表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/54

生きていることになっている

 水曜日、午前九時半。

 怪異対策課の窓口は、まだ静かだった。

 斎藤万央(さいとうまひろ)は、いつも通り書類を確認していた。

 戸籍課から回って来た照会資料。

 その束の中に、少しだけ違和感のある一枚が混じっている。


 氏名:岡本絢太(おかもとけんた)

 生年月日:昭和五十七年

 現住所:紋霞市――

 死亡欄:空白。


 万央は、ページをめくる。

 住民税は数年前から免除。

 国民健康保険は資格喪失。

 だが、戸籍上は――生存。


「……処理が止まってる」

 独り言のように呟いた瞬間、内線が鳴った。

「怪異対策課、斎藤です」


『戸籍課です。すみません、その岡本絢太さんの件ですが……苦情が来ています』


「苦情、ですか」

『はい。“本人”から』


 万央は、一瞬だけペンを止めた。

「……内容は?」


『自分を、いつまで生きていることにするのか、って』


 言葉を選びながら話す声だった。

 戸籍課の職員も、それが普通ではないと分かっている。


「分かりました。こちらで引き取ります」

 受話器を置いたあと、万央は深く息を吐いた。




 現地は、紋霞市郊外の古い住宅地だった。

 区画整理から外れたまま、時間だけが積もったような場所。

 表札は出ていない。

 郵便受けには、投函物がない。


 インターホンを押すと、すぐに応答があった。

「……はい」

 声は、はっきりしている。

 だが、少しだけ遅れて届く感じがした。


「市役所の者です。斎藤と申します」


 鍵の開く音。

 扉が開いた。

 そこに立っていたのは、三十代半ばほどの男性だった。

 顔色は悪くない。

 服装も整っている。

 ただ――

 玄関の奥に、人の生活の“熱”がない。


「……来てくれたんですね」

 岡本絢太は、静かに言った。


 室内は整っていた。

 埃はない。

 だが、何年も“更新”されていない空間だった。


「失礼ですが……」

 万央は、慎重に言葉を選ぶ。

「現在、お一人でお住まいですか」


 岡本は、少し考える。

「戸籍上は、そうなっています」


 万央は、頷いた。

 否定しない。訂正もしない。


「死亡届が、提出されていません」


 その一言に、岡本の表情が僅かに歪んだ。


「……ええ。知っています」

「いつ頃から、この状態ですか」


「十五年前です」

 即答だった。

「事故でした。公式には」


 万央は、メモを取らない。

 今は、聞く段階だ。


「ご家族は?」


「……処理を、止めました」

 岡本は視線を落とす。

「私が、戻るかもしれないって」


 その言葉で、万央は理解した。

 この怪異は、怒りでも、怨念でもない。

 未確定のまま、置かれた人間だ。


「苦情について、確認させてください」

 万央は、淡々と続ける。

「貴方は、“生きている扱い”に不満がある」


「はい」

「同時に、“死んだ扱い”にもされていない」


「……それが、一番困るんです」

 岡本は、静かに言った。

「私は、何も出来ない。でも、存在だけは残る」


 万央は、その言葉を噛みしめる。

 怪異としては、弱い。


 だが、制度にとっては、極めて重い。


「貴方は、どうしたいですか」


 岡本は、しばらく黙った。

 そして、答えた。


「ちゃんと、終わりにしてほしい」


 その瞬間、

 部屋の空気が、わずかに沈んだ。

 万央は立ち上がる。


「分かりました。この件は、怪異対策課で引き取ります」


「……出来るんですか」


「出来るかどうかではなく、やるべき案件です」


 岡本は、少しだけ安心した顔をした。


 帰り道、万央は杜下卓(もりしたたくみ)に連絡を入れた。


「杜下さん。十五年前の死亡事故、未提出案件、覚えはありますか」

『……あります』


 即答だった。

『処理が、止まったままのやつですね』

 万央は、空を見上げる。


「今回は、止めたままに出来ません」

『……分かりました。協力します』


 電話を切る。


 生きていることになっている死者。

 制度が決められなかった結論。

 万央は、心の中で整理する。


 ――これは、祓う話ではない。

 ――“認める”話だ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ