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仕事と私事の間

 齋藤万央(さいとうまひろ)の様子がおかしい。

 善野亘(よしのとおる)はすぐに気付いた。


 時間を確認する。

 丁度、勤務修了の時間だった。


 善野はひとつ息を吐く。

 そしてネクタイを外した。


 市役所の近くの自販機前。

 業務時間外。


 缶コーヒーを二本買って、戻ってくる。


「斎藤さん」

「……はい」


「今回の件、報告書は……」


 一瞬、万央の肩が強張る。


「いえ」

 善野は、すぐに続ける。

「聞きません」


 間が空いた。

 いや、猶予をくれた。


「ただ」

 缶を一本、差し出す。


「斎藤さんが、“自分の仕事じゃないこと”を背負い始めてるのは、見てて分かります」


 万央は、受け取らない。


「善野くん」

「はい」


「それは、職員として言ってる?」


 善野は、少し考えてから答える。


「……いいえ」

 目を逸らさずに。

「後輩としてです」


 善野は真面目な表情で続けた。


「斎藤さん。もし、それが怪異対策課の仕事じゃないなら」

 一拍。

「——斎藤万央さんの問題でも、ないです」


 万央が、顔を上げる。


「それは……」

「“同級生”の問題です」


 善野は、丁寧に言う。


「だから、職員として一人で抱える必要は、ありません」


 遠回しだが、明確だ。

 “仕事の責任から、いったん降りろ“という提案。


 万央は今、判断を誤ったかもしれない。でも放り出せない。相談すると処分される、三重拘束の状態だ。


 善野は、そこから一つを外してみせた。

 仕事じゃない。だから、前例にしない。共有もしない。

 その代わり、孤立もしない。


 最後に、善野はこう言える。


「斎藤さん。もし、限界が来たら、“仕事じゃなくていいから”って言ってください」


 缶コーヒーを、改めて差し出す。


「それなら、聞けます」


 これは、規則違反ではない。介入でもない。

 それでも、人を支える言葉だ。


 万央は救われたわけではない。

 でも、一人ではないと思わされた。

 善野亘は一線を越えない。


「斎藤さんを尊敬しています。だから、壊れてほしくない」


 だが。

 万央が背中を預けられる存在になると、宣言した。


 万央は、初めて「一人で背負わなくていいかもしれない」と思った。

 それが、弱さではなく選択肢だと気付いたのだ。




 善野亘(よしのとおる)は、斎藤万央(さいとうまひろ)の背中を、よく見ていた。

 前に立つ人だ。

 指示を出すより、先に動く。

 誰かに任せるより、自分で引き受ける。

 だから、尊敬している。

 それは、疑いようがなかった。


 弓削田遥香(ゆげたはるか)の相談記録を読んだとき、善野は、まず怪異を疑った。

 だが、読み進めるうちに、違和感は別の場所に移った。

 斎藤万央の文が、いつもより整いすぎている。

 感情がない、という意味ではない。

 逆だ。

 感情を、完璧に仕舞っている。

 それが出来る人ほど、限界を超えてしまう。


 斎藤万央は、言わない。

「助けたい」とも、「つらい」とも。

 だから、こちらが言うしかない。

 ——一人でやらなくていい、と。


 あの日、自販機の前で言った言葉は、本当は、ずっと前から用意していた。

「仕事じゃなくてもいいです」

 あれは、逃げ道だ。

 制度の中では許されない。

 後輩としては、ぎりぎりだ。

 でも、人としては、必要だった。


 斎藤万央は、強い。

 それは、疑いようがない。

 それでも。

 善野は思う。

 強い人ほど、誰かが横にいないと、折れる。

 自分が、その「誰か」になれるとは思っていない。

 なろうともしていない。

 ただ。

 斎藤万央が、戻ってこられなくなる方向に歩き出したら。

 そのときは、一番近い後輩として、声をかける。

 それだけでいい。


 尊敬と、憧れと、名前をつけるには、まだ早い感情。

 善野亘は、それを抱えたまま、今日も「斎藤さん」と、名前を呼ぶ。

 それが、今の正解だと、信じているからだ。




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