南部へ・番外編3・栗とアンジェリーナ
「アンジェリーナ、おやつにしましょう」
「はあーい!」
南部城砦での幾日か目のティータイム。
ジェラルド達は視察で出払い、カレンやアンジェリーナは居間で寛いでいた。
侍女頭のダイアンや侍女のデボラが、なにくれとなく世話を焼いてくれるので、カレン達は心地よく過ごしている。
…が、一昨日のお茶の時に、カレンはドキリとすることがあった。
~
ダイアンとデボラがお茶の準備を整えてくれた後、給仕はニコルがするから、と二人には下がってもらった。
「! 奥様!!」
お茶を注いでくれていたニコルが、突如声を上げた。
「どうしたの?ニコル」
カレンがニコルを見ると青ざめており、お茶菓子のひとつを凝視している。
何だろうと思いカレンはテーブルを覗くとそこには…
「な、なぜコレが出されるのですか…!」
珍しくニコルが怒りを露にしている。
目の前には、ふんわりと焼かれたマドレーヌやつやつやのアップルパイとともに、ふっくらと大きな栗の甘煮があった。
「あら…」
カレンは軽く驚くが、疑問の方が大きい。
ダヴィネス城のごく限られた者しか知らない最重要事項のひとつに〈カレンに栗を食べさせるべからず〉という項目がある。
カレンは栗のアレルギーを持っており、ダヴィネス城へ来た当初ひどい目に遭ったのだ。
それ以降、ダヴィネス城では栗を食材として扱うことはない。
今回の南部への訪問にあたり、限られた者にしか知らされない形で、申し送り事項として伝えられたはずだ。
はずだが…目の前には見事な旬の栗があった。
「…私、ジェラルド様にご報告いたします」
ニコルは怒りのあまり、今度は顔を紅潮させている。
主であるカレンの命さえ脅かしかねない。
侍女として当然の態度だった。
「待って、ニコル」
カレンは、この事態について考える。
如才ないフリードが、カレンの栗のことを伝え忘れるとは考えにくい。そんなことをすれば…
カレンの脳裏に、かつて巨大な剣ーツーハンデッドソードーでフリードを斬らんとしたジェラルドの激しい怒りが思い出された。
あり得ない。
では、南部内での連絡の行き違い…?
問題は情報がどこで留まっているのか、だ。
「…まさかね…」
カレンは、ふとあることを思い付くが、にわかには信じられない。
ティーセットを持ってきたダイアンやデボラには、何ら悪びれた様子は見られない。4姉妹の間で情報の齟齬はあり得ないだろう。恐らく厨房のダフネには知らされていないのだ。
となると、情報を留めたのは…故意なのかうっかりなのかは置いておいても、思い当たる人物は一人しかいない。
ランドール・スタンレイ男爵だ。
「まいったわね…」
カレンは額を押さえ、ため息を吐いた。
「奥様…」
ニコルは心配そうにカレンを見る。
しかし、ここで事を荒立てては南部との関係に波風が立つ。
「ニコル、このことは黙っていて」
「え!?奥様?」
カレンの言葉に、ニコルは信じられない、という顔だ。
「何か行き違いがあったのかも知れないわ。今は事を荒立てたくないの。ここにはあと数日しか居ないのだし…」
「でも!お命に関わります!」
ニコルも必死だ。
カレンが栗を食して目の前で気を失った姿を目の当たりにしたいるのだから、当然だった。
「栗が使われていたら、見ればわかるし…」
「でも、細かくして使われたら…」
「十分気をつけるわ」
「奥様…」
「お願いニコル、口外しないで」
カレンは請うように、しかし強く、ニコルに言った。
「…承知しました」
ニコルは不承不承ではあるが、カレンに従う。主の命は絶対だ。
「あ!栗だ!」
ティムに連れられて現れたアンジェリーナは、目の前のおやつに目を輝かせる。
アンジェリーナはカレンとは違い、栗のアレルギーは無く何でもよく食べる。
(栗の耐性を確かめるためにほんの少しだけ栗の粉を舐めさせたことがある。カレンは、アンジェリーナはアレルギーの体質は引き継いでいない確信はあったが、それでもジェラルドは相当渋った)
なので食育の一環として、アンジェリーナには栗を出すことを許可していた。
「…母しゃまは、食べちゃダメ」
と、いち早くカレンに告げる。
アンジェリーナは幼いながらも、栗が母の命を危うくすることをよく理解しており、ゆえに栗に対してかなり敏感だ。
「わかってるわよ、アンジェリーナ。私は食べません」
カレンが告げると、アンジェリーナはニッコリと笑う。
そして、カレンの分の栗の甘煮もペロリと平らげた。
~
栗の甘煮が出てから、数日後のティータイム。
ニコルは栗の甘煮以降、カレンの口にするものには神経を尖らせているが、今のところカレンは無事だ。
今日のお茶菓子は、スパイスの効いたブレッドケーキ、ショートブレッド、小さな器に入った…恐らくリンゴのプディングだ。
どれも作りたてで見目麗しい。
と、アンジェリーナが器に入ったプディングを凝視している。
「アンジェ?プディング食べるの?」
「…んー」
なんだか微妙な顔だ。
「僕が食べさせましょうか」
アンジェリーナの隣に座るティムが、プディングの器を手に取った。
アンジェリーナは器を持つティムの手を持つと、顔を近づけてクンクンと動物のようにプディングの匂いを嗅ぐ。
「…コレ、母しゃま食べちゃダメ」
難しい顔をして告げると、あ~んと口を開けた。
ティムがアンジェリーナにスプーンを運ぶ。
カレンとニコルは顔を見合わせる。
「すみません、ちょっと失礼いたします」
ニコルは慌てて、プディングの器のひとつを取り、スプーンですくうと口に運んだ。
「…確かに、入ってます。栗が」
ニコルは眉をしかめた。
「風味付けのためかと思われますが…粉にされるとさすがに…」
「ええ、見た目では…わからないわね、リンゴも入ってるし…」
と、カレンはアンジェリーナを見ると、次から次へとティムにスプーンを運んでもらい、美味しそうに味わっている。
「ねぇアンジェ、なぜこのプディングに栗が入ってるとわかったの?」
アンジェリーナはキョトンとする。
「だって、匂ったもん」
口にせずとも匂いでわかるとは…わが娘ながら、その動物的な嗅覚に、カレンは舌を巻いた。
「アンジェリーナ様は、味覚とか嗅覚がとても鋭いです。見た目よりもその人の匂いで判別できるみたいで…あと、馬も匂いで判別できます」
ティムはアンジェリーナの口許をナフキンで拭きながら、さらりとすごいことを言った。
子供ゆえのものなのか、それともアンジェリーナの特性なのか…アンジェリーナの嗅覚が人並みではないことは、カレンも気づいてはいたが、そこまでとは思っていなかったし、公にしては危ないことだと思っていた。
だが、今回はその鋭さに助けられたのは間違いない。
「アンジェリーナ、ありがとう。あなたに助けられました」
カレンはアンジェリーナの額にキスした。
「アンジェ、母しゃまを守ります」
深緑の瞳をきらめかせ、鼻息荒く答える。
この正義感の強さは、ジェラルド譲りだろうか…カレンは苦笑する。
当のアンジェリーナは、強気な発言とはうらはらに、おやつを嬉しそうにパクパクと頬張った。