南部へ~その5~もはや企み(下)
「…つまり、カレン様への栗の作用は単なる好き嫌いの範疇だ、と思っていたと」
フリードが厳しい顔でランドールの言い分をまとめる。
南部城砦ランドール・スタンレイ男爵の執務室。
本来の主の執務机には、今はダヴィネス領主のジェラルドが、顔の前で両手を組んで座る。その印象的な瞳は怒りを称え、いつもより深い色に変化し、鋭い光を放っている。
執務室は緊張の空気が張りつめていた。
執務机の前の長机には、フリード、アイザック、ランドール、そしてカレンも座っていた。
ディナーで出された“栗”についての話し合いだ。
カレンは自分の体質が原因でこのような大事になったことがいたたまれない。
「そうだよ」
ランドールはフリードに答えた。
ジェラルドに栗責めにされたランドールはむくれている。
「単なる好き嫌いを、ごく限られた者にしか知らされない最重要事項に載せると思うか」
ジェラルドは追及の手を弛めない。
「……」
ランドールは黙って口を尖らせた。
「だから料理長のダフネ達にも知らせなかったのか」
「……」
「答えろランドール」
かつて、ランドールはカレンを言葉で辱しめた挙げ句ジェラルドに殴られ、南部の統治を奪われかけた経緯がある。
辺境の悪魔の行為は要注意なのだ。
その時、「失礼します」と、デズリーがディナー担当の料理長のダフネを伴って現れた。
ダフネはシェフの帽子を取り、部屋に居る面々を見て、そのただならぬ雰囲気にハッとする。
「な、なにか粗相がございましたか」
「ダフネ、単刀直入に聞くが…カレンは栗が食べられないことは事前に知らされていなかったか」
ジェラルドが直接ダフネに問う。
「は…栗、ですか?」
そのダフネの表情を見て、ジェラルド、フリード、アイザックの3人は顔を見合わせた。
どう見ても悪意はない。
「まさか、ご体質に合われないとか?」
ダフネは真剣な顔をカレンに向けた。
さすが料理長ともなると察しがいい。
カレンは申し訳なく、少し微笑んで頷いた。
「そんな…ランドール、聞いてませんよ!」
ダフネはランドールに向けて怒りを露にする。
「ランドールは隠していた。ダフネ、お前に非はない」
ジェラルドの言葉に、ダフネは再びハッとする。
「まさか、ディナーのローストを召し上がられましたか?」
「ローストの栗は僕が食べたよ」
「黙れランドール!」
アイザックがピシャリと諌める。
「今回の滞在中の食事には、今日の他に栗は使いましたか?」
フリードがダフネに問う。
「ここら辺りの栗は大粒で甘いのですが…栗は万人受けするようで、案外好き嫌いの問われる食材です。私は頻繁には使いませんが…確かお茶請けに二度程お出ししています。甘煮と…プディングです」
「なに?」
ジェラルドがギロリと視線を走らせ、ダフネはビクリとする。
「大丈夫です、ジェラルド。どちらも口にしていません。もし食べていたら…私はこの場にはおりませんもの」
カレンはダフネを庇うつもりで明るく答えたが、返って場をシーンとさせてしまった。
「申し訳…ございません」
ダフネは深々と頭を下げる。隣のデズリーも同様に頭を垂れている。
「いやだ!違うのよ。あなたは何も悪くありません、デズリー団長も、頭をお上げください!」
カレンは焦った。
あの楽しかった夜の集まりの思い出を台無しにしたくはない。
「甘煮は見ればすぐにわかるし、プディングはアンジェリーナがいち早く気づいてくれました。あの子は食いしん坊なだけあって、食べ物に対する嗅覚がすごいのです」
カレンは努めて『大したことではない』アピールをする。
ただ、ジェラルドが発する気が強く刺さり、冷や汗がたらりと背中を伝うのがわかる。
ダフネはなおも申し訳なさそうだ。
「そうだな、ダフネに咎は無い。…ランドール、すべてはお前の責任だ」
ジェラルドが口を開き、ランドールを厳しく睨む。
「…わかったよ。僕が悪かった。処分を受けるよ」
「ランドール、これは領主への反逆と見なされてもおかしくないことです…領主夫人の命に関わることですから…その重さをわかってますか?」
フリードは、畳み掛けるようにランドールに確認する。
「…ああ。わかってる」
今やランドールは頭を垂れ、うなだれている。
フリードはため息を吐くとジェラルドを見た。
ジェラルドはフリードに黙って頷く。
「取り急ぎは謹慎です。明日の我らの出立までは大人しくしておいてください。ザック、見張りをつけてください」
「わかった」
・
カレンは客室に戻ると、ぐったりとベッドに腰掛けた。
今夜は闇夜のようで、夜が深い。
「…奥様、お疲れですね…ご入浴はどうされますか?」
ニコルが見たからに疲れきったカレンを気遣う。
「うん…」
カレンは返事になっていない返事をすると、そのままパタリとベッドに倒れ込んだ。
カレンが退出した後、執務室ではランドールの処遇について、ダヴィネス城と南部の幹部が話し合っているだろう。
カレンは両手を目の上に重ねる。
「なんでこんなことになったのかしら…」
ジェラルドの怒りは尋常ではなかった。
それでも、ランドールがすぐに非を認めたことと、あとはアンジェリーナの存在で、かなりその怒りは鎮まったと思う。
しかし、ランドールをどうこうは…と思い、カレンはまさか、と首を振る。
カレンの脳裏には、かつてランドールが南部の統治をジェラルドから取り上げられかけたことが過る。
ランドールもだが、4姉妹のことを考えると、消えてしまいたくなる。
私が南部に来さえしなければ…
広いベッドに横たわり悶々と考えていると、ニコルがハーブティを持ってきてくれた。
「どうぞ、気持ちの落ち着くハーブティです」
ニコルは恐らく、事情を使用人達から聞いたのだろう。
主の落ち込みようを心配している。
「ありがとう、ニコル」
カレンは温かいハーブティをひとくち飲んだ。
爽やかな香りとほのかな甘みが鼻腔と舌をくすぐる。
「そういえば、アンジェリーナは?」
「もうぐっすりお休みです…ランドールきらい、とぶつぶつおっしゃっていましたが…明日になれば、大丈夫ですよ」
アンジェリーナに助けられた。
カレンは改めて、我が子の存在の大きさを感じる。
「少し顔を見てくるわ」
と、扉で接する子ども部屋へと入る。
アンジェリーナの眠る小さなベッドに近づくとひざまづいた。
アンジェリーナはお気に入りの猫のぬいぐるみに顔を擦り寄せ、くうくうと可愛らしい寝息を立てる。すっかり夢の中だ。
領主の娘としての、この子の未来はどうなるんだろう…
カレンは自身と同じダークブラウンの柔らかな髪の毛を優しく撫で、その小さな額にキスをした。
先のことはわからない。
おやすみ、アンジェリーナ。よい夢を…
その夜、ジェラルドが戻ったのは真夜中だった。
カレンは寝付きが悪く、うとうとと浅い眠りを繰り返していた。
ジェラルドが部屋に戻った気配には気づかなかったが、後ろから抱きすくめられ、うなじにキスをされて、戻ったことに気づいた。
カレンはゆっくりとジェラルドに向き合う。
「…お帰りなさい、ジェラルド」
「ああ…」
深緑の瞳は、もう怒りを宿してはいない。
「あの、スタンレイ男…!」
言葉を遮り、ジェラルドはカレンに口づけた。
この上なく優しく官能的に…でも有無を言わせない。
続いてカレンの額にチュッと口づけると、ピッタリとカレンを抱き締めた。
ああ、これはこのまま眠れってことね…
カレンはランドールの処遇を聞くことは諦め、ジェラルドに身を委ねた。
・
「…北部への預け…?」
カレンはジェラルドの言葉の意味がよくわからない。
「ああ」
朝になり、カレンとジェラルドは朝食を部屋で取っている。
「スタンレイ男爵は北部へ行かれるのですか?」
「そういうことになる」
「では、ここ…南部はどなたが?」
「デズリーと、南部の幹部…フリードとダヴィネス城の騎士数名も当面残る」
これは一大事だ。
カレンは食事の手を止めた。
それを見たジェラルドは、お茶を飲むと話を続けた。
「騎士の異動は領地内では定期的にあることはあなたも知っているだろう」
カレンはコクンと頷く。
フリードから話を聞いている。
ひとつの場所に長く留まれば、その地への愛着は湧くが過ぎれば固執することもあり排他的になる可能性がある。
限られた土地ではなく“ダヴィネス領”全体が己の守るべき地であると意識づけるためにも、役職に着いていない騎士は、出身に関係なく領地内を異動させる仕組みだ。
「今回はランドールが北部へ異動になった、ということだ」
ジェラルドは、さも当たり前という風にさらりと話す。
「…でも、スタンレイ男爵は南部のトップです」
「トップであろうとなかろうと、異動は異動だ。…ま、ローレンスは嫌がるだろうが、騎士としての根性を徹底的に叩き直すには絶好の機会と見るだろう」
でも、それでは南部の皆が黙っていないだろう…
「デズリー団長も同行されないと…」
ジェラルドは頷く。
「ヤツはデズリーに頼りっきりだからな。もう仕方ないとは言わせん」
「でも、」
「カレン」
ジェラルドの強い眼差しに、カレンはドキリとする。
「すでに決定事項だ」
カレンはしゅんとする。
「…私がここへ来なければ、起こらなかった事なのに…」
こんなことになるなんて…
「それは違うぞカレン」
ジェラルドは席を立つとカレンの手を取り、ベッドに座りカレンを膝に乗せた。
片手でカレンの頬を包む。
「…私の怒りは、まだ収まっていない」
そして、夕べ強く握ったカレンの右手首に目を移し、手に取る。
「…すまない。跡がついたな」
痛みはないが、ほんの少し内出血がある。
「大丈夫です。私も無茶をしました…ごめんなさい」
ジェラルドはカレンの瞳を見つめる。
深緑の瞳は、少し不安の色を浮かべている。
「ジェラルド?」
カレンはジェラルドの精悍な頬を細い手で包んだ。
ふぅっと息を吐き、ジェラルドは頬にあるカレンの掌にキスをすると、体ごとカレンを抱き締めた。
「…本当に、夕べはあまりの怒りで頭が真っ白になった…あなたは栗を食べようとするし…私は命がいくつあっても足りない」
「ジェラルド…」
カレンはジェラルドの髪や広く逞しい背中をゆっくりと撫でた。
無敵と言われる辺境伯が、妻であるカレンにだけ見せる姿だ。
しばらくそうしていたが、ジェラルドがポツリと呟く。
「今回のランドールの処遇については、誰も異を唱えなかった。私よりフリードの方がもっと厳しい処遇を望んだぐらいだ」
もっと厳しい…カレンは想像もつかない。
「デズリー団長は?」
気になる。
「デズリーも当然の処遇で、良い機会だと言っていた。デズリーは真の意味でランドールを大切にしているよ」
そうなのね…。
「あなたは何も気に病む必要はない。ランドールへの対処は遅すぎたくらいだ」
「…わかりました」
思うところはあるが、カレンはジェラルドの言葉に納得した。
・
「本当に申し訳ございませんでした」
カレンは荷造りを終え、4姉妹への挨拶をしている。
4姉妹は揃って頭を下げた。
ランドールの処遇は、すでに城砦中に知れ渡っていた。
「いえ…お世話になりました…お騒がせしてごめんなさい」
カレンは申し訳なく述べる。
「まさか!!全面的に私どもの失態でございます。奥様は何も悪くはございません」
長女のダイアンを筆頭に、姉妹達は慌てふためく。
「ランドールのワガママぶりに慣れきっていた私達にも責はあるのです。今回の事は重く受け止めております」
デズリーが生真面目に答えた。
「そうです…ランドールの勝手が過ぎたので、仕方のない結果です」
ダフネも納得の顔だ。
「北部で鍛え直されたら、少しはまともになるのかしら?」
末っ子のデボラも容赦ない。
「それはローレンス卿の手に委ねるしかありませんね」
カレンは答える。
「まぁ、間違っても栗責めはされないでしょう」
「当たり前よ!」
「でも、結構効くと思うわよ」
「栗責めが?」
「ふふっ」
4姉妹のやり取りがおかしく、カレンは思わず笑いだしてしまった。
「あ、奥様!失礼いたしました」
デズリーが慌てる。
カレンはううん、と首を振る。
「南部でのことで、懐かしく親しみを持って思い出されるのは、あなた方4姉妹のことでしょう…本当にお世話になりました……ニコル」
「はい奥様」
ニコルはカレンに、美しくレースを施した4枚のハンカチを渡した。
「これ…城塞街で作らせたものです。よろしければお使いください」
と、一人一人に手渡す。
「まぁ…なんて綺麗!それに名前が刺繍されています!」
ハンカチには、4人それぞれの名前が刺繍されていた。
「刺繍は…あの、ごめんなさい。私はさほど得意ではないので、刺繍の得意なニコルに刺してもらいましたの」
と、カレンはニコルを見ながらはにかんだ。
「もったいのうございます、奥様」
ダイアンは涙ぐんでいる。
デズリーがダイアンの背中を撫で、居ずまいを正した。
「奥様、我らは南部の者である前に、ジェラルド様の、ダヴィネス領の配下です。これからもダヴィネスのために全力を尽くします!」
4姉妹は揃って美しい礼を取った。
・
「では頼んだぞ、フリード」
「はっ」
南部からの出立の時。
フリードと数名の騎士を残し、ジェラルド達は南部を後にする。
見送りにはランドールはおらず、デズリーを筆頭に南部の騎士や兵士達が居並ぶ。
カレンがふと目を移すと、ダイアンをはじめ使用人達も見送ってくれている。
「奥様、これに懲りずにまた是非ともお越しくださいませっ!」
デボラが叫ぶと、見送りの者達からワッと歓声が上がる。
…良かった。夕べの遺恨は見られない。
南部の皆の様子に、カレンはほっと胸を撫で下ろした。
「また必ず参ります!さようなら」
カレンはアンジェリーナとともに手を振る。
「出立!!」
アイザックの力強い掛け声とともに、ダヴィネス城の一行は南部城砦を後にした。
秋の空気が徐々にダヴィネスを色づかせる。
季節は確実に移ろい始めていた。