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サキが涙ながらに己の孤独さを語る。アイクはそれを時に包容し、時に共感し聞いていた。


桜の大樹が夜風にざわめき、銀色の月光が二人の間に境界線を引くように落ちていた。


サキが語る「日本」の思い出話は、この世界の乾いた夜気には馴染まず、まるで熱を帯びた陽炎のようにゆらゆらと宙に浮いている。


アイクはその熱に触れないよう注意深く、それでいて慈しむような手つきで、偽りの相槌を打ち続ける。その都度あるべき回答という最適解を答える。


ふとサキは目に浮かんだ涙を指で拭って言った。


「私ばっかり話してごめんね。フィンの話もよかったら聞かせて?」

「実は僕、あまり多くを覚えていなくて。日本で学生だった。……そうだね、あとはすごく勉強していた記憶があるよ」


サキから聞いた話を元に無難な答えを導き出す。


「サキお姉さんは覚えているみたいだけど僕は前世の死因もわからないんだ」


そういうとサキは同情と申し訳なさが混じった顔をする。アイクは儚く微笑みながら伝えた。


「お姉さんのお話を聞いているだけで、ああそうだったって懐かしい気持ちになるんだ。よかったらもっと日本の話を聞かせて?」

「……うん。なんの話がいいかなぁ。あ、そういえばフィンの前世の名前はなんていうの?」


日本という国での名前の法則性を知らなかった。アイクは一瞬思考を張り巡らせる。


(「サキ」 短く、繰り返すよう音。これに似せれば)


「えっとね、確かミミって呼ばれてた。」

「あれ?ミミちゃん前世は女の子だったんだ。てっきり勝手に男の子かと」


目を丸くしてふふっとサキが笑う。


(そっかこれ女の子の名前なんだ……)


アイクは一瞬顔を顰めそうになったが耐える。


「うん。でも今の僕は男の子だから、男の子扱いがいいかなー?」


首を傾けてサキを見上げると、サキは胸を抑えていた。


「え? サキお姉さん大丈夫?」


思わずアイクが素で心配するとフルフルと顔を振るわせながらサキが答える。


「う“ん、大丈夫。そっか、よく見たらミミちゃん美少女。いや美少年……ショタじゃんか。」


また知らない単語。


「ふはっ!よくわからないけど元気になってよかった」


そういってアイクはサキを覗き込んだ。少なくともこれが効くのは間違いない。


「あああ、ミミちゃん近いってーー!……でもミミちゃんショタ知らないとか人生損してるよ!!」


恥じらったり、興奮したりと情緒の振れ幅か大きくて見てて楽しい。

ふふっとアイクの口から自然に笑い声が漏れた。


「僕さっきも言ったように、ずうっと勉強しててさー」

「じゃあ頭いい大学行ってたりしたのかなー。きっと東大だ」


そうサキは笑った。


「あ、流石に夜遅いじゃん。もう子供は寝なきゃ。一緒帰ろ?」


立ち上がったサキはそう言って手を差し伸べた。サキの手は、この街の商売でついた細やかな傷や汚れがあった。それはアイクの知らない、泥臭くとも温かな「生活」の象徴だ。


「……ねぇまた今日みたいに会おう?」


アイクの問いに、彼女は屈託のない、夜道に灯る街灯のような明るさで答えた。


「うん!当たり前!友達だもん!」


「僕、もう少しここでお月様見ておくから……サキお姉さんおやすみなさい」

「お月見か。懐かしいなぁ。ここでは兎がなくてびっくりしたよ」

「うん、僕も。」


バイバイとお互い手を振る。

彼女の背中が丘を下り、闇に溶けていく。アイクはその場に一人残り、彼女が去った後の冷えた草地を見つめた。そこには兎のいない、ただ無機質に光る月が浮かんでいるだけだった。








「アイク、ご機嫌だな」


書類から目を上げず、オアンネスが低く笑った。その声には、猛獣の機嫌を読み切っている飼育員のような落ち着きがある。


室内には、重厚な革の匂いと冷え切ったインクの香りが淀んでいた。窓の外では帝都の喧騒が遠く響いているが、総帥執務室の分厚い石壁はそれらを一切拒絶し、部屋の中を深海の底のような静寂で支配している。


「そう見える? ……ふふっ、実は新しいおもちゃを見つけちゃって。すごく、楽しいんだ」


アイクが子供らしい無邪気さで微笑む。だが、その瞳だけは熱を帯びることなく、深淵の底から獲物を見定めるような冷徹な光を湛えたままだった。


部屋の隅で、髪飾りをいじりながら、ウーヴェがひきつった悲鳴を噛み殺す。


「うわあ……。どんな血飛沫が上がるんですかね、今度は……」


彼のペンを持つ手が震え、未処理の書類の山が今にも崩れそうに揺れていた。

ウーヴェは自分の喉元を親指でなぞり、すぐに手を下ろした。


「まったく! みんな僕のことなんだと思ってるの! 子どもなんだから普通におもちゃで遊ぶもん!」


アイクは不満げに頬を膨らませ、ウーヴェを睨みつける。その仕草だけを見れば、どこにでもいる愛らしい子どもそのものだ。


「ああ、そうだな」

「子ども………」


「子どもの定義」という概念そのものが崩壊したような遠い目をするウーヴェと、至極当然だというように肯定するオアンネス。その対照的な反応が、この部屋の歪な均衡を物語っていた。


「ああ、そういえば、さっきはどこに行っていたんだ? 慌てて出て、帰ってきただろ」

「ん? ああ、ちょっと聖堂に。……まあ、僕は信心深いからね!」


にっこりと。聖者のような微笑みでアイクは答える。

その後ろで、ウーヴェが「絶対、神のことなんて欠片も信じていないだろ」と顔に書いて雄弁に語っていたが、アイクは意に介さない。

コンコンコン、と控えめなノックの音がした。


「どーぞ」


入室を許可されたのは、枢機卿の一人、ヴェロニカだった。

扉が開くと同時に、廊下の生温かい喧騒がわずかに流れ込んだが、彼女が足を踏み入れた途端、室内は再び重い鉛のような静寂に塗りつぶされた。


「失礼しまぁす。総帥、うちの管轄のところの話なんですけど」

「あ、知ってる、大丈夫。対処してるよ」


参謀部隊である執行司祭を統括することから「盤枢卿ばんすうきょう」の異名を持つヴェロニカに対し、アイクは彼女が手にした報告書を直視することなく言い放った。

盤枢卿が盤面を整える前に、アイクはすでに盤上のすべてを見下ろしている。


「うわあ、さすが。まあ一応、報告だけはしておきますー」

「いらない、ただの雑音だから。……まあでも、その誠実さは評価してあげる」


ヴェロニカはかつて中立を保っていた。いまだ前総帥の影響力が色濃く、武力部隊の「狂犬」を率いる枢機卿ゲルフが露骨に敵意を剥き出しにしているこのごちゃごちゃな組織の中で、彼女は自分が「アイク側」であることを示すために、わざわざ汚点を報告しに来たのだ。


「そお? じゃあ帰るわ」

「あ、待って。君の部下に……」


去り際のヴェロニカを引き留め、アイクは何かを言いかけて口を閉ざした。

しばしの沈黙。アイクの思考が高速で回転し、未来の断片を演算していく。ヴェロニカはその横顔に、期待を込めた眼差しを向けた。


張り詰めた空気。

それは、最高神ゼウスが次の一手を決める時の、冷たく澄んだ静止だった。


「うーん、やっぱいいや。時期尚早すぎる。帰っていいよ」

「ざーんねん。面白いものが見れると思ったのに。じゃあ、お邪魔しましたぁー」


パタン、と扉が閉じる。執務室は再びインクの匂いと、アイクの静かな鼻歌だけが響く空間へと戻っていった。







何日かにわたり、アイクはサキと夜の闇に紛れ、二人は言葉を重ねていた。

桜の枝葉が月光を細かく砕き、二人の足元に銀色の斑紋を落としている。サキはすっかり元気になって、身振り手振りを交えながら、元の世界とこの世界の違いを語っていた。


「でさー、異世界きたからには魔法使いたいじゃん? だから父さんにお願いして杖買ってもらったんだけど、イマイチで」

「杖を?……すごいな。奮発したんだね」


アイクは、サキが大事そうに抱える安物の杖を一瞥した。

この世界において、魔術は「才能」ではなく「資産」の証明だ。魔力を指向性のある力へ変換する触媒である杖には、希少な魔導金属や精緻な加工を施す高い技術力が必要であり、その価格は平民の家が帝都に一軒建つほどに跳ね上がる。


サキがこの一本を手に入れるために、どれほどの帳簿をつけ、どれほどの利益を店にもたらしたのか。アイクにはその苦労さえ、遠い異国の話のようにしか聞こえなかった。


「そうなの! 私がお店を盛り上げてくれたからって、父さんが無理してくれて。……まぁ、前世の知識を横流ししただけなんだけど」


サキが自嘲気味に、申し訳なそうに視線を落とす。

アイクはその横顔を見つめた。罪悪感。そんなものは、アイクには存在しなかった。彼女が吐き出すその悩みこそが、アイクにお前は記憶がないんだ、と鋭く突きつけてくる。

「……前世の知識を活用できているだけで、十分すごすぎるよ!」

「あはは、暫定東大生のミミちゃんに褒めてもらえるのは嬉しいなー」


サキは照れたように頭をかいた。その無防備な笑顔が、夜の冷たい空気の中でそこだけ熱を持っているように見えた。


「あ、それでね、本を読んだら魔法は想像力だって書いてあるから頑張ってるんだけど……なかなか上手くいかなくて。やっぱりアニメみたいに簡単にはいかないかぁ」

「アニメ……? 日本には魔術なんて、なかったはずだよね」


アイクが喉元まで出かかった違和感を口にすると、サキは「しまった」という顔をした。


「もしかして、アニメとか漫画も読めなかったの!? ミミちゃんの前世の親、それ絶対毒親だよ」

「ドク親……? うーん、母様はいつも『完璧でありなさい、学びなさい』としか言わなかったけれど……それが毒なのかな」


アイクは首を傾げた。玲凛のあの壊れたオートマタのような言葉の数々。


「それは毒親!! えええ、ミミちゃん可哀想。あんなに面白い物語が山ほどあったのに……」

「へえ、それは残念なことをしたかな。……でも、すべては過去のことだから!ねえ、魔術の何に困っているの? 僕に教えてよ」


アイクはあざとく、サキの瞳を覗き込んで笑った。こうすれば彼女が自分への憐憫を忘れ、思考をリセットできることを、アイクはすでに「学習」している。

サキは顔を真っ赤にしてぷるぷると先ほどことなど彼方に飛んで行ってしまっている。


「ひええ……ショタの御尊顔……。あ、そうそう! 私が知ってた魔法と違うというか。水、火、風、土……それに癒し魔法とか闇とか。そういうのが基本だと思ってたんだけど」

「土魔法がない理由は、なんとなくわかるよ」

「えっ! なになに、教えて!」


純粋な好奇心が、アイクの灰青色の瞳を射抜く。


「サキちゃんは、土がどうやって生まれると思う?」


アイクはそっと目線を逸らし、足元の黒い地面を見下ろした。


「えっと……石が砕けて小さくなって、とか?」

「ふふ、それだとただの『砂』になっちゃう」


アイクの唇から、教えを説く教師でありながら、残酷な事実を告げる者のような声音が漏れた。


「土にはね、栄養が必要なんだ。数え切れないほどの小さな虫の死骸や、枯れ果てた植物の残骸……。それらが気の遠くなるような時間をかけて混ざり合い、腐敗し、積み重なって初めて『土』になる。生命の堆積」


アイクは足元の土を軽く蹴った。


「だから、魔素で生み出せるようなものではないんだよ」


くすくすと笑いながら、アイクの胸中をドス黒い感情が渦巻く。

この世界を「物理現象」としてしか捉えられない自分と、魔法を「夢」として語れる彼女。


「あ! そっか、そうだった気がする! さすが暫定東大生!」


屈託のない賞賛。

アイクにとってサキは、己の空虚を抉り出す刃であると同時に、この世界の理の外側に立っていることを共有できる、唯一の「同類」だった。





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