見下される場所で
残業後、部長に呼び止められた。
「最近、よく動いてるみたいだな? お盛んじゃないか」
言葉に棘はなかった。むしろ、妙な親しみさえ含んでいた。スマホの画面には、マッチングアプリのアイコン。雪野のプロフィールが、そこに映っていた。
「俺もやってみたんだけど、結構いいねくるんだよな」
笑いながら、スクロールする指。その指を見て、雪野は言葉を飲んだ。
冗談めかした誘いは、その夜、個室居酒屋の暗がりに変わった。安い酎ハイと冷えた枝豆。ふざけたトーンの会話。そのうちに、境界線は曖昧になった。
──こんなこと、望んでいたわけじゃない。
部長には妻がいた。子どももいた。雪野はそれを知っていたし、軽蔑もしていた。けれどその夜、彼女は何も言わずに部長の隣を歩き、そのままビジネスホテルのカードキーを受け取った。
それが自分に向けられた“選ばれたという実感”であるかのように錯覚したからかもしれない。
ベッドの中、部長の背中に遠い昔の父の影が重なった。雪野は目を閉じた。
──ここまで落ちたのか。
その夜は、湯も、罪悪感も、沸かなかった。




