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辺境の瞳~南部へ北部へ~  作者: 鵜居川みさこ
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南部へ~その4~もはや企み(上)

「風邪でも引きましたか」


「…ん?」


「いえ、喉を気にしてるみたいなので」


 兵士達の鍛練の様子を見ながら、フリードがジェラルドに聞いてきた。


 ジェラルドは、朝からやたら喉の辺りを触っている。


「いや…風邪は引いてない」


「?」


 フリードは、だったら何なんだ、とは思ったが、ジェラルドからの答えは得られそうにないので、そのまま何も問わなかった。

 だが、ジェラルドの口許が微笑んでいるのは見逃さなかった。



「ジェラルド、今日はいつもにも増して覇気がすごいね」

 ランドールがジェラルドの手合わせの様子を見ながら、アイザックに言う。

 ランドールの言葉通り、バサバサと疲れ知らずに兵士達の稽古をつけている。


「そうだな。なんかいいことあったのかもな」

 アイザックはさして気にもしていない。


「…今日はさ、レディは部屋から一歩も出てこないらしいよ」

 ランドールは思わせ振りな顔だ。


 アイザックは「はぁーっ」やれやれ、とため息を吐いた。

「お前なぁ、、止めろよージェラルドと姫様の仲をあれこれ勘ぐるの!またぶっ飛ばされるぜ」


「だってさ、面白いじゃん」


「それが余計なお世話だっつーんだよ!」

 ったくいい加減にしろって、とランドールを睨む。


 と、ジェラルドが「ザック!変わってくれ」と声をかけた。


「りょーかい!」

 アイザックは木剣を手に、鍛練場の中へと入っていく。


「…すっかり手懐けられちゃってさ」

 アイザックの背中を見ながら、ランドールはボソリと呟いた。


 実際のところ、ランドールは以前よりわかりやすくカレンへの当たりは柔らかくなった。

 カレンに大怪我を負わせたことへの負い目があり、またデズリーとの結婚に於いてはカレンに世話になったことが大きい。感謝もしている。

 しかし、だからと言ってカレンを好きになったワケでは、決してないのだ。


 やはり口を突いて出てくるのは、カレンへの嫉妬とも思える言葉だった。


「ジェラルド、今日はなんだかすごいね」


 汗を拭いながら歩いてきたジェラルドに、ランドールは話し掛けた。


「体がよく動く。お前は夕べの酒が祟っているんだろう…動きが鈍いぞ」


「もう!僕のことはいいんだよ!」

 ぷんすかと怒る。

「…それよりさ、客間のベッド、気に入った?」


 ジェラルドは汗を拭く手を、ピタリと止めた。


「…気に入ってくれたみたいだね」

 美しい顔でニヤニヤと笑う。


「お前の思惑はどうだか知らないが、ま、ありがたく使わせてもらっている。心配はいらんぞ」

 と、ランドールの肩をポンとひとつ叩くと鍛練場から去った。


「…んだよ、どうありがたがってるのかが知りたいんじゃないか…」

 ランドールの扱いは心得ているジェラルドだ。深入りはしない。


 ジェラルドは歩きながら、また喉に手をやり、自覚なしに喉を触っている自分にハッと気づき、笑みを漏らした。


 喉…正しくは喉仏だ。


 夕べ、ジェラルドはカレンに喉仏を“食べられ”た。


 ~


「私も食べたいの」

 と、薄碧の瞳を爛々と煌めかせ、かぷりと可愛らしくジェラルドの喉仏に噛みついてきたのだ。


 その蠱惑的な小動物のような行為に、ジェラルドは…殺られた。


 噛まれ、舐められた感触がずっと喉仏に残り、知らず手をやっていた。


 ~


「ジェラルド、顔、緩んでますよ」


 いつの間にか横に並んだフリードがジェラルドの顔を横目に見て、眉を上げて諌める。


「皆の前では耐えたんだ。今は見逃せ」


 フリードはなんとなく事情がわかり、「はいはい」と呆れる。

 しかしなんにせい、我が主の機嫌がいいのは、すべからく良いことなのだ。


 ・


 南部での予定を順調にこなし、いよいよ明日は南部を立つ日となった。


 今夜はディナーからの宴会で、皆で最後の夜を惜しむ。


 カレンやアンジェリーナも宴に交わる。


 料理も南部の特産を生かしたものばかりで、食いしん坊のアンジェリーナは目を輝かせている。


 と、今の今まで談笑していたカレンの隣に座るジェラルドが、急に怒気を発し出した。


 カレンは何事かと思い、ジェラルドを見るとなんと青筋を立てている。

 向かいのフリードは既に顔色がなく、アイザックも「ヤバい」と呟く。


 ジェラルドの怒気は、水面に一滴の雫が落ちた時のように、ジェラルドを中心に周りへと冷たく広がった。


 ザワめきは次第に収まり、ついには会場全体がシーンと水を打ったような緊張に包まれた。


「ジェラルド?どうなさったの?」

 カレンは矢も盾もたまらず、ジェラルドに話し掛けた。


「…申し訳ありません。私の連絡不行き届きです」


 答えたのは目の前に座るフリードだった。


 ジェラルドは無言のままだ。


「?」


 カレンは訳がわからない。


 すると、アイザックが目の前のチキンの丸焼きのローストを指差した。


 丸々と太り、美味しそうにこんがりと焼かれたチキン…その周りには香草とともに季節の野菜のローストも添えられている。


 ジャガイモ、プティオニオン、ニンジン、カボチャ…


「あ」


 栗だ。


 料理が出された時にはカレンは気づかなかったが、今が旬の大粒の栗のローストが添えられている。


「…ダフネを呼べ」


 ジェラルドが地の底を這うような低い声で、ランドールに言う。


 まずいわ。


「何?なんでそんなに怒ってるのさ」

 ランドールは訳がわからない、といった顔だ。


 ランドールの発言に、フリードが鋭い視線を送る。


 あ、これは、悪魔の発動かも知れない。


 気づいてしまったが、しかしカレンはなんとかこの場を収めたい。


「ま、待ってジェラルド!スタンレイ男爵も待ってください!」


 カレンはジェラルドの腕を取った。

「ジェラルド、私は大丈夫です。だから怒らないで…!」


 カレンは必死だ。

「お願い、ジェラルド!」


 アンジェリーナも父母のただならぬ様子に目を丸くしている。


 ジェラルドは腕に置かれたカレンの手を包み、ゆっくりとカレンへと向き直った。

「…許せることと許せないことがある。しかしこれは許してはならないことだ、カレン」

 深緑の瞳が暗く揺らめいている。

 相当頭にきている証拠だ。


 カレンは焦る。

 許すも許さないも、私は栗は食べていないし、そもそもアイザック卿に指さされるまで気づきもしなかったのだ。


 しかし、今この場でダフネを呼びつけ、ランドールを責めても南部の者達の反感を買うことは目に見えている。

 自分のせいで……カレンは冷や汗がにじむ。

 それは絶対にダメだ。


 カレンは一計を案じた。

「…ジェラルド、怒りを収められないのであれば、私は…コレを食べます」


 と、カレンは栗を指差した。


 ジェラルドはカレンの言葉に大きく目を見開き、フリードとアイザックはわかりやすくギョッとする。


 皆がカレンを凝視する中、カレンは自らのフォークで目の前のローストチキンの乗ったトレイから、栗をプスリと刺した。

 お行儀は良くないが、今はそんなことは後回しだ。


 大きな栗は艶々している。食べられるなら、チキンとの相性は抜群だろう。


 カレンがフォークを持ち上げたその時、ジェラルドはすかさずカレンの腕を掴んだ。


「止めるんだカレン!」

「母しゃま、ダメ!」


 ジェラルドとアンジェリーナが同時だったかも知れない。

 カレンは立て続けに夫と娘を見た。


 アンジェリーナもカレンが栗を食べられないことはよく知っている。

 幼いながら心配そうに深緑の瞳を潤ませている。

 一方ジェラルドは…アンジェリーナと同じその深緑の瞳は、驚いてはいるが幾分怒りは和らいでいるように見える。


 しかしまだ油断ならない。


 カレンはジェラルドと見つめ合ったまま、栗の刺さったフォークの持つ手の力はまだ弛めなかった。

 ジェラルドもかなりの力でカレンの手首を持っていて、カレンの手はブルブルと震える。


「わかった!僕が悪かった。謝るよ、ジェラルド…レディ。すまない」


 ランドールが声を上げた。


 と、ジェラルドがついにカレンの手からフォークを奪い取り、それをそのままランドールの口へと押し込んだ。


「ん!?」


「お前が食べろ」


「もご、なんで、ふぉく(僕)が…」

 突然栗を口に入れられたランドールは慌てるが、ジェラルドはまったく意に介さず、次の栗をフォークに刺すとランドールの口へと押し込む。


「ほら」


「ちょ、ジェッ、モゴッ」


 ジェラルドは栗を次々とランドールへと食べさせ、ランドールは抵抗虚しく、モグモグと咀嚼する。


 騎士や兵士達は何事かと立ち上がりランドールの様子を認めると、笑いの渦が巻き起こった。


 “辺境の伊達男”の二つ名を持つ美貌のランドールも、今やリスの様に両頬に栗を含ませているのだ。


 と、ランドールは栗を喉に詰まらせたのか、胸を叩きながら苦しそうに顔をしかめた。


「はいこれ飲んで」

 デズリーが冷静にランドールへ水の入ったカップを手渡すと、ランドールはゴクゴクと栗を飲み下した。


「はぁーーー、死ぬかと思った…ったくジェラルド!なんてことするんだよっ」


「お前は栗を食べても死にはしない」

 ジェラルドが栗を刺したフォークを持ったまま、普段より数段低い声でランドールに告げる。


「!」


 ランドールを囲む面々は、皆冷たい視線でランドールを見る。

 デズリーさえも。


「な、なんだよ、冗談だろ。レディは無事なんだし、ムゴッ」

 またもやジェラルドがランドールの口に栗を押し入れた。


「…冗談では済まさんぞランドール。デズリー、食事の後でランドールとダフネを執務室へ連れてこい。…フリードとザックもだ」


 デズリー達は、口々に諾の言葉を発すると、静かに食事を再開した。


 カレンは、と言うと、本気とも冗談とも判断のつかないジェラルドの行動に呆気に取られていた。


 しかしひとまず、宴会を台無しにすることは避けられたようで、ホッとする。


「…ランドール、かっこわるい」


「え?」


 アンジェリーナは、ティムに取り分けてもらったチキンと栗を頬張っている。

 アンジェリーナは食べ物のアレルギーは無いので、栗も平気だ。


「母しゃまをいじめたら、ゆるさないから」

 珍しく怒っているようだが、食べる手は止めない。


「ふっ」

 ふいにジェラルドが吹き出した。

「そうだなアンジェリーナ、その通りだ」


 ジェラルドは手を伸ばして、カレン越しにアンジェリーナの頭を撫でた。

 アンジェリーナは得意気だ。


「お前の母様に害を成すものは…誰であろうと決して許さない」


 怒りは収まったかと思われたジェラルドだが、目が恐い。


 しかし、夫と娘はカレン越しにしかと目を合わせ、志を同じくしたようだ。


 カレンはふぅとため息を吐くと、あまり食欲は無いが、食事を再開した。

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