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名前が増える

 午後四時半。

 怪異対策課の窓口は、相変わらず静かだった。

 来庁者が少ない時間帯だ。

 電話も鳴らない。

 万央(まひろ)は報告書の文末を整えながら、パソコンの画面に向かっていた。

 その時、内線が鳴った。


「斎藤さん。面会の方です」


 名簿を見る前から、万央には分かっていた。




 エドワード・ターナー――通称、テディは、窓口ではなく、相談室の椅子に座っていた。

 今日はスーツではない。

 大学での講義帰りらしい、少し気崩した服装。

 だが、どこか落ち着かない様子だった。


「こんにちは、万央さん」

「こんにちは。今日は……当事者ですね」


 ターナーは、苦笑した。

「そうなるね。正直、こういう形で来るとは思ってなかった」


 相談内容は、はっきりしていた。


「名前が、増えているんです」


 ターナーは、そう言ってから、自分でもおかしそうに首を振った。

「書類上は一人。戸籍も在留も問題ない。でもね、扱われ方が、微妙に変わる」


 万央は、黙ってメモを取る。


「名刺を渡すでしょう。すると、返ってくる呼び方が違うんだ」


 ・エドワード・ターナー

 ・ターナー先生

 ・テディ

 ・エド

 ・――聞き覚えのない、古い音の名前


「どれも、間違いじゃない顔で呼ばれる」


 それが、一番おかしいのだと、ターナーは言った。


 学内での事例は、こうだ。

 ある部署では、「長く勤めている非常勤」として扱われる。

 別の部署では、「今年来たばかりの外国人講師」。

 学生の中には、「昔からこの大学にいる気がする」と言う者もいた。


「存在が、翻訳されすぎてる」

 ターナーは、ぽつりと言った。

「僕が、やってきたことの、逆だ」


 万央は、一つだけ確認した。


「ご自身で、何かしましたか」

「……講義で、未訳語の話をした」


 それだけだ、とターナーは言う。


 文化に固有の概念。

 一語に定まらない存在。

 名前を持たないことが意味を持つもの。


「説明した。比較した。整理した」


 それが、呼び水になったのだろう。


 万央は、結論を急がなかった。

 これは祓う案件ではない。

 排除も、封印も、必要ない。


 だが、放置すれば――ターナーは、制度の隙間に落ちる。

 名前が増え続ければ、どこにも完全に属せなくなる。


 それは、人間として一番困る状態だ。


「減らしません」

 万央は、そう言った。

 ターナーが顔を上げる。

「消さない。ただ、使い分けます」

 万央は、行政的な言葉で続けた。


「公的文書、契約、登録は『エドワード・ターナー』で統一します」

「通称は?」


「通称は通称として、明文化します。学内では『テディ』。ただし、書面には注記扱いです」

「……注釈に落とす、か」


 ターナーは、少し笑った。


「実に、日本のやり方だね」


 対応は、それだけだった。

 掲示も、結界も、特別な処置もない。

 ただ、学内の担当部署に一通、正式な文書が回された。


「呼称整理について」


 それ以降、混乱は止まった。

 名前は増えなくなり、減りもしなかった。


 帰り際、ターナーは言った。


「君は、怪異を管理しているんじゃない。――人を、守っているんだね」


 万央は、少し考えた後、答えた。


「結果的に、そうなるだけです」

 ターナーは満足そうに頷いた。

「それで十分だ」


 その日の業務日誌には、こう記されている。

 国外文化由来の名称重複事案。

 人的被害なし。

 行政的整理により安定。

 経過観察とする。


 窓口は、また静かになった。

 斎藤万央の仕事は、今日も、何事もなかったように続いていく。



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