表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/71

頼ってもいい人

 それは、午後三時過ぎのことだった。

 怪異対策課の窓口は、珍しく空いていた。


 斎藤万央(さいとうまひろ)は、書類を一枚、二枚と確認しながら、その三枚目で、手を止めた。


 ——読めない。

 文字は、そこにある。

 意味も、分かる。


 なのに、判断が、先に進まない。


「……」


 万央は、深く息を吸って、吐いた。


 理由は分かっている。これは、弓削田遥香と似た構造だ。

 役割が人を削るタイプ。


 だが、今回は、万央は当事者ではない。

 それでも、指が動かない。


「斎藤さん」


 後ろから、声がした。

 振り向くと、善野亘(よしのとおる)が立っている。


「何か、お困りですか」


 業務用の、いつもの敬語。

 いつもの距離。


 万央は、一瞬、迷った。

 これを聞くのは、仕事として正しい。

 でも、今の自分は——


「……少しだけ」


 その言葉が、口から出た瞬間、万央自身が、少し驚いた。

 善野の表情が、ほんのわずかに変わる。


「はい」

 即答だった。

「どうしましたか」



 会議室の隅。

 誰も来ない時間帯。


 万央は、書類を机に置いた。


「判断が、出来ません」


 それだけ言う。


 言い訳もしない。

 背景も説明しない。


 善野は、書類を読まない。

 まず、万央を見る。


「斎藤さん」

「はい」


「それは、“出来ない”ですか」

 一拍。

「それとも、“したくない”ですか」


 万央は、目を伏せた。


「……分かりません」


 正直な答えだった。



 善野は、頷いた。

「じゃあ、今は決めなくていいと思います」


 万央が顔を上げる。

「え?」


「判断を、預けてください」

 淡々とした声。

「正式な決裁は、斎藤さんがします」


「でも」

「今は、考える役を、分けましょう」


 それは、仕事としても、個人としても、正しい距離だった。


 万央は、ゆっくりと息を吐いた。


「……善野くん」

「はい」


「ありがとう」


 その言葉は、上司としてでも、職員としてでもない。

 ただの、人としてのものだった。


 善野は、少しだけ視線を逸らす。


「いえ。後輩ですから」


 そう言ってから、付け足す。


「頼ってもらえる方が、嬉しいです」


 思わず言ってしまった、と分かる間。

 だが、取り消さない。



 結局、その案件は、一晩、寝かせることになった。

 急がなくていい。

 善野が、そう言った。


 万央は、久しぶりに、仕事を家に持ち帰らなかった。



 帰り際。

 エレベーターの前で、善野が言う。


「斎藤さん」

「はい」


「これ、仕事でも、仕事じゃなくても……どっちでも、いいと思います」


 万央は、微かに笑った。

「じゃあ、今日は、後者で」


 エレベーターの扉が閉まる。


 それだけのこと。

 それでも、万央は思った。

 

 ——頼るというのは、弱くなることではない。


 判断を、分け合うことだ。


 そのことを、この後輩から教えられる日が来るとは、思っていなかった。


 それでも。

 悪くない。


 そう思える自分がいることに、万央は、少しだけ安心した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ