名簿に残る責任
遊歩道の昼間開放から、二週間が経った。
事故はない。
苦情もない。
利用者は、少しずつ増えている。
表向きには、完全に「解決」した案件だった。
だが――
斎藤万央の机には、一通の内部連絡が届いていた。
件名:「巡回対象名簿の記載について(確認)」
差出人は、市民生活安全部。
当該遊歩道につき、
現在も巡回重点対象として
名簿に残っている旨、確認されました。
解除判断後の扱いについて、
怪異対策課としての見解を求めます。
万央は、ゆっくりと画面を閉じた。
「……やっぱり残ってる」
呟いた声に、向かいの席の善野が反応する。
「何がですか」
「名簿」
万央は言う。
「解除しても、消えないもの」
午後。
再び小会議室。
今度は人数が少ない。
実務者だけだ。
名簿の写しが、机に置かれている。
そこには、こう書かれていた。
巡回重点地点
第十七号遊歩道
理由:過去に異常報告あり(詳細不明)
「詳細不明、が厄介なんです」
生活安全部が言う。
「だから消せない」
「でも、今は異常はありません」
善野が口を挟む。
「報告もないし……」
担当者は困った顔をする。
「“ないこと”は、証明できないんです」
万央は、頷いた。
「分かっています。だから、この名簿は“責任の置き場”なんです」
全員が、万央を見る。
「消すと、何かあった時に困る。
残すと、根拠のない警戒が続く。
どちらも、間違いではありません」
万央は、名簿のページを指で押さえた。
「でも、このままだと、誰も、この地点を“普通”として扱えません」
沈黙。
「なので、提案があります」
万央は、資料を一枚出した。
巡回重点指定:解除
ただし、
・解除判断を行った担当課名
・判断日
・理由(制度的措置による安定化)
を名簿に明記
「“消す”のではありません。引き受けるんです」
生活安全部が、眉をひそめる。
「……つまり、誰の判断で解除したか、残す?」
「はい」
万央は、はっきり言った。
「怪異ではなかった。
過剰な管理が原因だった。
その判断を、怪異対策課が行った。
――そう書きます」
誰かが、小さく息を呑んだ。
それはつまり、責任を、組織として名簿に刻むということだ。
「後から問題になりませんか」
「なるかもしれません」
万央は、否定しない。
「でも、“誰も決めなかった”より、ましです」
しばらくして、担当者は、頷いた。
「……分かりました。書き換えます」
その日の夕方。
万央は、名簿の更新を確認した。
第十七号遊歩道
巡回重点指定:解除
判断:怪異対策課
理由:管理調整による安定化確認済
たった数行。
だが、そこには「判断した」という事実が残った。
帰り道。
万央は、遊歩道を通った。
夕暮れ。
人通りは少ないが、ゼロではない。
風が吹く。
木々が揺れる。
何も起きない。
それでいい。
善野が、ぽつりと言った。
「……怪異、出ませんでしたね」
「出なくてよかった」
万央は答える。
「今回の怪異は――」
少し考えてから、言った。
「“責任を置かないこと”だったから」
善野は、黙って頷いた。
怪異は、いつも異形をしているわけではない。
時には、誰も触れない書類の片隅に潜む。
それを引き受けるのが、斎藤万央の仕事だ。




