線を越える声
その案件は、数字だけを見れば軽いものだった。
霊障レベルは低。
被害者は一名。
入院の必要なし。
だが、相談室に座る女性は、震えていた。
「……もう、大丈夫だって言われたんですけど」
声が、細い。
「“気のせい”だって」
監物美咲は、頷きながら話を聞いていた。
いつも通り。
落ち着いて。
丁寧に。
——途中までは。
面談が終わったあと。
怪異対策課の会議室で、簡易報告が行われた。
「今回は、経過観察で十分です」
斎藤万央の判断は、早かった。
「怪異反応は沈静化しています。これ以上介入すると、逆に不安を増幅させる可能性があります」
正論だった。
「……待ってください」
監物の声が、思ったより強く出た。
善野亘が、はっと顔を上げる。
「彼女」
監物は、続ける。
「“もう大丈夫”って言われて、一番困ってるんです。それ以上、誰にも言えなくなるから」
万央は、監物に視線を向ける。
「監物さん」
「はい」
「それは、理解しています」
否定はしない。
それが、監物の感情に、余計に火をつけた。
「理解してる、って」
美咲の声が、揺れた。
「じゃあ、なんで切るんですか」
空気が、張りつめる。
「この人、ちゃんと助けを求めてきたんですよ」
万央は遮らない。
「“軽いから”って理由で、これ以上関わらないのが正解ですか?」
感情が、先に出ていた。
万央は、すぐに答えなかった。
それが、いつもの癖だ。
監物は、それを冷たさとして受け取る。
「斎藤さんは」
言葉が、少し荒くなる。
「人の話を聞いてるつもりで、決めるの、早すぎませんか」
善野が、口を開きかけて、止めた。
これは——
止めていい場面ではない。
「……監物さん」
万央は、静かに言った。
「私は、“切っている”つもりはありません」
「では、何ですか」
「線を引いています」
淡々と。
「今、ここで私たちが深く関わると」
万央は言葉を続けた。
「彼女は、“何かしてもらうのを待つ人”になる」
監物は、言葉を失う。
「それは」
万央は、続ける。
「助けではありません。――依存です」
はっきりとした言葉だった。
「……そんな」
美咲の声が、低くなる。
「それでも、一人にするより、いいじゃないですか」
万央は、首を振る。
「一人にはしません。支援は、続けます。――ただ、怪異対策課は、“ここまで”です」
机に置かれた資料を、指で示す。
沈黙が満ちた。
監物が、視線を落とす。
分かっている。
理屈は、通っている。
それでも。
「……冷たいですね」
ぽつりと、零れた。
それは、仕事の言葉ではなかった。
万央は、少しだけ表情を変えた。
ほんの一瞬。
眼鏡の奥の眼を細めた。
「そうかもしれません」
否定しない。
「でも、私がここで情に寄ったら。次に傷つくのは、相談者です」
そして。
「あなたでもあります」
その言葉に、美咲は顔を上げた。
会議は、それで終わった。
結論は、万央の判断通り。
善野は、何も言わなかった。
言えなかった。
廊下で。
監物は、足を止める。
胸の奥が、ざわついている。
怒りだけではない。
悔しさと。
——理解してしまった自分への戸惑い。
「……斎藤さん」
小さく、名前を呼ぶ。
万央は、振り返らなかった。
その背中が。
正しいことを、分かった上で選んでいる人の背中だったから。
それが、一番、腹立たしかった。




