表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/24

現地確認

 霞ケ丘(かすみがおか)団地は、普通だった。

 午前中は高齢者が多く、夕方になると子供が増える。


 その中間の時間帯は、人の気配が薄い。

 斎藤万央(さいとうまひろ)は、管理会社の担当者と並んで敷地内を歩いていた。


「特に、変わったことはありません」


 担当者は、最初にそう言った。

 事前に電話でも聞いている。

 書類上も異常はない。

 だからこれは、確認のための確認だった。


 第三号棟。

 十二年前、事故があった建物だ。

 外壁は補修され、掲示板も新しい。

 万央は、コンタクトレンズをつけた眼を自然に動かしながら、足を止めない。

 外回りのときは、コンタクトにしていることが多い。

 事務仕事のときは近々両用眼鏡なのだ。


「最近、苦情は?」

「いえ。音も、臭いも」


「人影は」

「特には」


 管理会社の担当者は即答する。

 言葉に迷いがない。

 これは、本当に何も起きていない。


 エントランスを抜ける。

 自動ドアは、規定どおりの速さで閉まる。

 万央は、閉まりきる直前、一瞬だけ――

 奥行きが伸びたような気がした。

 気のせいだ。

 そう処理する。


 問題の階。

 事故があったのは、五階。

 エレベーターは使わず、階段を上がる。

 段数を、数えないようにしながら。

 これは、怪異対策課のちょっとした癖だ。


 廊下は静かだった。

 生活音は、ちゃんとある。

 テレビの音。水の流れる音。誰かの咳。

 多過ぎもしないし、足りなくもない。


「ここです」


 担当者が、一室の前で立ち止まる。

 今は空室。

 鍵は、管理会社が持っている。


「中、見ますか」

「はい」


 部屋の中は、拍子抜けするほど普通だった。

 何も置かれていない。何も残っていない。

 リフォーム済み。次の入居者待ち。

 万央は、部屋の隅を見る。

 壁。床。天井。

 どこにも、引っかかりはない。


 ベランダに出る。

 風が、少し強い。

 手すりは、規定の高さ。

 足を掛けられるようなものは、置いていない。

「……見晴らし、いいですね」

 担当者が言う。

「ええ」

 万央は、それ以上何も言わなかった。

 外を見ていると、誰かの分のスペースが、最初から無い。

 そんな気がした。


 確認は、それだけで終わった。

 写真を撮り、簡単なチェックリストに印を付ける。

 異常なし。

 記録上、問題はない。


 帰り際、担当者が言った。


「斎藤さん」

「はい」


「……この団地、住みやすいですよ」


 それは、褒め言葉のはずだった。

 万央は、少しだけ考えてから答える。


「そうですね」


 住めてしまう。

 それが、一番の特徴だ。


 市役所に戻り、報告書を書く。

 現地確認実施。特記すべき異常なし。

 当面、経過観察。


 万央は、文末に何も足さなかった。

 足せることが、無かったからだ。


 ただ一つ、書かなかったことがある。

 帰り際、エントランスの掲示板で、一枚だけ、紙が余っていた。

 入居者向けの注意喚起。

 枚数は、掲示枠より一枚多い。


 誰かが間違えたのだろう。


 そう思えば、それで済む。

 万央は、その紙を外さなかった。


 夜、デスクの引き出しを閉めるとき、万央はふと思った。

 今日、管理会社の担当者以外、誰にも会っていない。

 住民とも、管理人とも、()()()()とも。


 何も起きていない。

 それが、確認できた一日だった。




 そのまま数日が経った。

 最初の異変は、報告書の端にあった。

「定員表示、変えてませんよね?」

 エレベーター保守業者からの問い合わせだった。

 紋霞市営団地(あやかしえいだんち)・霞ケ丘。

 機械点検の結果、故障はなし。

 表示定員は九人。だが、荷重センサー反応は、十人。

 誤差の範囲ではない。

 仕様も変えていない。

 斎藤万央は、その数字を見て、少しだけ考え、そして保留にした。


 二つ目は、住民アンケートだった。

 定期的に回収される、生活満足度調査。

 その中の一枚。

 チェック欄の外側に、細い字で書き足されている。

「※実際は、もう一人います」

 誰の字か分からない。

 質問項目にも合致しない。

 万央は、それを赤ペンで囲わなかった。


 三つ目は、数字として積み上がった。

 ゴミ収集。

 指定袋の回収数が、一袋分多い。

 分別は完璧。苦情はゼロ。

 誰かが越してきた形跡はない。

 それでも、生活の量だけが、確実に増えている。


 初回の現地訪問。

 人数は合っていた。帳尻は合っている。

 違和感は――なかった。

 それが、一番おかしかった。

 団地全体が、「最初からこうだった」という顔をしている。

 万央は、チェック項目を淡々と消化した。


 二度目の訪問。

 階段の踊り場で、靴跡が一足分多い。

 新しい。乾いている。

 万央は、それを見て、なぜか視線を逸らした。

 理由は分からない。

 ただ、今は見てはいけない、そんな感覚だけがあった。


 その夜、久世泰輔から連絡が入った。

 非公式。私用携帯。

「斎藤さん。今回は……“まだ”事故じゃない」

 声が低い。

「でも、前と同じ匂いがする」

 久世の管轄では、深夜の通報が増えている。

 ベランダに人影。行くと、必ず一人分足りない。

「増えてるのに、足りない」

 久世は、そう言った。


 決定的だったのは、掲示板だ。

 いつの間にか、一枚の紙が貼られていた。


 ベランダは、二人まででご利用ください


 管理会社は貼っていない。市役所でもない。

 万央は、紙を見て、考えた。

「……誰が書いたんだろう」

 そして、剥がさなかった。


 怪異対策課内で、緊急ミーティングが開かれた。

「数を増やす方向に動いてるな」

 上司の一言で、空気が変わる。

 マニュアルを再確認する。

 だが今回は、自然消失を待つフェーズを、越えつつあった。


 その夜、万央は夢を見る。

 ベランダに立っている。

 隣に、誰かがいる。

 顔は見えない。

 でも、人数は分かる。

 目が覚める直前、声がした。

「今回は、落ちないよ」


 前回の死亡事件では、人間が「居る」と認めた。

 今回は違う。

 団地そのものが、「一人分多い設計」になろうとしている。

 建物が、世界を押し広げ始めている。


 翌朝。

 怪異対策課は、強制介入を決定した。

 斎藤万央は、その決裁書に、迷いなく印を押した。

 理由は説明できない。

 だが、これは止めなければならない。


 落ちないために。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ