書類があるなら、ここに居ていい
午後二時過ぎ。
怪異対策課の窓口は、相変わらず静かだった。
「斎藤さん、外国の方が……その、少し変わっていて」
受付の善野亘が、声を落として言う。
万央は顔を上げ、頷いた。
「お通ししてください」
現れた「それ」は、若い女性の姿をしていた。
年齢は二〇代後半くらい。
髪は淡い金色だが、染めた感じではない。
服装は日本の量販店で揃えたような、無難すぎるコーディネート。
だが――影が、少し薄い。
椅子に腰掛けると、音が遅れて鳴った。
善野が一瞬だけ目を瞬かせたが、何も言わない。
女性は、深く一礼した。
「はじめまして。住民登録について、ご相談があります」
名前はない、と彼女は言った。
「向こうでは、“通りに憑くもの”・“市場の隙間に残るもの”――そう呼ばれていました」
国は複数。
人の往来が多い場所を渡り歩いてきた存在。
「でも、日本では……」
彼女は、持参した書類を差し出す。
・住民異動届(未記入)
・利用規約の写し
・市役所案内パンフレット(付箋だらけ)
「どこにも、私の居場所が書いてない」
同行していたエドワード・ターナーが、軽く手を挙げる。
「彼女ね、“居ていいと言われた場所にしか居られない”タイプだ。英国だと、暗黙で済む。でも日本では――」
「明文化されていないと、不安になります」
万央は、静かに理解した。
これは、排除されてきた怪異ではない。
制度を信じ過ぎてしまった怪異だ。
万央は、書類を一枚ずつ確認する。
そして言った。
「住民登録はできません」
女性の肩が、ほんの少し落ちる。
「ですが」
万央は、続ける。
「滞在届、という扱いなら可能です」
善野が目を丸くする。
そんな様式は、通常使わない。
「市の管理下で、特定区域に留まる意思がある場合、“暫定存在”として記録します」
万央は、ペンを取った。
・名称:記載不能
・種別:国外由来小怪異
・滞在理由:文化的適応のため
・危険性:低
最後に、朱肉を押す。
女性は、その書類を見て――泣いた。
声を上げず、ただ、ぽろぽろと涙が落ちる。
「……紙に、書いてある。ここに居ていいって」
万央は、ティッシュを差し出す。
「期限は三か月です。延長が必要なら、また来てください」
女性は、何度も頷いた。
その後、市内での怪異被害は、特に報告されなかった。
ただ一つ。
夜の市場で、
・通路が少し歩きやすくなった
・人が自然に譲り合うようになった
誰も、それを不思議に思わない。
帰り際、ターナーが、ぽつりと言う。
「万央さん。君の国は、不思議だね。怪異にまで、“仮の席”を用意する」
万央は、少し考えて答えた。
「空席がないと、困る人が出ますから」
ターナーは、くすっと笑った。
「……それは、とても優しい制度だ」
報告書・結語
「国外由来怪異。
制度的滞在の明文化により安定。
書類文化への適応が確認されたため、
当面、経過観察とする」




