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紋霞市役所 怪異対策課

 東京都紋霞(あやか)市。


 市役所には、窓口が多い。

 戸籍、税、福祉、子育て、環境――

 どの窓口も似たような長机と椅子が並び、番号札を取って順番を待つ。

 怪異対策課も、その一つである。

 違うのは、来庁者の数が少ないこと、相談内容が最初から要領を得ないことが多いくらいだろうか。


「……ですから、誰かがいる気がするんです」


 斎藤万央(さいとうまひろ)は、相手の話を遮らずに聞く。

 頷きも、相槌も、必要最低限。

 市役所職員としては、ごく普通の対応だった。


「音がする、と」

「はい。夜だけ。足音というか……でも、天井じゃないんです」

「分かりました」


 万央はメモを取る。

 相談票の「現象内容」の欄に、丁寧な字で書き込む。


 夜間のみ足音様音響。発生場所不定。危害なし。


 相談者の女性は、少し拍子抜けした顔をした。

「……それだけですか?」

「今のところは」

 万央は顔を上げて、穏やかに言った。

「何か変わったことがあれば、またご連絡ください。こちらから現地を確認することもできます」

 女性は何度も礼を言い、帰っていった。

 カウンター越しに見送ってから、万央は小さく息を吐く。

 午前十時。

 本日の相談、二件目。


 怪異対策課は、表向きには「市民生活安全部」の課の一つだ。

 鳥獣対策課と同じフロアにあり、クマやイノシシ、シカなどの目撃情報と、原因不明の怪現象が、同じ回覧箱に入ってくる。


 全国的に普通に存在する課である。

 縁がない人は一生関わらないし、関わる人は頻繁にお世話になる場所だ。

 名前は知っているが中身は知らない、あるいは「なんか変な課」というだけの認識であったり。

 逆に、縁のある人は年に何度も相談することになったりする。

 引っ越し前後、相続、解体、再開発で世話になる。

 また、家族代々、同じ職員に世話になることもある。


 怪異は「あるにはあるが、話題にするほどではない」もので、滅多にニュースになることはない。


 怪異は異常事態ではない。台風・地震・害獣と同列の「生活リスク」である。

 完全排除は不可能。

 被害を抑え、共存する前提でなくてはならない。

 だからこそ、祓いきらない、消しきらない、制度に落とす、などの対応がとられる。


 怪異対策課の業務内容は多岐にわたる。

 主な仕事は市民相談、現地確認、他課・警察への振り分け、再発防止策の立案、記録・引き継ぎなどである。

 祓いや術は「最終手段」であり、実際には張り紙、動線変更、使用時間制限、説明文の掲示など、行政的対応が多い。


 万央は、怪異対策課に配属されて三年になる、ごく普通の地方公務員である。

 真面目で、空気を壊さない。

 書類仕事も現地対応も、淡々とこなす。

 自分は「特別なことは何もしていない」と思っている。

 細いフレームの眼鏡をかけ、長い髪をシニヨンにまとめている、ごく普通の、アラサー女性だ。


 怪異対策課への配属は、希望した部署でもなければ、特別な理由があったわけでもない。

 ただ、内示の日に課名を見て、「……怪異?」と聞き返しただけだ。

 上司は笑って言った。

「まあ、慣れるよ」

 その言葉どおり、万央は慣れた。




 昼前、声が掛けられた。

「斎藤さん。ちょっといい?」

 課長の声だ。

 万央は席を立ち、課長席へ向かう。


「霞ケ丘団地の定期報告、来てる。ざっと目を通しておいて」

「わかりました」


 書類を受け取った万央はなぜか、ページをめくる手を止めた。

 理由は分からない。

 ただ、胸の奥で、「前にも触った気がする」という感覚がした。

 そんなはずはない。

 ()()があったのは万央が就職する前の話だ。


 霞ケ丘団地は、ここ半年、特に問題のない案件だ。

 強制介入も終わっている。

 経過観察中。それだけ。


 万央は首を振り、書類をデスクに戻した。


 その日の午後は静かだった。

 窓口は空き、電話も鳴らない。

 万央はデータ入力をしながら、ふと、受付簿を見る。

 一行だけ、相談内容欄が空白のままになっている。

 日付は、今日。

 記入者名も、相談内容もない。

 ただ、案件欄にだけ、「霞ケ丘団地」と書かれている。

 万央はペンを取る。

 二重線を引こうとして、止めた。

「……後で、確認しよう」

 そう呟いて、ペンを置く。

 なぜ今すぐ処理しないのか、自分でも分からなかった。

 ただ、これは急いで片付けてはいけない。そんな気がした。


 二重線を引かなかったことについて、万央はその場では深く考えなかった。

 怪異対策課では、判断を一つ先送りにすること自体が、正しい対応になる場合がある。

 無理に処理すると、()()()()()()

 それだけは、経験で知っていた。


 午後三時過ぎ、内線が鳴った。

「怪異対策課、斎藤です」

『警視庁の久世(くぜ)と申します』

 低く、落ち着いた声だった。

 名乗りに、部署名が付く。

「お世話になっております」

『そちらで扱っている、霞ケ丘団地の件で、少し確認したいことがありまして』

「……どの件でしょうか」

『十年ほど前の、死亡事故です』

 万央は、一瞬だけ視線を落とした。


 久世泰輔(たいすけ)紋霞(あやか)市役所を訪ねてきたのは、それから一時間後だった。

 スーツは古いが、きちんと手入れされている。

 五十代半ばの男性。


「久世泰輔です」

 

 名刺を差し出される。

 万央はそれを受け取り、視線を落とした。


 久世泰輔

 警視庁本部 地域指導係

 

 その肩書きが、この訪問の性質を物語っていた。

 いわゆる、表に出ない部署だ。


 小さな会議室で、久世は静かに話し始めた。


「十二年前、霞ケ丘団地で、転落による死亡事故がありました」


 事件性はなし。単身世帯。

 発見が遅れた。


「当時、私は紋霞署の生活安全課にいました」

 久世は、自分の立場を先に示す。

「怪異対策課とも、何度かやり取りをしています」

 万央は頷いた。

 その頃、自分はまだ学生だった。


「今回、何か新しい事案が起きたわけではありません」


 久世は、はっきりそう言った。


「ただ――」

 そこで、言葉を切る。


「何かが起きそうだ」


 根拠は、説明されなかった。

 それでも万央は、その言葉を否定しなかった。


「団地の管理会社から、定期報告が上がっています」

 万央は、昼前に渡された書類を思い出す。

「特に異常は、記載されていませんでした」

「ええ。だからこそ、です」

 久世は言う。


「何も起きていない時に、()()()()()


その言い方は、経験者のものだった。


「怪異対策課としては、どうされますか」

「現地確認を、検討します」


 万央は即答した。


「今すぐではありませんが」

「それでいい」


 久世は頷く。

「急ぐと、向こうに気付かれる」


立ち上がる前、久世はふと思い出したように言った。


「……斎藤さん」

「はい」


「当時の件で、退去届の控えが、残っていたはずですが」


 万央は、一瞬だけ間を置いた。


「……あります」


 久世は、深く追及しなかった。


「なら、まだ線は引かれている」


 その言葉は、慰めなのか、警告なのか。

 万央にはわからなかった。




 久世が帰ったあと、万央は金庫の前に立った。

 鍵に手をかけて、止める。


 今日は、開けない。


 開けると、こちらが動いたことになる。

 そう感じた。


 帰り道、霞ケ丘団地の方向を見た。

 特別な変化はない。

 灯りも、数は合っている。

 それでも、万央は足を止めた。

 理由は分からない。

 ただ――


 何も起きていない今が、一番危ない。



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