う」


アイクの言葉に、ウーヴェは「出た……」と顔を引きつらせた。

これは、アイクが極限まで拗ねた証だった。最悪の八つ当たりだ。理屈も妥協も存在しない。主従としての忠誠心すらも、この理不尽な拒絶の前では空回りする。


「総帥、そんなこと言わずに……僕だって徹夜続きで……」

「知らないよ、そんなの。君が勝手に起きてたんでしょ。……あー、もう、ウーヴェのせいで今日の予定が全部壊れた。最悪だ」


アイクは長椅子の上でゴロンと寝返りを打ち、完全にウーヴェに背を向けた。


「ええっ!? 僕のせい!? 僕、今来たばっかりですよ!?」

「存在がうるさい。消えてよ。……あ、でもサキの報告書は今すぐ持ってきて。三分以内に」

「無茶苦茶だ……!」


頭を抱えるウーヴェ。この状態のアイクは、一度始まると誰にも止められない。宥めようとすれば火に油を注ぎ、黙れば余計理不尽に断罪される。

唯一、その地獄のような空気に動じないオアンネスだけが、楽しげに目を細めてアイクの傍らに膝をついた。


「ご機嫌斜めだな?アイク」


オアンネスが、返り血で赤く染まった細い指でアイクの髪を撫でる。

かつて、この檻の中で力尽きていった子供たち。その誰よりも賢く、そして誰よりも孤独なこの少年に重ねている。

アイクはその手を払いのけることもしなかったが、相変わらず背を向けたままだった。

苛立ちは消えない。視界は目隠しに遮られたままだ。ボソリとアイクは低い声で呟いた。


「……誰も、僕をわかってくれない。ウーヴェも。サキも。……世界も」


その声は、無敵の総帥としての威厳よりも、自分の描いた地図を破られた子供の、深い孤独の色に染まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ