終了条項を設ける者
四月。
年度が変わり、市役所の掲示物が一斉に差し替えられた。
組織改編、担当替え、内線番号の変更。
そして、ひっそりと――新しい一文が増えている。
> ※本市の相談・苦情対応には、行政判断による終了条項を設けるものとする。
誰の目にも留まらない、小さな追記だった。
怪異対策課では、その一文を含む内部資料が回覧されていた。
タイトルは堅い。
「対応完了宣言運用指針(暫定)」
内容は、地味だ。
・説明責任を果たした場合
・記録が整合している場合
・新規事実が提示されない場合
行政は、終了を宣言できる。
ただし。
・宣言者の所属
・宣言日時
・根拠条文
すべてを明示すること。
――責任の所在を、必ず残す。
「……怪異対策課が、制度の最後を引き受ける形ですね」
資料を閉じて、杜下卓が言った。
彼はこの春から、正式に怪異対策課との連絡担当になっている。
「警察が“終わらせる”のは事件だけですから」
万央は淡々と答えた。
「制度上の未練は、こちらの管轄です」
杜下は、少しだけ渋い顔をする。
「これ、普通の職員が使うと、怖くないですか」
「だから、怪異対策課が監修します」
万央は、はっきり言った。
「終わらせる権限は、万能じゃない。でも、誰も持たないよりはいい」
その日の午後。
窓口は静かだった。
相談者はいない。
電話も鳴らない。
万央は、日報を書いている。
内容は短い。
特記事項なし
だが、備考欄には、こうある。
終了条項運用開始後、異常反応なし
ふと、受付簿に目をやる。
ページは、ずれていない。
空白の行も、増えていない。
――今回は、残らなかった。
万央は、少しだけ肩の力を抜く。
夕方。
課長が声をかけてきた。
「斎藤さん」
「はい」
「今回の件……正直、評価が分かれている」
万央は、頷く。
「分かっています」
「だがな」
課長は、資料の束を机に置いた。
「“終わらせた”という事実は、残った」
それだけ言って、去っていった。
帰り際。
庁舎のエントランスで、掲示板を見上げる。
苦情窓口の案内。
相談フロー図。
問い合わせ先一覧。
どれも、以前と変わらない。
ただ一つだけ。
小さな注記が、確かにある。
「対応には、終了が存在します」
万央は、それを見て思う。
怪異は、必ずしも恐ろしいものではない。
だが、終われないものは、必ず危険になる。
その夜。
怪異対策課の電話は、鳴らなかった。
それを確認してから、万央は灯りを落とす。
明日も、窓口は開く。
制度は回る。
怪異は、また別の形で現れるだろう。
そのときは――
「溢れないように、流すだけ」
それが、斎藤万央の仕事だ。
市役所の時計が、静かに午後七時を告げていた。




