16. 北部へ~その7~思わぬお土産
「では、レディ カレンに会うためだけにここ(北部城塞)へ現れたと!」
北部での最後の夜、ローレンス卿の長女、レディ アンを交えての晩餐会が催された。
レディ アンは少し南へ下った街にある、ローレンス卿の別宅にお住まいとのことで、城塞へは父ローレンス卿の顔を見がてら、たまにお戻りになるそうだ。
さっぱりとした性格のレディ アンは、ジェラルドとは幼い頃からの顔馴染みで、年上のせいもあってか領主と言えどジェラルドに全く遠慮がない。
今や北部城塞中の噂になっている、ヴァン・ドレイク出現事件に、レディ アンも驚きを隠せない。
「へぇ…あのものぐさがねぇ…。余程レディ カレンが気になったのでしょうねぇ」
と、ジェラルドをチラリと見る。
ジェラルドは、相変わらずヴァン・ドレイクの話題になると、ムッスリと無口になる。
そんなジェラルドの様子が面白いらしく、レディアンは余計にジェラルドをからかうように話を続ける。
「これほどの女性はダヴィネスどころか王都にだっていないもの。ヴァン・ドレイクが目をつけるのもわからなくはないけど…」
「………」
ジェラルドは無言でフォークを口に運ぶ。
「ふふ。でもね、レディ カレン、ご存知かしら…ヴァン・ドレイクには各部族の妻がわんさかといるのよ?」
「そうなのですか?」
初耳だ。
「ええ。彼の…」
と、チラリと父ローレンスを気にすると、声を落としてカレンに囁く。
「女性好きはわりと知られた話なの。あの見た目だし、ちょっとしたハーレムらしいわ」
「…アン」
ローレンスが娘を窘める。
レディ アンは、肩をすくめた。
「だって、情報の共有は大切だって、お父様もいつもおっしゃるじゃない」
全く動じない。
カレンはなるほど、と考える。
小部族をまとめるにあたり、最も有効かつ平和的な方法だ。かなり政治的な手段とも言える。
しかし、あの金の瞳にひとたび魅入られればズルズルと引き込まれてしまうことは、直接対峙したカレンも容易に想像できた。
食事の手を止めて考えるカレンを、ジェラルドが訝しむように見つめる。
ジェラルドの視線に気づいたカレンは、安心させるようにニコリと微笑んだ。
ジェラルドも口角を上げ、微笑み返す。
「でもまぁ…懐に入ってきたヴァン・ドレイクを前に、よく我慢したじゃないジェラルド?ねぇ、レディ カレン?」
「いえ…あの、元はと言えば、私のせいなので…」
カレンは、早くこの噂が消えることを願うばかりだ。
「…でも私は生まれた時からここにいるから、カシャ・タキとか小部族とのいざこざとか…もう心底ごめんだわ。お父様には申し訳ないけれど」
お母様も神経をすり減らせていたもの、とディナーの鹿のステーキをパクリと食べた。
カレンはローレンスをチラリと見る。
何も言わないが、ローレンスとて思うところはあるに違いない。たが、ローレンスはカシャ・タキ達と調整しながら北部をまとめることが仕事だ。
これまでも、これからも。
「それにしてもヴァン・ドレイクは人の好みがわかりやすいわね、ねぇ?お父様?」
「それは言えるな。儂など道ですれ違うても無視であろう」
「私もよ」
レディ アンも同意する。
「そうなのですか?」
ローレンスとレディ アンは揃って首肯した。
「それはヤツのあだ名の付け方にも表れております」
「?」
カレンはよくわからない。
ローレンスは続ける。
「例えば、儂は『шъхя』」
「私は『леей』」
ローレンスに続いて、レディ アンも答える。
いずれもカシャ・タキの言葉だ。
「儂は“苔”」
「私は“ジャガイモ”」
「!!」
カレンは二人が訳してくれたあだ名に笑いが込み上げるが、グッと我慢する。
「どうか笑うてやってくだされ、レディ カレン?」
微笑むローレンスの言葉で、カレンはたまらず吹き出してしまった。
ローレンスとアンも連られて笑う。
「もうジェラルド、あなたもお笑いなさいよ」
レディ アンに促されるが、ジェラルドは尚も憮然としたままだ。
「やれ獣だ宝石だなどと、いかにも思わせ振りな所にヤツの傲慢さを感じる」
ジェラルドが、やっと言葉を発した。
「いいじゃない、ジャガイモより」
レディ アンの言い様にカレンは再び吹き出しそうになるが、これはこらえた。
「…ヤツはとにかく勝手だ。一人勝ちのつもりだろうが、いつか痛い目を見る」
ジェラルドの言葉にレディ アンはため息を吐く。
「そうやって牽制し合っても、戦いにさえならなければ、私はいいと思うわ」
レディ アンの言葉は重い。
本当にその通りだ。
「私も…私もそう思います」
カレンも、思わず同意した。
ジェラルドとローレンスは黙っている。
“なんのために戦うのか、それを忘れるな”
カレンは、以前フリードに教えてもらった、カシャ・タキの前棟梁の言葉を思い出していた。
・
「では、ジェラルド、レディ、道中お気をつけて」
「ああ、引き続き北部を頼んだ」
「はっ」
雪が所々積もる、よく晴れた朝、北部での日程を終えたダヴィネス城の面々は、帰路の途に着くため、城塞の大門にいた。
見送りの中には涙ぐむキャロルやノイエ、ショーティ、若い料理人、そしてレディ アンもおり、カレンは短い滞在ながらも忘れ難い出来事ばかりだったと改めて思う。
「本当にお世話になりました、ローレンス卿、皆さんにも」
「…レディ、懲りずに是非またおいでくださいませ」
ローレンスは深い微笑みだ。
「ええ、必ず」
カレンも微笑んで答えた。
「出立!!」
アイザックの掛け声で、一行は北部城塞を後にした。
・
北部城塞から小一時間ほど馬を走らせた時、突然先頭のアイザックが片手を上げた。
一旦止まるという合図だ。
一行は馬を止めた。
「どうしたザック」
ジェラルドが尋ねる。
「…なんか、気配がする」
「…確かにな。しかし殺気はないぞ」
一行は辺りを見回す。
「ジェラルド様!あそこ…!」
ネイサンが、前方にある真っ赤な葉に覆われたナナカマドの大木を指差した。
大木の影に、小さな人影がある。
チラリと半身を覗かせた人物…
「あ!」
カレンは思わず声を上げた。
くしゃくしゃの髪に金の瞳、毛皮を羽織った男の子…カレンが仕掛け網から助けた、カシャ・タキの息子だ。
木の影からチラチラとこちらを見ている。
ジェラルドが射手に弓を構えるよう合図の手を挙げ掛け…
「待って!ジェラルド!!」
カレンはジェラルドを止めた。
「私が助けた子どもです」
ジェラルドはカレンを見て目を見張る。
「…ヴァン・ドレイクの息子か…!」
一行に緊張が走る。
「なんだよ、姫様いると見送りまでしてくんのか、ご丁寧なことだな」
と、アイザックも背中の弓幹を取り出した。
「待ってアイザック卿、みんなも」
「カレン、罠かもしれない」
カレンはかぶりを大きく振る。
「違います!」
「なぜわかるんだ」
「あなたも聞いたでしょう?ヴァン・ドレイクはあの子を助けたお礼を私に言ったのよ?なのになぜまたその子を使って私達を罠にはめるの?」
「……」
ジェラルドはカレンの目を見つめる。
ジェラルドの目は、警戒?猜疑心?判断しかねている、という色合いだ。
カレンはオーランドから下りた。
「私が行ってきます」
「ダメだ」
おそらく埒があかない。
カレンはジェラルドを無視して、スタスタとナナカマドの大木へ向かった。
「カレン!」
ジェラルドも急ぎ下馬すると、「弓は構えるな」と皆に言い、カレンを追いかける。
少年へとあと僅かな距離になった時「あんただけだよ!ヴェガはダメだ!」と少年が叫んだ。
カレンは立ち止まり、後ろのジェラルドを振り返る。
ジェラルドにも少年の声は聞こえたはずだ。
「お願い、ジェラルド」
ジェラルドは苦々しい顔をしたが、短いため息を吐くと、コクリと頷いた。
ありがとうございます、ジェラルド…
カレンは心で言うと、ゆっくりと少年に近づいた。
少年からは警戒は感じられない。
ごく近くまで行くと、カレンは少年の背丈に合わせてしゃがむ。
少年はカレンの瞳を見つめた。
カレンも、少年の金の瞳を見つめる。
…ヴァン・ドレイクと同じ、狼の金の瞳。
「こんな所まで来て、どうしたの?」
先にカレンが話しかけた。
少年は、少しモジモジとしてカレンから視線をそらした。
「…とーちゃんが、ヴェガのコズミにちゃんと謝れって、、、」
とーちゃん?って、ヴァン・ドレイクのことよね?
カレンはヴァン・ドレイクと『とーちゃん』が結び付かないが、確かにこの子の父はあの尊大な男なのだ。
改めて近くで見ると、金の瞳以外…顔立ちもよく似ている。
「それでわざわざ待ってくれていたの?」
「…ウン」
「そう…ありがとう」
「…コレ、やる」
少年は腰に下げた皮袋から、更に小さな皮の巾着を取り出し、カレンに押し付けた。
「?」
カレンは受け取り、中を見ると…
「胡桃。俺らが食べるのは、あいつらのよりウマいから」
いくつかの、綺麗に洗ってある胡桃が入っている。
『あいつら』とは、胡桃拾いをしていた少年達のことだろう。
「まあ!ありがとう。大切にいただくわね」
少年はカレンの笑顔を見て、少し顔を赤らめた。
「それと…コレ」
続いて少年は、毛皮を羽織った懐から、なにやら毛にまみれた小さなものを取り出した。
「…!」
カレンは息を飲んだ。
毛にまみれたそれは、モゾモゾと動くと、まだ立たない耳の付いた小さな顔を現した。
「ま…あ…!」
少年は「ん」と言い、カレンの手にそれを渡した。
「それ、ティドの子ども。俺のにしようかと思ったけど、とーちゃんがコズミの娘にやれって言うから」
ふわりと柔らかな、狼犬の子犬。
カシャ・タキ達のみが飼っているという、一族の証のような存在だ。
「いいの?あなたの子犬はいるの?」
「他にもいるし、また別のも生まれる」
「アンジェリーナが喜ぶわ…ありがとう。ちゃんと育てるわね。お父様にもよろしくね」
「ウン…あんたの娘、アンジェリーナっていうんだ」
「そう。今年で3つなの。とても活発だから、この子はいい遊び相手になるわ」
少年は「ふーん」と言うと、カレンの背負う弓幹へと視線を移した。
「この前も思ったけど、ソレ、俺らのと同じだ」
カレンは少年の視線の先を追う。
「これ?この弓?」
エルメ卿にもらった弓だ。
「ウン。ほら」と少年はカレンに背中を向け、自らの背に背負った弓を見せた。
本当だ。形も彫られた模様も、驚くほどよく似ている。
何故なのかはカレンにはわからない。
「このこと、とーちゃんに言ったら、とーちゃんあんたに会うって。ティドを連れて会いに行った」
「そうだったの…」
その時、遠くからピーーーという、笛のような甲高い音がした。
少年がハッとする。
「俺、もう帰るよ!そいつにはヤギの乳と潰したイノシシ肉をやって」
言いながら、少年は山の方へとあっという間に姿を消した。
まるで疾風だわ…。
カレンは立ち上がった。
「終わった?」
ジェラルドが後方から声を掛ける。
「ええ」
カレンはジェラルドの方へ振り返ると、極上の笑みを見せた。
「私達、どうやらカシャ・タキの遠い親戚になったみたいです」
カレンの言葉の意味がわからず、ジェラルドは返事をしかねたが、その胸元に抱く狼犬の子犬を見ると、目を瞠いた。
「まさか…それをあなたに?」
ジェラルドはカレンに近寄った。
「正確にはアンジェリーナに、だそうです」
ジェラルドはカレンの胸元から、小さな狼犬をそっと抱き上げた。
まだほんの子犬だが、その小さな金の瞳でジェラルドを見つめる。
「私はヤツらの犬には唸られた記憶しかない。しかしコイツは…なんとも可愛げがあるな。アンジェリーナが気に入るかはわからないが…」
ジェラルドの大きな手にすっぽりと収まった子犬は、キョトンとしている。
「ふふ…きっと気に入ります。どんなお土産よりも、きっと」
カレンとジェラルドは微笑み合った。
後にジェラルドは、アンジェリーナに“ヴィト”と名付けられたその狼犬のことを、「血判状などより余程意味がある」と言ったという。
カレンは来た道を通った時とは全く違う、晴れ晴れとした気持ちで、ダヴィネス城への帰路を急いだ。