守るものが、無くなった神
現地調査は、そのまま続けられた。
再開発区域の外縁。
舗装が新しい道と、未整備の空き地が、唐突に切り替わる場所。
斎藤万央は、その“切れ目”で足を止めた。
「……ここですね」
地図上では、意味を失った線。
だが、現実には、確かに“区切られて”いる。
「ええ」
山川主悦は、万央の隣で静かに頷いた。
「人間の方には、何も見えませんでしょう。ですが、こちら側は……」
言葉を切り、地面を見る。
「まだ、役目を終えていません」
「塞の神、というのは……」
善野が、慎重に口を開いた。
質問の仕方一つで、相手がどういう存在かを測ろうとしている。
山川は、その姿勢を評価するように、わずかに視線を向けた。
「境を守る神です」
穏やかな声だった。
「村と村。内と外。生と死。人が越えてはならない線に、置かれる存在でした」
疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が集落に入るのを防ぐとされる神。
「でした、ということは」
万央が続きを促す。
「はい」
山川は、否定しなかった。
「今は、守る対象が消えています」
再開発によって、村は消えた。
道は埋め立てられ、区画は書き換えられた。
人間にとっては、ただの更新。
だが。
「境そのものは、誰も“終わらせて”いません」
山川の言葉は、淡々としていた。
「だから、残った」
「……祟りに転じる、ということですか」
善野の声が、わずかに硬くなる。
山川は、首を横に振った。
「完全な祟りには、至っていません」
そう言って、空を見上げる。
電線に、一羽の烏が止まっていた。
こちらを、見ている。
「ですが」
山川は視線を戻す。
「溜め込んでいます」
「何を」
「境を越えようとする“意志”を」
人が迷う。
転ぶ。
戻れなくなる。
それは、攻撃ではない。
止めているだけだ。
「……善意、ですね」
万央が言った。
山川は、少しだけ困ったように笑う。
「ええ。だからこそ、厄介です」
その時。
『まだ壊れてねぇな』
低い声が、頭上から落ちた。
善野が、思わず振り向く。
「今の……?」
そこには、烏しかいない。
だが。
山川だけは、ため息をついた。
「お前、相変わらず、高いところから話すな」
敬語は、使われなかった。
「降りてくる気、ねぇのか」
『必要ねぇだろ』
烏のくちばしは動いていない。
それでも、言葉ははっきり届く。
『人間も鬼も、ずいぶん忙しそうじゃねぇか』
山川は、肩をすくめた。
「……傍観者が口出す話じゃねぇ」
『へぇ』
烏が、首を傾げる。
『鬼が、神の肩を持つか。ずいぶん、人の側に立つようになったな』
善野は、背筋に冷たいものを感じた。
だが、万央は動じない。
「山川さん」
静かに呼ぶ。
「この神は、“守りたい”まま、残っている」
「はい」
山川は、即座に応じた。
「そして、人間側は、それを認識していない」
『それで?』
烏が、退屈そうに言う。
『どうする気だ』
山川は、万央を見る。
答えを、促すように。
万央は、少し考えた後、言った。
「壊すか、役割を変えるか」
烏が、低く笑った。
『面白ぇ。人間が、神の役割を決めるか』
「……決めなければなりません」
万央は、はっきり言った。
「このままでは、いずれ事故では済まなくなる」
烏は、翼を広げる。
『忠告しとく。境はな、壊すより、繋ぎ直す方が厄介だ』
山川は、鼻で笑った。
「昔から、口だけは達者だな」
『世話になった覚えはねぇぞ』
烏が、風に乗って飛び去る。
空気が、少し軽くなった。
善野が、ようやく息を吐く。
「……今のは」
「古い知り合いです」
山川は、それだけ言った。
そして、万央に向き直る。
「斎藤さん」
声音は、再び丁寧だった。
「これは、人間が“終わらせなかった”境です」
「ええ」
「ですから」
一拍置く。
「終わらせるか、別の役目を与えるか。人間側で、決めて頂く必要があります」
万央は、静かに頷いた。
善野は、その横顔を見て思う。
——これは、祓いの話ではない。
——引き受ける話だ。
境は、まだそこにある。
そして、誰かが決めるのを待っていた。




