誰が、どう終わらせるのか
終わらせるのは、霊能者でも、警察でも、施設管理でもない。
書類を書く人間だ。
誰が。
斎藤万央が、その役を引き受ける。
その理由は単純で、残酷だ。
現場を見た。
構造を理解した。
祓えないと判断した。
それでも「何もしない」ことを選ばなかった。
つまり――判断の連鎖の最後に立ってしまった。
課長は言う。
「斎藤さん、これは“事故処理”じゃない」
古参職員も言う。
「だが、“怪異処理”でもないな」
警察は言う。
「再発防止策としてなら、行政判断でいけます」
誰も「やれ」とは言わない。
だが、誰も「やるな」とも言わない。
万央がやるしかない。
――どうやって?
万央は眼鏡の傾きを直した。
祓わない。
封印符も使わない。
結界も張らない。
市役所員として、文章で終わらせる。
作られるのは、一枚の内部決裁文書だ。
表題は、極めて事務的。
旧庁舎第三会議室前踊り場
恒久使用停止および管理区分変更について
中身は、さらに冷たい。
・当該箇所は構造上の危険性を有する
・事故再発の恐れがある
・改修・撤去は現実的でない
・よって、使用を恒久的に停止する
そして、一文が添えられる。
本件に関し、当該場所における社会的機能は、すでに終了しているものと判断する。
この文言を選ぶのは、万央だ。
「事故が起きた」とも書かない。
「怪異がある」とも書かない。
「危険だから」でもない。
“役割が終わった”と断定する。
それは、その場所が持っていた「意味」を行政が奪う行為だ。
存在感希薄型、構造固定型の怪異は、
見られることで。
使われることで。
意識されることで。
現象を再生する。
逆に言えば、記録上、終わり。使用されない。意味を与えられない。
その状態になると、再生できなくなる。
消えない。
だが、起きない。
それが封印だ。
決裁の瞬間、万央は、印鑑を押す前に、一度だけペンを止める。
頭に浮かぶのは、最初の犠牲者の名前。
そして、“次になりかけた人”。
万央は、私情を切り捨てる。
「かわいそうだから」ではない。
「怖いから」でもない。
「続けさせないため」だ。
印鑑が押される。
音は、乾いている。
その瞬間、旧庁舎の踊り場で、誰にも気づかれず、「次の死」だけが消える。
書類を書き終わったあと、杜下卓が、ぽつりと言う。
「……これ、祓うより、ずっと怖いですね」
万央は答える。
「はい。でも、これが一番、人が死なないやり方です」
怪異は残る。
場所も残る。
ただ、“そこに立つ理由”だけが消えた。




