封印後の違和感
決裁から、三週間が過ぎた。
旧庁舎第三会議室前踊り場は、公式には「使用停止」となった。
黄色と黒のテープ。
立入禁止の簡素な看板。
管理台帳には、赤字で一行。
恒久使用停止(理由:構造上の問題)
誰も異議を唱えない。
誰も詳しくは聞かない。
だから――問題は、何も起きない。
それが、最初の違和感だった。
封印後、転倒事故はゼロ。
夜間通報なし。
不審者情報なし。
警察からの照会も来ない。
杜下卓が言った。
「……平和ですね」
斎藤万央は、書類から目を離さず答えた。
「ええ。――“平和すぎる”くらいです」
本来なら、封印した場所は「名残」を残す。
噂。
嫌な感じ。
避けられる気配。
だが、あの踊り場には――何もない。
まるで、「最初から、そんな場所はなかった」と言われているようだった。
万央は、単独で旧庁舎を訪れた。
業務外ではない。
だが、報告書にも書かれない確認。
テープはそのまま。
看板も剥がされていない。
しかし、床の埃の付き方が、おかしい感じがした。
足跡がないのではない。
「足跡がつく前提で、整えられている」ように見えた。
万央は、立入禁止線の外から、踊り場を見下ろす。
何も見えない。何も感じない。
それでも、空間が「待っている」感じだけが残っていた。
数日後。
管理課から回ってきた定期更新資料。
万央は、ふと手を止める。
踊り場の管理区分が、「使用停止」から、「管理対象外」に変わっていた。
決裁はされていない。
誰も変更していない。
だが、システム上では、「対象から外れた」扱いになっている。
万央は、そっと古参職員に聞く。
「……この変更、誰が?」
古参職員は首を傾げる。
「? いや、“使わない場所”は、いずれそうなるだろ」
正しい。
極めて、制度的に正しい。
だが――早すぎる。
警備員は言う。
「あそこ? 前から通れなかったですよね」
清掃員は言う。
「え? 踊り場? ありましたっけ」
新規配属の職員は、平面図を見て首を傾げる。
「この空白、最初からこうでした?」
誰も、違和感を覚えない。
覚えないように、調整されている。
怪異は消えていない。
万央には、分かる。
だが、「再発」する条件を失った。
・使われない
・意味を与えられない
・責任を負う人間が存在しない
それは封印であり、同時に、切り捨てでもある。
万央は、自分の決裁文を読み返す。
「社会的機能は、すでに終了しているものと判断する。」
この一文が、怪異の“居場所”を奪った。
帰り際、万央は旧庁舎の階段を下りる。
一瞬だけ、風が逆流した。
踊り場の方から。
声ではない。
音でもない。
ただ、「呼ばれなかった」感触。
万央は、足を止めない。
振り返らない。
それが、この封印の条件だからだ。
怪異は、封じられた。
だが、制度は、一つ“無かったこと”を作った。
万央は知っている。
次に怖いのは、怪異ではない。
「無かったことに慣れる人間」だ。
それでも、今日も窓口は開いている。
誰かが、終わらせなければならないから。




