再会
窓口に座った女性を見た瞬間、斎藤万央は一瞬だけ、呼吸を止めた。
「……久し振り」
先に声を出したのは、向こうだった。
制服ではない。
社会人らしい服装。
髪型も、メイクも変わっている。
それでも、間違えようがなかった。
「……久し振り」
万央は、職員としての声で返した。
まだ、名乗られていない。
けれど、万央は、すでに高校時代の名前を思い出す。
弓削田遥香。
同級生だ。
特別に親しかったわけでもない。
だが、確かに、同じ時間を生きていた人だった。
「怪異対策課、でいいんですよね」
「はい。ご相談内容をお伺いします」
マニュアル通り。
丁寧で、距離のある口調。
弓削田は、少しだけ笑った。
「変わらないね。そういうところ」
万央は、何も返さなかった。
「……変な話なんだけど」
弓削田は、指先を組んだ。
「最近、私の周り、時間が一個多いの」
「時間、ですか」
「一日が二十五時間ある、とかじゃないよ」
自分で言って、首を振る。
「そうじゃなくて……“やった覚えのないこと”が、終わってる」
仕事。
メールの返信。
洗濯。
「ちゃんと結果はある。でも、その途中が、全部抜けてる」
万央は、頷いた。
この窓口では、よくある話だ。
「第三者の介入が疑われますか?」
「それが……誰もいない」
弓削田は、視線を落とした。
「家にも、防犯カメラにも、何も映らない。でも、確実に“私の代わり”がいる」
万央は、ペンを走らせながら、ふと高校時代を思い出す。
この人は、要領がよかった。
頼まれたことは、全部こなしていた。
「昔から、そうだったよね」
つい、口を滑らせる。
弓削田は、顔を上げた。
「ああ……覚えてるんだ」
「……はい」
一瞬、窓口ではなく、同級生同士の空気が流れた。
「ねえ、万央ちゃん」
声が、少しだけ低くなる。
「私、ちゃんと生きてる?」
万央の手が止まった。
怪異相談で、いちばん答えてはいけない質問だった。
「それは——」
言いかけて、止める。
制度は、生きているかどうかを判定しない。
被害があるか、ないか。
危険か、そうでないか。
「今のところ、実害は確認されていません」
事務的な答え。
弓削田は、少し安心したように、でも寂しそうに笑った。
「そっか……よかった」
その反応が、万央の胸を締めつけた。
安心してはいけないことに、安心してしまっている。
「対応としては」
万央は、淡々と続ける。
「記録を取ります。必要であれば、経過観察。今後、身体的・精神的被害が出た場合は——」
「それまで、何もしない?」
弓削田が、遮った。
「……はい」
万央は、正直に答えた。
「“代わり”が生活を侵食しない限り、こちらから介入はできません」
弓削田は、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「ねえ」
「はい」
「高校の時さ。私、よく人の分まで仕事してたでしょ」
「……はい」
「頼まれると断れなくて」
小さく笑う。
「今も、そうなんだと思う」
万央は、何も言えなかった。
怪異は、外から来るとは限らない。
役割が、人を食うこともある。
相談は、それで終わった。
正式な案件にはならない。
記録は残るが、処理は「経過観察」。
立ち上がる前、弓削田は少しだけ身を乗り出した。
「ねえ、万央ちゃん」
「はい」
「もしさ。ある日、私が来なくなっても」
万央は、息を詰める。
「……その“代わり”が、来たら」
一拍。
「ちゃんと、窓口に通してね」
冗談めかした口調だった。
万央は、笑えなかった。
「……規則に従います」
それしか言えなかった。
弓削田は、満足そうに頷いた。
その日の業務終了後。
万央は、相談記録を見返していた。
名前。弓削田遥香
年齢。三二歳
住所。紋霞市――
どれも、正確に書かれている。
なのに、胸の奥に、違和感が残る。
——この人は、いつまで「本人」だろう。
窓口のガラスに、万央自身の顔が映る。
自分も、いつか。
誰かに代わられても、気付かれない側になるのではないか。
その考えを、業務日誌には書かなかった。
書類は、怪異を呼ぶ。
それを、斎藤万央は知っていた。




