叶える場所ではなかった
休日の午前、駅前のビルの案内板に「結婚相談所」の文字を見つけたとき、雪野はほんの少し背筋を伸ばした。
受付は明るく、スタッフも礼儀正しくて感じが良い。相談室の中はガラスの仕切りと観葉植物で清潔感にあふれていた。コーヒーを勧められたとき、雪野は「この感じ、悪くないな」と思った。
カウンセリングが始まる。
年齢、仕事、家族構成、結婚歴。スタッフは丁寧に頷きながらメモを取り、時折「素敵ですね」と微笑む。雪野も、気持ちよく話せていた。
だが、条件を整理する段になってから空気が変わった。
「ご希望のお相手像ですが、正社員で年収〇〇以上、ということで…なるほど。40代後半から50代前半の方ですと、かなり競争率が高くなりますので…」
言葉は優しかった。でも、言外に「その条件では難しい」と響いていた。
「もちろんご年齢的に可能性がゼロではありません。ただ、どうしても希望条件を絞りすぎると…結果的に選ばれる立場としては…」
雪野は笑って頷いた。だがその笑いは、自分が抱えていた幻想が崩れていく音と重なっていた。
──いつかは当然手に入ると思っていた。望めば届くはずだった。
けれど現実は、静かに「それは夢でしたよ」と告げていた。
帰り道、街のショーウィンドウに並ぶブライダル雑誌が目に入った。白いドレス、笑顔のモデル。雪野は目を逸らした。缶チューハイの勢いで踏み込んだ夢の入口は、意外にも冷たい空気に包まれていた。
それでもスマホの通知は鳴っている。マッチングアプリでは、あの彼から返信が届いていた。
雪野はその夜、「まだこっちがある」と思いながら画面を開いた。