責任の所在
「雇う、って……本気かい?」
怪異対策課の会議室で、最初に声を上げたのは課長だった。
声を荒げるわけではない。
だが、慎重さがにじんでいる。
「相手は怪異だぞ。存在感が薄いタイプとはいえ、前例は、ない」
斎藤万央は、淡々と資料を差し出す。
「正確には、“前例がないから禁止”という規定もありません」
そして淡々と続ける。
「外郭団体の臨時職員枠は、要件が緩い。業務内容も、限定的に設定できます」
古参職員が、ため息をついた。
「……責任を、持たせるってことだな」
「はい」
その一言で、空気が変わった。
責任。
それは、人間社会では当たり前だが、怪異にとっては、極めて重い。
課長が言う。
「もし問題を起こしたら?」
「契約上の処理になります」
「労務、懲戒、最悪の場合、解雇」
「解雇、ね」
古参職員が苦く笑う。
「祓うより、残酷だな」
万央は、否定しない。
「それでも、“使われ続ける”よりは、健全です」
一方、外郭団体側の反応は、もっと露骨だった。
「いや……助かってはいるんですけどね」
センター長は、言葉を濁す。
「正式に雇うとなると……責任が、こちらに来ますよね」
「はい」
万央は即答する。
「業務管理責任が、発生します」
「……それは、ちょっと」
本音だった。
便利だった。
問題を起こさなかった。
誰の負担にも、なっていなかった。
だからこそ、曖昧なままでよかった。
「辞めてもらう、という選択もあります」
万央は、静かに告げる。
センター長は、黙った。
その夜。
怪異は、センターの片隅に立っていた。
以前より、輪郭が薄い。
だが、まだ、そこにいる。
「……雇われる、という話を聞きました」
誰かが、噂として伝えたのだろう。
「どう思いますか」
万央は、尋ねた。
怪異は、しばらく沈黙し、それから答える。
「怖いです」
正直な言葉だった。
「間違えたら、責められる。出来なかったら、怒られる。……いなくなれ、と言われる」
「それが、責任です」
万央は、はっきり言う。
怪異は、俯く。
「でも」
万央は、続けた。
「今は、誰かが間違えても、あなたのせいにされません。同時に、あなたが正しくても、評価されません」
怪異は、静かに呟いた。
「……それは……少し、空っぽです」
万央は、頷いた。
翌日。
センターで、小さな事故が起きた。
相談記録の一部が、行方不明になった。
すぐに見つかった。
だが、誰が動かしたのか、分からない。
「……あの人、最近見ないね」
職員の一人が言う。
誰も、名前を出さない。
その瞬間、怪異の存在が、さらに薄くなった。
必要とされなくなったわけではない。
“責任を負えない存在”として、無意識に遠ざけられている。
万央は、それを見逃さなかった。
課内で、最終確認が行われる。
「雇用か」
「解消か」
二択だ。
古参職員が、万央を見る。
「本人の意思は?」
「……迷っています。でも」
万央は、言葉を選ぶ。
「“選ばされないまま消える”ことは、望んでいません」
課長は、長く黙った後、言った。
「なら、選ばせるしかないね」
万央は、契約書案を作った。
勤務日数、業務範囲、責任区分。
極めて、事務的。
だが、その一行一行が、怪異を“存在”から“人員”へと変えていく。
名前欄は、空白のまま。
「名前は」
万央は、怪異に言う。
「自分で決めてください」
怪異は、初めて戸惑った顔をした。
「……私に?」
「はい」
「頼まれた名前ではなく、自分で」
それは、仕事以上に、重い選択だった。
夜。
怪異は、窓の外を見ながら言った。
「責任を持つと、私は、怪異でいられなくなりますか」
万央は、少し考える。
「いいえ。――ただ、“便利な怪異”では、なくなります」
怪異は、小さく笑った。
「……それなら、悪くないかもしれません」




