重くなかった夜のあとに
ホテルの部屋に置かれたミネラルウォーターは、まだ封が切られていなかった。
男はスマートではなかった。話も凡庸で、言葉に深さはなかった。前に会った彼と比べると、どこか雑で、目の動きさえ落ち着かない。それでも雪野は、流れに身を委ねていた。夜の静けさに背中を押されるように。
──もう、誰かを選り好みできる立場じゃない。
そう思ったわけじゃなかったけれど、“それくらいなら許せる”という感覚は確かにあった。肌に触れる手も、抱きしめる腕も、どこか温度がないように思えた。
朝、目覚めると、彼はいなかった。
ベッドのシーツは乱れていたが、気配は残っていなかった。部屋の空気は静かで、冷たかった。スマホを確認しても、通知はなかった。
──あれが、最後だったのか。
雪野はシャワーを浴び、鏡を見た。夜の名残りは、どこにも残っていない。化粧も落ちていて、髪も乱れていた。それでも、どこか凛とした顔に見えたのは、失ったことに対する諦めが、彼女を静かに支えていたからかもしれない。
彼にとって、ただの一夜だったのだろう。そしてそれは、雪野にとっても「何かを得ようとして失った」夜ではなく、「何も得られないことを受け入れた」夜だった。
鍵を返し、部屋を出たとき、街の風は妙に澄んでいた。
雪野は思った。
──もう、誰かを待っていられるほど若くも、柔らかくもない。
だけど、それでも今日を歩くしかない。
その日も、やはり湯は沸かされなかった。




