何も起きなかった場所
翌週。
斎藤万央は、再び現地確認に出ていた。
今回の場所は、住宅地の外れにある旧遊歩道だった。
川沿いに作られた、かつては散歩コースとして使われていた道。
今は――立入禁止。
理由欄は、やはり同じだ。
数年前、夜間に人影を見たとの通報あり。
念のため、当面使用を控える。
「……ここ、長いですね」
同行したのは、後輩の善野亘だ。
テープは色褪せ、柵には草が絡みついている。
「解除予定日は?」
「設定されてません」
善野は地図を確認しながら言った。
「最後に人が通った記録、五年前です」
万央は、遊歩道の入口に立ったまま、内部を見た。
風が通る。
川の音がする。
鳥の声が遠くに聞こえる。
怪異反応は――ない。
「……静かですね」
善野が言う。
「“静か過ぎ”ます」
万央は訂正した。
「本来、人が使う場所は、多少うるさいものです」
二人は柵の外から、ゆっくりと道を見渡した。
足跡がない。
ゴミもない。
人の気配が、完全に消えている。
「ここで怪異が出たって、記録ありますか?」
善野の問いに、万央は首を振った。
「一度だけ、“立っている影を見た”という通報」
「被害は?」
「なし」
「……それだけで、ここまで?」
万央は答えなかった。
代わりに、手帳を開き、古い記録を読む。
当時の対応メモ。
周辺住民に聞き取り
再発なし
念のため、夜間立入制限
それが、昼間も含む全面禁止に変わったのは、その三か月後だった。
理由は、内部メモに一行だけ。
管理責任の所在を明確にするため
「……責任か」
善野が呟く。
「誰も責任取りたくなかった、ってことですか」
「違います」
万央は、淡々と言う。
「みんな、責任を取ろうとした。だから、使わせなかった」
二人はしばらく黙った。
そのとき、遊歩道の奥で、何かが動いた。
善野が身構える。
「……今、見えました?」
万央は、目を凝らした。
影。
いや、影のようなもの。
だが、それは――
「猫、ですね」
茶色い野良猫が一匹、
こちらを一瞬だけ見て、草むらに消えた。
善野は力を抜いた。
「びっくりさせないでくれよ……」
「今のが、当時の“怪異”だった可能性もあります」
善野は言葉に詰まる。
「……え?」
「夜。街灯の少ない場所。動く影。人は、理由をつけます」
万央は続けた。
「説明できないものに、“意味”を与える。それが、怪異の入口になることもある」
遊歩道には、何か強いものがいるわけではなかった。
むしろ――
「弱いですね」
万央は、そう判断した。
「人が来なくなって、薄まっている」
「薄まる、って……消えるんですか?」
「消えません」
万央ははっきり言った。
「使われない場所は、“余白”になります。余白には、何かが溜まる」
帰庁後。
万央は、各課を回って話を聞いた。
公園管理課は言う。
「解除? 事故が起きたら困ります」
道路交通課は言う。
「誰が判断するんです?」
防災課は言う。
「危険じゃない証明は、できません」
全員が、正しい。
だが、その正しさが重なって、解除されない。
万央は、報告書に書き足す。
「現状、怪異による直接的危険性は低い。
ただし、人為的に空白が固定化されている。
この状態が続くこと自体が、別種のリスクとなる」
善野が、不安そうに聞く。
「斎藤さん……これ、どう終わらせるんですか」
万央は、少し考えてから答えた。
「終わらせません」
「え?」
「解除します」
善野は目を見開いた。
「そんな……誰が責任を――」
万央は、静かに言った。
「制度が取ります」
その夜。
万央は、解除案のたたき台を作り始めた。
祓わない。
封じない。
ただ、人を戻すための手続きを、書く。
怪異は、何もしていない。
問題は――人間の「守り方」だった。




