北部へ・前日譚・老エルメ卿
キリキリと弦を引く。
的のど真ん中に狙いを定めると一気に弦を離した。
「的中!」
矢は狙いどおり、的のど真ん中を射抜いた。
様子を見ていた騎士や兵士達からおお!とどよめきが起こる。
「お見事!素晴らしい腕前じゃて」
「…ありがとう」
ダヴィネス城の弓技場にカレンは居た。
南部から帰ると、次の北部への視察の準備に直ぐに取りかかった。
その際に、カレンは弓技の鍛練をジェラルドから許可されたのだ。
どうやら、南部の野営地での連射の腕前を買われたらしい。
北部では、特に山深く足場の悪い場所では剣より弓がものを言う。
カレンは短剣しか振るえないので、代わりに弓技の腕を少しでも磨くことが己の身を守る術となる。
ダヴィネス城の第5部隊は、弓術に特化した部隊で、属する者は皆、優秀な射手だ。
部隊構成の特徴としては、騎士や従騎士、兵士も属しており、階級や年齢も実に様々だということだ。共通して、皆比較的細身で小柄だった。
先ほどカレンを褒めたのは、第5部隊隊長の年配の騎士、エルメだ。
頭のてっぺんは剥げており、白髪の混じった髪と髭も持つ、小柄でずんぐりとした『気の良いおじちゃん』風情だが、ひとたび弓を構えると、いまだにダヴィネス領内でその腕に並ぶ者はいないという強者の射手だった。
その老エルメ卿がカレンの指導に当たる。
「レディ、ご実家の領地でかなりやっておったのじゃろ?」
と、目じりの皺を寄せ、愛嬌のある目をくるりとさせる。
「…はい。我流ですが…」
ストラトフォードにいた頃は、領地の森で鹿や猪を狩っていた。
母には渋い顔をされたが、父や兄に止められはしなかったので自由に狩りをしていたのだ。
「でも、本当に久しぶりなので弦を引く手が痛いです」
カレンは二の腕をさする。
「ふぉっふぉっふぉっ、それでも南部では大人よりデカいイノシシを連射で射たそうじゃな…大したもんじゃて」
エルメは顎髭を持ちながら感心する。
「いえ…あの時はとにかく必死でしたから」
専門家を前に、カレンは恥ずかしくなる。
南部から帰った騎士達がこぞって連射を教わりたがるのは、カレンの影響が大きかった。
「構え方じゃな。もうちょい楽な方法もあるでな」
言いながら、エルメはカレンの腕を取り、構えを直す。
「エルメ爺、あんま姫様に触れんなよ、ジェラルドがこえーからさ」
今日の鍛練には、アイザックが付き合っている。
ネイサンも控えているが…なぜかやたらとギャラリーが多い。
「黙れザック!触れんと指導にならんじゃろが」
エルメは至って真面目にカレンの型を直す。
「ん!これでエエじゃろ。レディ、もう一度射てみ。あとは離しのタイミングじゃな、気持ち待ってみ」
「はい」
カレンは弓をつがえ弦を引くと、狙いを定めて右手を離した。
ビュンッ!
「的中!!」
的のど真ん中だ。
またもや、ギャラリーからおお!とどよめきが起こる。
「フン!まったく筋がいい!!」
エルメは唸る。
「…すごい、ほんとに腕が楽になりました!」
カレンは感動する。少しの指導でこんなに違うとは…さすがは稀代の射手だ。
「姫様あんまり褒めんなよー、じーさんすぐに調子に乗るからさぁ」
「その口をつぐめザック!レディはお前などより余程腕は上じゃて。お前も見習わんかっ」
ザックはへーへーと口返事だ。
カレンはそのやり取りにクスクスと笑う。
「エルメ卿!レディの連射見たいっす!」
ギャラリーから声が上がる。
カレンはギョッとするが、「俺も!」「俺も見たい!」と次々に声が上がり、後には引けなさそうだ。
「お前ら控えろよっ」
ネイサンが注意するが、声は一向に収まらない。
「エルメ卿…」
カレンは困り顔だ。
「フム…そうじゃな……」
エルメは顎髭を触りながら何やら思案する。
「どうじゃレディ、試しにやってみられんか」
「えっ」
「エルメ卿!」
ネイサンが止めに入るが、エルメはまるで無視だ。
「おい、ワシの短弓を持ってこい」
「はっ」
エルメは傍らにいた従騎士の少年に言いつけると、カレンに続けた。
「南部では従騎士の弓で射たそうじゃな。今日はワシの弓を使うとええ」
「あ、…はい」
カレンは戸惑いつつも、エルメに勧められるがまま、連射をする羽目になった。
的が連射用の物に取り換えられ、カレンはエルメの短弓を渡された。
年期の入った弓幹(ゆがら・弓の本体)は磨き抜かれた美しい木目の光沢を放つ。
独特な模様が彫られてあり、形も通常の短弓と少し異なるようだ。
「南部では矢羽で頬が切れたらしいな…これはそこまで弦を引かんでも十分飛ぶ。取付をしっかり持ってな、一度射てみ」
「はい」
カレンは慎重に弦を引き、顎の辺りまで引くと手応えを感じたので、そのまま狙いを定めて弦を離した。
ピュンッ!
「惜しい!」ギャラリーから声が漏れる。
中心を外れたが、的には刺さっている。
なるほど!
「これは便利ですね…!」
カレンは顔をほころばせた。予備動作に時間を割かず、しかも引き手の負担が格段に少ない。手元より標的に、より意識を向けられる。
「そうじゃろそうじゃろ!レディにはわかるじゃろて…これなら連射もお手のもんじゃ」
「はい!」
「なんか違うのか?」
アイザックが不思議そうに尋ねる。
「ハッ!お前には一生わからんじゃろて。ずっと剣だけ振り回してろ」
エルメはアイザックを邪険にする。
「ケッ、ったくよく言うよ。俺だって弓技は一通り修めてんだぜー」
「お前の集中力は弓技向きじゃないんじゃ。間違っても戦場では弓は引くな。我ら第5の射手隊に任せろってことじゃて」
「ちぇーっ」
第1騎士団長も、エルメにかかれば形無しだ。
カレンはまたもクスクスと笑う。
「さてレディ、ほんならそれで連射してみ」
「はい!」
カレンはネイサンから矢筒を背負わされた。
息を整え、後ろを向く。
振り向きざまに連射をはじめるのだ。
連射の的は上下左右にランダムに5つ並ぶ。
弓技場が、シン…とした緊張に包まれる。
と、カレンは振り向き、矢筒から素早く矢を取り出すと、構えとほぼ同時に弦を引き、次々と繰り返し矢を射た。
「は、速い!」
「スッゲー…」
あっという間に5矢を放ち終える。
弓技場はシーンと鎮まったままだ。
5矢は、すべて的のど真ん中に的中していた。
と、一人のパチパチという一際大きな拍手が鳴り響いた。
皆がハッとして、拍手の方を見ると…ギャラリーの後ろで、ジェラルドが微笑んで拍手をしている。
「す、全て、的中!!」
的係が慌てる。
「見事だカレン!」
ジェラルドが声を上げると、ギャラリーの騎士達も拍手をしつつ、歓声を上げた。
「カッコ良すぎないか?姫様…」
アイザックも呆気に取られている。
「だから言うたじゃろが。わかるモンにはわかるんじゃて」
エルメは得意気だ。
「…しかし、レディの連射はもはや素人の域は出とるの…」
「僕、あのように構える連射は初めて見ました!」
側にいた従騎士の少年が興奮気味にエルメへ話し掛けた。
「あれは射手隊でもできるモンは限られる技じゃて」
エルメはうーむ、と唸る。
「この弓がとても狙いやすくて…試しにやってみたら、できました」
カレンも全て的中は予想しておらず、純粋に嬉しかった。
「レディ、どうじゃ、第5部隊に入られんかの?」
エルメは真面目な顔でカレンを勧誘した。
「バカを言うな、エルメ」
ジェラルドが現れ、エルメのスカウトを諌める。
「ジェラルドか…しかしこのままではワシはいつまで経っても引退できん」
「まだ引退は早いぞ。スターを育てろ、エルメ。お前のような、な」
「何がスターじゃ。まったく年寄りを喜ばせおって…しかしレディの腕は見事じゃぞ、ジェラルド。これなら北部でも心配ない」
「カレン、手応えは?」
「エルメ卿のご指導が的確過ぎて…お陰で勘が戻りました。ありがとうございました、エルメ卿」
カレンは短弓をエルメ卿へ返そうとした。
しかし、エルメは短弓をカレンへと押し戻した。
「これは、もうお前さんのものじゃて」
「え?」
カレンはビックリする。
「北部への旅の共に…これを持って行ってくだされ。きっとレディのお役に立つでの」
エルメは深い眼差しでカレンを見つめた。
カレンはジェラルドを見た。
ジェラルドは、微笑んで頷く。
「…ありがとうございます。エルメ卿…この弓に恥じぬよう、努めます」
エルメは嬉しそうに目を細め、ウンウンと頷いた。
そして「さて」と、周りの者達へ告げる。
「レディの連射を見たか!見ただろう?確かな技と集中力、そして自由さが射手の妙じゃて!鍛え直しじゃてっ!!」
「「「はっ!」」」
「俺もちょっとやってくわ、ジェラルド」
アイザックが言うと、
「当たり前じゃ!今のお前の腕前で第1騎士団長を名乗ることが、そもそも恥さらしじゃて!」
と、老エルメ卿は叫んだ。
・
「エルメの弓を譲り受けたか…」
弓技場からの帰り道、回廊を歩きながらジェラルドがカレンへと呟く。
「…はい。私にはもったいないですね」
「…いや、武器は遣い手を選ぶと言う。エルメの弓は、正しくあなたの元へ来たんだ」
「なんだか、責任を感じます…」
カレンは気を引き締める。
そんなカレンの横顔を見てジェラルドは微笑むと、カレンの腰に手を回してこめかみにキスをした。
「エルメは北部出身で、ほんの子供の頃に先々代を弓で射た縁でダヴィネスに来たんだ」
「え?そんなご縁が?」
「今ではすっかり爺だが…先代も私も、戦場では幾度も彼に助けられた」
そうなのですね…。
カレンはジェラルドの横顔を見つめる。
深緑の瞳は過去へ思いを馳せる。
「弓こそセンスを最も要する武器だ。その美しさや鋭さは、正にあなたに相応しい。エルメはあなたに軽いふりをした重いものを託したな」
カレンを優しく見つめる。
「光栄です。ジェラルド…私は使えますよ?」
カレンは挑戦的に瞳を煌めかせ、足取りも軽く楽しげだ。
ジェラルドはカレンの生き生きとした顔、煌めく瞳…その全身から発するしなやかな力強さに圧倒された。