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知らない気持ち
部屋の空気が、異様に静かだった。
玄関を開けると、靴が一足分減っていた。キッチンには夕飯らしき皿が一つ、ラップをかけて置いてある。切干と味噌汁と、ご飯少々。質素で、でも丁寧な配置。
テーブルの端には、小さく折り畳まれた紙が置かれていた。
──病院にいます。義男さんのそばにいたいので今晩は戻りません。澄子
読みながら、雪野は無言でラップを剥がした。その動きに、怒りというほどでもない、もやのような違和があった。
「そこまでして、あの人のそばにいたいものなの?」
自分でもその問いに確信が持てなかった。理解できない。ただ、母が“自分ではなく父を選ぶ”ことに、どこか釈然としない感情が湧く。
そのまま一口も食べず、テレビをつけた。番組は、何かの再放送。見たことのある俳優たちが、ぬるい感情を交わしている。
雪野は、湯も沸かさず、皿も片付けず、ただ毛布を巻いて横になった。
母の気持ちがわからない。それでも、ラップをかけた夕飯を見たとき、少しだけ胸がチクリとした。
それが何かは、まだ雪野には分からなかった。