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1.初戦敗北、雨近シ

 なにか、夢を見ていた。

 目を閉じたままの夢現の中で、常磐ときわはそれを自覚した。しかし、その自覚はだんだんと遠ざかり、薄れて、掻き消えた。


「ン、……」


 うつ伏せの頬に感じる感触が冷たい。いつもの寝具とは違う感触に眉を顰め、硬い床に手を滑らせると、ざり、と小さな粒を擦る感触。


「――!」


 寝具などではない。そこは冷たい土の上。

 常磐がハッと目を覚ますやいなや、彼の戦士としての反射神経が最大音量で警鐘を鳴らす。彼は素早く身を起こすと目の前にあった自らの刀を拾い、姿勢を屈めて辺りを見回した。


「常磐、良かった。生きてるな」


「……大悟だいご


 同じく戦士である親友、大悟が抜刀していないのを見て、ここに今斬るべき相手はいないことを知る。常磐はふぅと息を吐き、警戒の姿勢を解いた。そして改めて今の状況を大悟に尋ねようとして、ふと、彼が黒い軍服の上から右肩を押さえていることに気がついた。


「大悟お前、怪我をしているのか」


 刀を鞘に収めながら問うと、大悟はヘラヘラと笑いながら答える。


「不覚を取ったがこんなのはかすり傷だ、大した事はねえよ。それよりお前は自分の心配をしたらどうだ?」


「え? 俺はどこも怪我なん、て、……ッ」


 ズキリと腹部に激痛が走る。戦闘中に気を失ったかもしれないという極度の緊張によって痛みが紛れていたらしい。左の脇腹に、ざっくりと大きな傷があった。


(――くそ、気付いた瞬間痛くなってきた)


 痛みと共に焦りが生じる。自分たちが怪我をしているということはつまり、自分たちに敵対する何者かとの交戦があったということ。そしてその相手は今ここにおらず、死体もない。生きてどこかへ行ったのだ。どこへ。


「馬鹿、じっとしてろ。今動けば死ぬぞ」


 ふらつく足でどこへともなく歩きだそうとする常磐を、大悟が止めた。


「まずは止血だ。状況もちゃんと説明してやるから、とりあえず横になれ」


 だが、しかし、と言い募ってはみるものの、体から流れ出ていく血液がどんどん意識を薄くする。気分が悪い。足にも力が入らず、もう一歩も歩けそうにない。大悟が駄目押しとばかりに急かすのに常磐は観念して、その場に仰向けに転がった。



 大悟の話によると、どうやら、自分たちを襲ったのはワテル区の人間らしい。止血をされている間にだんだんと記憶も鮮明になってくる。敵は自分たち水代みずしろ区の人間と同じような格好をしていたが、なるほど、あれはこちらを欺くための罠だったという訳か。約五百年前までは違う国として存在していたとはいえ今はワテル区も水代区も同じ一つの国だし、人種としても同じエキュア人に分類される民だ、見分けはほとんどつかない。


「つまり俺たち水代の兵士に敵意を持つワテル区の人間が、この関所を越えて水代の中心部に向かった――そういうことか、大悟」


「ああ、そうだが……あー待て落ち着け、興奮するな。止まる血も止まらねえぞ」


「これが落ち着いていられるか! 敵襲だぞ! あの平和ボケした街に殺意をみなぎらせた戦士たちが攻め入ってきたんだぞ、早く追いつかなければ手遅れになるかもしれない!」


「あーあーわかった、わかったから頼む、落ち着いてくれ。このままじゃ本当に出血多量で死ぬぞお前」


 常磐の心拍に合わせて流れ出る尋常ではない量の血液が、上から傷を押さえる大悟の手を真っ赤に染めていく。大悟が自らの軍用外套を引き裂いて作った止血用の布はぐっしょりと濡れていた。それを見てさすがに我に返ったのか、常磐が口をつぐんだ。大悟は彼を刺激しないよう穏やかに諭す。


「街に向かったのはせいぜい十数人だ。俺たちとの戦闘で手傷を負った奴も多かったし、重傷の奴が今頃三、四人は脱落しているだろう。実戦経験こそないとはいえ、街には日頃から鍛錬に余念のない水代の兵士がたくさんいる。大丈夫さ」


「……だが……」


「まあ、気持ちはわかるけどよ。街にはお前の可愛い大事な婚約者がいるんだもんな?」


 大悟が意地の悪い笑みを浮かべた。それを受けた常磐は逆にみるみる不快の表情になり、ジトリと相手を睨みつけた。


「気味の悪い冗談を言うな。しかもよりによってこんな時に」


「照れるなって。本当は好きなんだろう。認めちまえば楽になれるぜ?」


「違うと言っているだろう」


「ったく、可愛くて健気で、お前を慕ういい子じぇねえか。もっと大切にしてやれよ」


 確かに、慕われているのだとは思うが……。

 カラカラと笑う大悟は、とても怪我人とは思えない。いつだってまるで陽だまりのような男なのだ。毒気を抜かれて、はあとため息をつく。


「そんなにあいつの肩を持つなら、お前が娶ればいいだろ。俺は身を引くよ……」


 突っぱねるのも馬鹿らしくなり、目を閉じて顔を背けた。瞼の裏で、それはいいと笑う大悟の声を待った。しかし、一向にそれは聞こえてこない。不思議に思って再び開いた視界の中心で、大悟が、自嘲の笑みだろうか、軍帽のうつむいた影の中で淋しげな笑みを浮かべていた。


「……わかっているくせに。俺がもう二度と人を愛することなどできないことを」


「っ、」


 そんな大悟の表情を見るのは初めてのことだった。だがその表情の意味を知っていた。幼い頃からずっと一緒だった大悟のことだ、なんだって知っている。三年前の大悟が愛した、儚くて、恐ろしく残忍だったあの女のことも、俺は知っていたのに。


「悪かった、お前を傷つけるつもりはなかったんだ」


「ああ、わかってる。いつまでもグダグダと女々しく引きずってる俺が悪いんだしな」


「そ、そんなことはない! 誰だって忘れられない思い出の一つや二つあるさ、忘れたいのなら俺がなんだって協力してやるし、」


「ていうかお前ひどい顔だな。どうした? そんなに焦って」


「――ッ、話を聞けよ人が必死で慰めてやってるのにっ、誰のせいで焦ってると思ってるんだ? というかお前立ち直り早すぎだろ!」


「慰めか。ふっ、貴様ごときの慰めなど必要とするこの俺ではないわ! ハハハハ!!」


「うぜえなお前!」


 閉じかけていた傷口がまた開きそうだ、やれやれ。大悟といると体力がいくらあっても足りない。常磐はゆっくりと上体を起こした。


「俺の血もあらかた止まったんだろう。どうせすぐには動けない、ならどこか身を潜められそうな場所に移動してもいいか?」


「ん、それがいいな。雨が近い、この関所に地下壕があってよかったな。そこなら雨風は凌げそうだ」


「ああ、そうだな……」


 常磐は空を見上げた。大悟の言うとおり雨が来そうだ。それも、酷い雷雨になるだろう。雨の匂いは刻一刻と近づいてきている。こればっかりは、いくら大悟が陽だまりそのものだとしてもどうしようもなさそうだ。早急に、手を打つ必要がありそうだった。


「大量に血を失っては歩けないだろう。肩、貸してやる。さすがにお前一人抱え上げるのには傷が深くてよ」


 差し出される大悟の手を取り、彼の傷に触れないよう気をつけながら寄りかかった。頼もしい戦友の肩だ。自分には無いものをたくさん持っている、眩しくてかけがえのない親友の肩だ。これまでもこれからも、自分はこの素晴らしい友と支え合って生きていくのだと思っていたのだ。この時は、まだ。

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