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誰もいない部屋で
救急車のサイレンが遠ざかるころ、雪野は玄関の鍵を回した。
母は病院に残った。父は意識が朦朧としていたが、救急隊員の問いかけにかすかに応えた。その一言で、母は車に乗ることを決めた。
「お願い、今日は帰ってて」
澄子の声は細く、でも決意に満ちていた。雪野は頷くだけで、何も言えなかった。
自宅に戻ると、部屋の空気がやけに軽かった。誰もいないことが、こんなにも静かなことだったと初めて知った。
テレビをつける。録画してあった推しのライブDVDを選んで再生する。画面いっぱいに広がる笑顔と照明。歓声。きらきらとした音楽。
雪野は、毛布にくるまりながら画面を見ていた。
「好きだったんだけどな」
つぶやいたその声は、誰にも届かないまま部屋に溶けた。
画面の中では、推しが両手を広げてステージを駆けていた。輝いていた。その光を浴びながら、雪野はそのまま、ゆっくりと目を閉じた。
湯は沸かしていない。ただDVDの音だけが、部屋を少しだけ照らしていた。