戻したあとに残るもの
それから一か月が過ぎた。
第十七号遊歩道は、完全に「普通の場所」になっていた。
昼間は子供が走り、夕方には犬の散歩、夜は通勤帰りの人が足早に通る。
事故は起きていない。
通報もない。
警察の巡回頻度も、通常に戻った。
怪異対策課には、正式な完了報告が回ってきた。
件名:第十七号遊歩道案件 終了報告
結果:管理運用の調整により安定
再発防止策:別紙参照
別紙は、いつもより少し分厚かった。
■ 再発防止策(抜粋)
一.「異常の可能性」段階での記録様式統一
二.解除判断時の責任主体明記
三.“詳細不明”表記の期限設定
四.警戒名簿の定期棚卸し(年一回)
どれも、地味だ。
派手な対策は一つもない。
だが万央は、それで十分だと思っていた。
怪異は、強過ぎる恐怖や、過剰な管理の隙間に生まれる。
だから、制度は静かに、淡々と整えればいい。
午後。
課内は珍しく穏やかだった。
善野が、書類を抱えて近づいてくる。
「斎藤さん」
「はい」
「この前の遊歩道の件……」
少し言い淀んでから、続ける。
「もし、また似たことが起きたら、また、同じやり方でいくんですか」
万央は、少しだけ考えた。
「同じとは限りません。でも――」
言葉を選びながら、続ける。
「“何が怖いのか”を、ちゃんと人間側で決める、という点は、変わらないと思います」
善野は、頷いた。
「……怪異を、決めつけない」
「はい」
「怪異より先に、人間の扱い方を確認する」
それが、怪異対策課の基本だ。
その日の帰り。万央は、また遊歩道を通った。
街灯が点き始め、道は橙色に染まっている。
風が吹く。
一瞬だけ、背後で、子供の笑い声がした。
振り返ると、少し離れた場所で、小学生が二人、鬼ごっこをしているだけだった。
万央は、何も言わずに歩き出す。
怪異は、消えたわけではない。
ただ、「出る理由」を失っただけだ。
制度が、きちんと責任を引き受けたから。
翌週。
怪異対策課の内部回覧に、小さなメモが追加された。
備考:
本件のように、“危険がなかったこと”を
判断として残す案件は、今後も増える可能性あり。
その際は、必ず担当者名を記録すること。
誰が決めたか、分からない。
だが万央は、その文面を見て、少しだけ安心した。
責任は、怪異よりも重い。
だからこそ、人間が持つべきものだ。
その日も、怪異対策課の窓口は静かだった。
だが、静かな日常こそが、この部署の仕事の成果である。
斎藤万央は、いつも通り、次の書類に目を通す。
怪異は、今日もどこかにいる。
そして、制度もまた、今日も世界を支えている。




