名簿に残る名前
市役所の電話は、だいたい似たような音で鳴る。
緊急性が高い時ほど、音は落ち着いている。
午後四時過ぎ。
怪異対策課の内線が鳴った。
「……斎藤さん、第一中からなんですが」
教育委員会経由ではなく、直接だ。
それだけで、万央は一度ペンを置いた。
「どういった内容ですか」
「名簿の件で。“消えない名前”があるそうで」
その言い方に、冗談の色はなかった。
紋霞市立第一中学校は、特別古いわけでも、新しいわけでもない。
市内にいくつもある、普通の公立中学校だ。
応接室に通されると、教頭が分厚いファイルを抱えて待っていた。
挨拶もそこそこに、ファイルが机に置かれる。
「こちらが、教員名簿です」
万央は静かに目を通す。
年度更新済み。
訂正履歴あり。
押印、問題なし。
――一箇所を除いて。
「……小鳥遊和彦先生」
万央が名前を口にすると、教頭は苦い顔をした。
「はい。十年以上前に退職されています」
「ですが、名簿には残っている」
「ええ」
教頭は言葉を選びながら続けた。
「削除しても、戻るんです。次の更新で、必ず」
電子データでも、紙でも同じ。
削除履歴は残る。
だが、次に開くと、そこにいる。
万央は、淡々と確認する。
「ご本人に連絡は?」
「……つきません。というより、現住所が分からない」
教頭は声を落とした。
「正直に言うと、“会ったことがない”職員も多いんです」
違和感は、名簿だけではなかった。
当直表。
事故対応記録。
備品管理簿。
どこにも、小鳥遊和彦の名前がある。
だが、署名欄は空白だ。
「仕事は……回っているんですか」
万央が尋ねると、教頭は頷いた。
「はい。不思議なことに」
実験準備が整っている。
薬品棚が補充されている。
夜間の見回り記録に、空白がない。
誰がやったのか、分からない。
だが、「やられていない」わけではない。
万央は、ある箇所で手を止めた。
「この理科室の当番、小鳥遊先生のままですね」
「ええ。引き継ぎが……正式には、されていなくて」
その言葉で、万央は全体像を理解した。
帰り際、校舎を出ると、夕方の風が吹いていた。
校庭には、生徒はいない。
だが――
「……先生?」
誰かの声がした。
振り向いても、誰もいない。
万央は、否定しなかった。
記録もしなかった。
その夜、紋霞大学前駅前交番。
杜下卓は、学校からの通報を受けていた。
「夜間巡回中、校内で物音がする」
杜下は、単独で学校へ向かった。
理科室の前で、足を止める。
中に、人がいる気配がある。
「……どなたですか」
返事はない。
だが、黒板に書かれた文字が目に入った。
《明日の準備は終わっています》
チョークの粉が、まだ新しい。
杜下は無線を取った。
「市役所、怪異対策課に繋いでください」
その頃、万央は机で、名簿の写しを見ていた。
小鳥遊和彦。
退職日は、確かに記されている。
だが――
完了の欄が、空白だった。
万央は、小さく息を吐く。
「……まだ、終わっていない」
それは怪異の言葉ではない。
未処理案件の判断だった。
そしてこの案件は、放っておけば、必ず誰かの番になる。
名簿は、今日も正しく、人を数えている。
ただ一人、終われない名前を含んだまま。




