委託
その怪異は、祓わなければならないと判断された。
理由は、明確だった。
すでに、負傷者が出ている。
市民が、明確に危険に晒されている。
共生も、調整も、先延ばしも不可能。
怪異対策課の会議室で、斎藤万央は、静かにその資料を閉じた。
「……内部対応は不可」
誰かが、言葉にする。
「はい」
万央が答える。
「この件は、祓い案件です」
その瞬間、空気が少しだけ硬くなった。
市役所は、基本的に祓いをしない。
それが、この部署の前提だ。
調整する。
折り合いをつける。
制度に落とし込む。
——消すことは、しない。
だから。
「外部委託、ですね」
善野亘が、淡々と言う。
万央は、頷いた。
「はい。正式に」
委託先は、古い名簿に載っている。
民間怪異対処業者。
通称、祓い屋。
行政と関わることを嫌う者も多いが、今回呼ばれたのは、比較的“話が通じる”相手だった。
待ち合わせ場所は、市役所裏の応接室。
時間ぴったりに、ノックが入る。
「どうぞ」
入ってきたのは、黒いコートを着た、三十代くらいの男。
名刺を差し出す。
「——民間契約祓師の、御手洗綽です」
万央は、それを受け取った。
「斎藤万央です。怪異対策課」
御手洗は、名刺を一瞥し、少し笑う。
「……珍しいですね」
「何がでしょう」
「市役所が、最初から“祓え”って言うのは」
万央は、否定しない。
「今回は」
資料を差し出す。
「被害が拡大する前に、終わらせる必要があります」
御手洗は、資料に目を通す。
数秒。
表情が、変わった。
「……これは」
「ええ」
「祓えますか」
万央は、真正面から聞く。
御手洗は、少し考えてから答えた。
「祓えます」
即答ではなかった。
「ただし」
「はい」
「戻りませんよ」
その一言に、善野が、僅かに身じろぎする。
万央は、頷いた。
「承知しています」
契約書は、簡潔だった。
目的:怪異の完全除去
方法:委託先裁量
結果責任:委託先
市の関与:なし
——冷たいほど、割り切っている。
御手洗は、署名をしながら言った。
「これ、嫌いな仕事です」
「……そうですか」
「“いなかったことにする”ってのは」
ペンを置く。
「誰かが、覚えてないと、いけない」
万央は、静かに答えた。
「記録は、残します」
「消すくせに?」
「消すからです」
万央は、目を逸らさない。
「だから、残します」
御手洗は、少しだけ口角を上げた。
「……なるほど」
その夜。
現場から、連絡が入る。
『——完了しました』
それだけ。
詳細は、報告されない。
聞かない。
聞いてはいけない。
それが、委託だ。
翌朝。
被害報告は、止まった。
苦情も、相談も、来ない。
怪異は、存在しなかったことになった。
「……これで、良かったんでしょうか」
善野が、ぽつりと呟く。
万央は、書類を閉じながら答える。
「良いかどうかは、分かりません。でも」
一拍。
「必要でした」
善野は、頷いた。
納得ではない。
理解だ。
御手洗綽から、最後に一通、メールが届く。
覚えておきます。
それが、俺の仕事なので。
万央は、返信しない。
市役所は、覚えない。
覚えないことで、守る。
祓い屋は、覚える。
覚えることで、背負う。
それぞれの、役割だ。
今日も、怪異対策課の窓口は、開いている。




