死亡扱い
怪異対策課の会議室は、午前中から静かだった。
緊急案件ではない。
だが、軽くもない。
斎藤万央は、机の上に書類を並べていた。
戸籍課、人事課、警察、医療機関。
それぞれが「自分の役目は終わっている」と主張する資料だ。
「……揃ってはいるんです」
万央は言った。
「死亡を否定する資料はありません。ただし、確定させる資料もない」
課長は腕を組み、古参職員は椅子に深く座っている。
善野亘は、黙ってメモを取っていた。
「十五年前の事故。警察は事故処理済み。病院は死亡確認前に搬送中止。家族は“戻るかもしれない”として届出を出さなかった」
万央は視線を上げる。
「制度上、誰も間違っていません。その結果、岡本絢太は――生きていることになっています」
古参職員が、低く息を吐いた。
「……小鳥遊とは、違うな」
善野が顔を上げる。
「小鳥遊さんの時は、名簿が先でしたよね」
「そうだ」
古参職員は頷く。
「名簿が人を縛った。だから、名簿を閉じれば終わった」
そして、万央の前の書類を指で叩く。
「だが今回は逆だ。人はもう終わってる。終わってるのに、制度が閉じてない」
会議室が、少しだけ重くなる。
「これは怪異というより……」
善野が言葉を探す。
「制度事故、ですね」
「近い」
古参職員は即答した。
「しかも厄介だ。誰かが悪いわけじゃない」
課長が、静かに言った。
「だからこそ、怪異対策課に来ている」
万央は、頷いた。
問題は、死亡扱いを誰が確定させるかだった。
死亡届は、家族が出す。
それが原則だ。
だが、家族はいない。
正確には、「終わらせなかった」。
「代替手続きは?」
課長の問いに、万央は答える。
「法的にはありません。ただし――」
一枚の内部資料を差し出す。
「“社会的役割終了”としての整理は可能です」
善野が目を瞬かせる。
「それって……」
「死亡とは書きません」
万央は言った。
「ただ、これ以上、制度上の役割を持たない、と記録します」
古参職員が、少しだけ笑った。
「死んだ、とは言わない。だが、生きているとも扱わない」
「グレーですね」
善野が言う。
「行政は、グレーが仕事です」
万央は、淡々と返した。
午後、万央は再び岡本絢太の家を訪れた。
扉は、前回と同じ速度で開く。
「……進みましたか」
岡本は、そう聞いた。
「はい」
万央は、正直に答える。
「ただし、時間がかかります」
岡本は、頷いた。
「それでもいいです」
少し間を置いて、続ける。
「生きていることにされ続けるより、ずっと」
その言葉に、万央は視線を逸らさなかった。
「一つだけ、確認させてください」
「はい」
「貴方は、“戻る”つもりはありませんね」
岡本は、はっきりと首を振った。
「もう、戻る場所がありません」
それで十分だった。
帰庁後、万央は一つの文書を起案した。
当該人物について、公的役割・社会的責任・行政対応の対象をすべて終了とする。
死亡とは、書かない。
だが、続きはない。
課長は、それに決裁印を押した。
古参職員は、何も言わなかった。
善野は、少しだけ息を吐いた。
「……これで、終わるんでしょうか」
万央は答える。
「いいえ」
静かに。
「これは、“終わらせ始めた”だけです」
その夜。
市役所のシステムから、
岡本絢太の名前は、参照先として一つ減った。
完全には消えない。
だが、確実に薄くなっている。
生きていることになっている人間を、死亡扱いにする。
それは、祓いよりも、ずっと重い仕事だった。




