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怪異はだいたい、忙しくない日に来る

 その日は、特に何も起きていなかった。

 怪異対策課の午前は静かで、電話も鳴らず、窓口も空いている。


 斎藤万央(さいとうまひろ)は、冷めかけたコーヒーを一口飲みながら、書類に目を通していた。


「……平和ですね」


 ぽつりと呟くと、向かいの席の善野亘(よしのとおる)が顔を上げる。


「こういう日は、逆に怖くないですか」

「何がですか」


「“何もない”っていうのが」


 万央は、少し考えてから答えた。

「今日は、来ない日だと思います」


「根拠は」

「勘です」


 善野は、あまり納得していない顔をした。


 その直後だった。

 自動ドアが、「ウィーン」と、いつもより軽い音を立てて開いた。


 入ってきたのは――小さな、影。

 ぴょこん、と跳ねて、窓口カウンターの前で止まる。


 身長は、大人の膝くらい。

 ふわふわしている。

 毛がある。

 色は、薄い茶色。


 善野が、思わず呟く。


「……可愛い」


 影は、「ぺこり」と頭を下げた。


「いたずらして、ごめんなさい」


 声は、子どものように高いが、妙に丁寧だった。


 万央は、いつも通り、穏やかに聞いた。

「どういった、いたずらでしょうか」


 影は、小さな前足をもじもじさせる。

「落とし物を、少しだけ移動させました」


「どの程度ですか」

「……すぐ見つかる場所に」


 善野が、思わず口を挟む。


「それ、いたずらですか?」

 影は、しょんぼりする。


「だって、大人の人が、すごく慌てるんです。子供は、一緒に探してくれるのに」


 万央は、理解した。

 これは――子どもに好かれる系の怪異だ。


 影は、語る。


 ・帽子を隣のベンチに移した

 ・鍵を植木鉢の裏に置いた

 ・スマホを、すぐ見える隙間に滑らせた


 子供は笑う。

「宝探しみたい!」と。


 大人は、困る。

 時間がないから。


 善野は、「それは困りますね……」と言いかけて、止まる。

 影が、慌てて続けた。


「でも、無くしてないです! 返してます! ちゃんと、“すぐ見つかる”ところに!」


 万央は、メモを取りながら言った。


「今後は、移動していい物と、だめな物を決めましょう」


 影は、目を輝かせる。


「決まりですか」

「はい」


「守ります!」


 即答だった。

 善野は、小声で万央に聞く。


「……これ、解決ですか?」

「はい」


「祓わなくていいんですか?」

「困っているのは、時間に追われている大人だけです。子供には、被害が出ていません」


 善野は、少し考えて、頷いた。


 掲示内容(簡易):

 ・子どもの持ち物は触らない

 ・貴重品は触らない

 ・遊びは、落ち葉と石だけ

 ・いたずらは、夕方まで


 影は、掲示をじっと見て、真剣に頷いた。


「分かりました」

 そして、もじもじと手を揺らす。

「……あの」


「はい」

「また、来てもいいですか」


 万央は、少しだけ微笑んだ。


「窓口ではなく、公園の管理掲示板にしてください」

「はい!」


 影は、ぴょこんと跳ねて、自動ドアの隙間から出ていった。



 その日以降。

 落とし物は、ほぼなくなった。

 公園では、子供が落ち葉を集めて遊んでいる。

 大人は、少しだけ安心した。



 報告書結語:

 小型無害怪異。

 子供との親和性が高い。

 行動範囲指定により安定。

 指導完了。



 善野が、書類を見て言う。

「……本当に、ただ謝りに来ただけですね」

 万央は、頷いた。

「悪いことをした、という認識があるなら、それは、話が通じる相手です」


 怪異対策課の午後は、今日も穏やかだった。



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