プロローグ
大きなベッドの前を、多くの人々が囲っていた。
人々は涙を流し、みな悲しみを噛みしめていた。
なぜ彼らは悲しんでいるのか。
その原因は俺にある。
俺は、巨大な、ちょっとばかり俺には似つかわしくないベッドの中心で仰向けに寝転がっていた。
霞む目で周りを見渡す。
うん、やっぱりみんな悲しそうな顔をしてる。
「師匠、師匠!まだ、まだ逝かないでください!私たちを置いて行かないでください!!」
赤髪の少女が悲しそうに俺の近くで叫んだ。
目が霞むせいでよく見えないが、コイツは《《自称一番弟子》》のアイリかな?
赤髪が特徴的だから分かった。
「む、ちゃ、言うな、俺だってしぬぞ、アイリ」
「うっ、うっ、でも!師匠は……私の生涯で一番尊敬できる人で……一番大好きな人なんです……ヒグッ」
アイリは泣きじゃくった。
そっと重い腕を上げてアイリの頭をなでてやる。
「お、れは、お前が思うほど、すばらしい、人間じゃない」
「そんなこと言わないでください……師匠……師匠ッ!うう……」
流石に俺だってもうこの年だ。
死ぬ時が近づいているのさ。
「一番弟子、か」
……。
てかそもそも一番弟子ってなんだよ。
俺は一度たりとも弟子を取るなんて言ったことはないぞ?
道端でみすぼらしい格好をしている孤児がいたからたまたま助けてやっただけで、なんか勝手に一番弟子になるとか言って俺の弟子を名乗り始めたんだっけ。
なんだコイツ。
完全に変態だ。
そもそもコイツ、俺にゲロ重感情を持ちすぎなんだよ。
ちょっとばかり通りすがりのガキを助けてやっただけだというのに。
そしたらなんか俺に付いてきて俺の弟子になりたいとか言って、果てには結婚してくれ、なんて言ってくる。
──いや、俺は弟子を取らない主義だ。それに生涯独身だ。
なんて言ってやったのに、無視して勝手に俺の弟子を名乗った。
そして毎日俺に結婚してください、とか言ってくる。
いやいや、マジで怖いなそれ。
知らん間に俺の弟子を名乗るやつが表れてずっと愛の告白をされてます、ってタイトルで今度ホラー本出そうかな?
はあ、結局コイツは終始ずっと変態だったな。
俺もこの年になると変態に付き合っていると胃が痛くなってくるのだ。
もう少し自重してもらいたいものである。
「もういいです、アイリ。今度は私の番です」
そして、次に青目の少女が前に出た。
彼女の名前はミル。
俺の二番弟子をアイリ同様、勝手に名乗っている。
おっとりとした顔で落ち着いた雰囲気の彼女なのだがこっちはこっちで毎日、
「師匠の爪を下さい。煎じて飲みますので」
とか言ってくる。
うん、こっちも負けず劣らず変態だ。
マジで怖い。
と、そんなミルは前に出ると口を開いた。
「神楽ハジメ。26歳でダンジョン冒険者に就職。28歳でE級、36歳でC級、40歳でB級、45歳でA級、55歳でS級ハンターへ昇格。
そして60歳以降も精力的にハンターとして活動を続け、現在では全ハンターのなかでマスターただ一人だけが冠する”特S級”の称号を受け取る。
60歳以降は私たちのような行き場のない子供たちを拾い、弟子として育ててくださった。
我らの偉大なる師匠に、敬礼」
ピシッ、と息ぴったりで敬礼する自称弟子たち。
なんだコイツら。
そんな事練習してたのか……?
はあ、照れるじゃないか。
まあ、そんなどうしようもない変態ばかりの自称弟子だったが、うん、こうして死ぬ前に俺を見てくれている人がいる、というのは嬉しいのかもしれない。
でもまあ、この年になってまでずっと弟子たちに囲まれるというのは少し俺には荷が重すぎる。
ハーレムだとか、大往生だとか言う人もいるかもしれない。
確かにそう見ると俺は幸せ者だと思うかもしれない。
だが、俺はもっと自分の為に生きればよかったと思う。
この年までずっとずっと、冒険者として、皆の手本となるように振る舞ってきた。
それが俺に課せられた”特S級”という称号の使命なのだと思っていた。
冒険者業で金が余っていたから、哀れな孤児を助けてやったのも特S級という皆の手本となるべき人間としてそうしただけだった。
まあ、結果としてこんな大往生を遂げられたのだが。
しかし、違うのだ。
みんな俺の事を偉大な人物だと思ってるかもしれない。
でも、違うんだ。
俺はもっともっと好きな事をしたかったのだ。
美人ばかりの弟子の前では、トラブルの元になるからできなかったが、もっと女に手を出したかった。
風俗に行きたかった。
なんならちょっとだけ弟子たちとエロい展開にならないか期待したこともあった。
冒険者として丈夫な体は命であったから、体に悪い物を食べられなかったが、本当はもっとジャンクフードを食べたかった。
実はこっそりジャンクフードを食べようとしたこともあったが、ミルに「体に悪い物はダメです」って言われて取り上げられた。
師匠として、威厳を示すために言われたとおりにしたが、あの時強行して食べていればよかったな……。
結局一度も好きなものを好きな時に食べられなかった。
みんなの手本としてそうするべきだったから。
冒険者になりたての頃はがむしゃらに強くなるための修行をして、全ての時間をそれにつぎ込んだが、若いころにもっと友人を作っておけばよかった。
ジジイになってからは本当に心を許せる友人なんて中々できないんだ。
それにこの特S級とかいうクソみたいな称号のせいでみんな恭しく頭を下げてきやがる。
ああ、俺ってなんて我儘なんだろうか。
こうして老衰で死にかけているときに、なんでこんな事を考えているのだろうか。
……そうか、俺は死にたくないんだな。
でも、もう、遅すぎた。
もしも……もしも……来世があるとすれば、もっと好きに生きたい。
もっと、もっと、我儘に生きたい。
ああ、クソ……眠くなってきた……。
どうしようもない眠気が俺を襲った。
「すまない、少し、だけ、眠る……」
「師匠!!眠っちゃダメです!!!逝かないでください!!!」
はは、そんな悲しそうな顔をするなよ。
俺はそんなに死を悲しまれるほどできた人間じゃない。
心の中はみんなが思ってるよりずっとずっと醜いんだ。
「ああ、そんな大げさな……俺は……少し……」
少しだけ眠るだけだ。
少し寝れば、この眠気も晴れて、また元気になるだろう。
そう、少しだけ眠るだけなんだ。
重くなっていく瞼を少しずつ下ろしていく。
意識が暗がりに落ちてゆく。
▽▲▽▲
今から50年前。西暦で表すなら2038年。
この東京に突如として”ダンジョン”と呼ばれる巨大な迷宮が出現した。
ダンジョンは出現に際して光を放ち、人々に祝福と呪いを与えた。
光は人々に”魔力”という新たなるエネルギーを与え、同時に光に適合できなかった人々には死という呪いを与えた。
東京迷宮大災害と呼ばれたそれの後、およそ4分の1の人口が呪いによって消失したと言われている。
しかしながら一方で、ダンジョンは人々の命を奪っただけではなかった。
ダンジョン内には”モンスター”と呼ばれる特殊な生物が徘徊しておりモンスターからは特殊な魔力素材を採取することができた。
モンスターから採取した魔力素材は新エネルギー源として、また軍事的利用価値があるものとして期待された。
だがそれらの魔力素材を採取するためにはモンスターと戦わなければならない。
そして、モンスターと戦うために光によって魔力を授かった人々はそれを駆使した。
そうしてモンスターと戦う人々のことを、新たなる東京の希望として”冒険者”と呼ぶようになったのである。