選ばれない側にいる
今朝、母がいた。いつもなら病院の椅子に座っていたはずの澄子が、食卓にいた。
けれど、言葉はなかった。雪野も話さなかった。
味噌汁はぬるく、ご飯は少し固くなっていた。それでも母は黙って箸を動かしていた。雪野もそれを真似るように、無言で口を動かした。
駅までの道、スマホを確認する。
彼の返信はなかった。昨日も、その前も。通知の数が減り、ついに“未読のまま”になったとき、雪野は思った。
──彼にも、選ぶ権利はあるんだ。
その現実は静かだった。責めることも、悲しむことも許されない種類の敗北だった。
焦りが生まれた。
マッチングアプリのメッセージ欄をスクロールし、過去に誘ってきた男たちの名前に目を留めた。どこかで「返事さえすれば、繋がるはず」と思っていた。
「こんにちは、よかったら今週末、会えませんか?」
「お久しぶりです。最近どうしてますか?」
メッセージはいくつも送った。だが、反応は鈍かった。返事は来ても、どこか機械的だった。日時を決めようとすると、急に既読が途切れた。
──結局、誰かに見つけられるほどの価値など、私にはなかったのかもしれない。
帰り道、鏡に映った自分の顔を見た。口元の乾き。少しずつ増えた白髪。そして、何より眼差しの空虚。
その夜、布団に入る前にスマホをもう一度確認したが、通知はなかった。画面の光だけが淡く部屋に滲んでいた。
湯は、やはり沸かされなかった。