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辺境の瞳~南部へ北部へ~  作者: 鵜居川みさこ
14/20

14. 北部へ~その5~遭遇(下)

 カシャ・タキ少年は、驚くべき早さと身のこなしで枝から枝へと飛び移って行く。


 カレンは上を見ながら、そして枝葉や足元の木の根、窪みにも気を取られながら、なんとかカシャ・タキ少年を見失わないように追う。


 胡桃拾い少年は、さすがに山道に慣れているだけあり、カレンの少し先を走る。


 と、ドスンッと鈍い音が前方から聞こえたかと思うと、次にバサリと大量の枯れ葉を動かした様な音がした。


「あー!引っ掛かった!」


 胡桃拾い少年の声だ。

 立ち止まっている。


 カレンは息を切らせて、胡桃拾い少年に追い付き、目の前の光景を見て目を見開いた。


 そこには、猪や鹿、もしくは野鳩やキジを傷つけないための仕掛け網に掛かり、木の枝に吊るされた…カシャ・タキ少年がいた。


 網の中で手足をバタバタとさせ、もがいている。


「ははっ、俺らをバカにするからだ!いい気味さっ」

 胡桃拾い少年は、鬼の首を取ったかのように笑う。


 カシャ・タキ少年は、一層の鋭い目付きで胡桃拾い少年を睨め付けた。


 …金の瞳!…


 カレンは、その狼のような瞳に釘付けになる。


 胡桃拾い少年は、ソロリとカシャ・タキ少年に近づこうとした。

 その時、


「近づくな!!」


 背後から、ノイエの怒声が飛んできた。


 振り返ると、ノイエ、ネイサン、そしてやはり弓を構えたショーティがいる。


「坊主、お前はこのまままっすぐ帰れ!」

「え…でも」

「いいから。相棒が待ってるぞ」


 ノイエの迫力に押されたのか、胡桃拾い少年は、チラリとカシャ・タキ少年を見ると、もと来た道を帰っていった。


「レディ、我らも帰りましょう」

 ネイサンが唖然としたカレンへ声を掛ける。


「…この子は?どうなるのですか?」

 カレンはノイエに問いただす。


「何もしません。このまま放っておきます」


「え?」


「…恐らく、間もなくカシャ・タキの仲間が現れるでしょう。いや、もう見張られているかもしれない。自分が木から落ちて罠にかかったんだ。下手な手出しは無用です」


「でも…」


 カシャ・タキ少年は悪態を付きながら、なおももがいている。


「このままにしてはおけないわ。網は村の者が仕掛けたものでしょうし」

 言うが早いか、カレンはブーツの中から短剣を取り出した。


 ノイエは驚きのあまり大きく目を見開いた。「奥様!危険です!」


「レディ!」

 ネイサンは思わずカレンの手を掴んだ。

「失礼しますレディ、お止めください」


「離しなさい、ネイサン」

 カレンは毅然と命じ、ネイサンをじっと見る。

「ジェラルドには私が説明します…私を信じて、お願い」


 ネイサンは、このように毅然と命じるカレンは初めてだった。

 その迫力は間違いなく領主夫人のそれだ。

「……」


「ありがとう、ネイサン」

 腕を離したネイサンに、カレンは静かに礼を述べた。


「なぜ離すんです!」

 弓を構えたままのショーティがネイサンを責める。


 ネイサンは黙ってショーティの元へ行くと、手で弓を下ろした。

「…レディに従え」


 ノイエは黙ったまま、様子を見ている。


 カレンはカシャ・タキ少年の側に行くと、ゆっくりとひざまづいた。


「今から、この短剣で網を切ります。だから少しの間、動かないでくれる?」


「οεθιι!φёлоо!!」

 カシャ・タキ少年はカレンに噛みつきそうな勢いでもがきながら、部族の言葉で悪態を付く。


 カレンは少し顔を寄せて、少年の金の瞳をじっと見つめた。

「言葉、わかるわよね?あなたを助けたいの」


「………」

 少年は、カレンの薄碧の瞳を見つめる。


 と、少年はもがくのを止め、大人しくなった。


「ありがとう」

 カレンは少年に微笑むと、短剣で網を切り始めた。


 しばらくの間、カレンは作業に集中し、少年はじっとカレンを見つめる。


 護衛の3人は微動だにせず、二人を見守る。


 ようやく大きめの穴が開いた思ったとたん、少年はスルリと器用に穴から脱出した。


「! レディ、危ない!!」

 ネイサンが声を掛けた時はすでに遅かった。


 少年は手首に仕込んだ鋭く小さな刃物で、カレンの目の前の空を切ったかと思ったが、刃物はカレンの髪の毛に当たり、ハラリとダークブラウンの一筋が地面に落ちた。


 3人の護衛に更なる緊張が走ったが、何かできる間もなく、少年は森の奥へと姿を消した。


 ・


「そんなことが…!」

 さすがのローレンスも驚きを隠し得ない。


 広い会議室に、カレンはいた。

 山歩きから帰って至急報告したいことがあると無理を言い、ジェラルドとローレンスに、ネイサンに約束したとおり話をする。


 カレンの背後には、静かに怒気を放つ領主を前に緊張も露な、ネイサンとノイエ、ショーティが控える。


「それで…怪我はないんだな?」


 黙って話を聞いていたジェラルドが、腕組みをしたままカレンに問う。

 声は…当然ながらかなり低く、深い怒りを感じさせた。


「…はい。すべて私の判断です。3人に責はありません」


 カレンの顔にかかる髪は、一筋だけ頬あたりで途切れ、ピヨンと跳ねている。


「…………」


 ジェラルドはカレンの俯いた顔をじっと見つめる。


「…会議が控えている。この話はまた後だ」


「…はい」


 カレンは会議室から退出した。


 ・


 実にそこから3日間、カレンとジェラルドはほぼ会話らしい会話をせず、寝室も別にしていた。


 カレンは気まずさを通り越して、もはやこれは夫婦の危機では…と疑念が湧いた。と言うのも、ジェラルドの方からこのような形で故意に距離を取られたのは、初めてと言っていいからだ。


 しかし、カシャ・タキ少年との出来事については、悪いことをしたとは思っていない。いや、正しくは思いたくない。

 相手がカシャ・タキであろうとなかろうと、同じ事が起こったなら、カレンは同じことをしたとハッキリ言える。


 だがもしこの出来事が北部の政治的な均衡を犯すのならば、それはカレンの責任と言える。

 領主夫人としてはあるまじき行為だ。


 さすがのカレンも3日間は城に閉じこもって自主謹慎をしたが、ジェラルドはおろか、ローレンスからも何も問われなかった。


 ・


 真夜中、一段と寒さが増している。

 今夜は初雪が舞うかもしれないと、夕方窓から空を見たキャロルが言っていた。


 カレンはまんじりともせずに寝具にくるまる。


 暖炉の火がパチパチとはぜる音だけが部屋に響く。


 …耐えられないわ


 ガバッと起き上がった。

「! 寒いっ!」


 キャロルに寝具をもう1枚頼もうかしら…でも…


 カレンはブンブンと頭を振る。

 眠れない訳はハッキリしている。


 寝着にガウンを羽織り、更にマントを羽織ると外履きに足を入れた。


 ソロリと扉から廊下に出る。

 人気はなく、シンとしている。


 ジェラルドは、恐らくまだ部屋には戻っていない。

 ローレンス達とお酒を飲んでいるのかもしれない。


 北部人は寒さを紛らわすために、とてもアルコール度の高いお酒を飲むという。

 過ぎれば毒だが、即座に体を温めるにはもってこいの方法だ。


 ローレンス卿も相当お酒が強いと聞いている。

 お酒を酌み交わしながらの積もる話は尽きないだろう。

 だがもしかすると、今回のカシャ・タキ少年との遭遇にまつわることで、何か揉めているのかも知れない。


 カレンはあれこれと思考を巡らせる。


 でも、私は何も聞かれず知らされず、完全に蚊帳の外…

 私も飲みたい気分だわ…


 カレンは静まり返った廊下を歩き、階下へと階段を下りた。

 誰にも会わない。

 そのまま一階から地下へ下り、厨房らしき所を覗くと、明日の仕込みだろうか、料理人とおぼしき男性が鍋に向かって座り、その暖炉の灯りで熱心に本を読んでいる。


「あの…」

 カレンがおずおずと声を掛けると、料理人はバッと振り返った。


「あ!これは…領主様の奥様?ですか?」

 存外に若い料理人だ。カレンを見て驚いている。


「え、ええ。仕込み中にごめんなさい」


「いえいえ、鍋の番をしているだけで…何かご入り用ですか?キャロルはもう寝てますか…」


「ええ。もう遅いので…あの、寒くて寝付けなくて…何か、お酒をいただけますか?」


 料理人は、ああ!と合点がいったようだ。

「ホットワインでもお作りしましょうか」


 いかにもなお酒を勧められるが、カレンはホットワインという気分ではない。


「…ホットワインもいいけれど、」

 と、声を低める。

「私はとてもお酒が強いのです。北部の男性が飲むという強いお酒を飲んでみたくて…」


 料理人はカレンの言葉に一心キョトンとするが、次の瞬間にニマリと微笑んだ。

「とっておきがあります!」


 と、いくつかある戸棚のひとつを開け、中を探り始めた。


「コレ、どうぞお持ちください」

 と、調理台にドスンと透明の液体の入った瓶と小さなグラスを置いた。


「これは?」


「北部城塞の特産品です。かなり度が高いですが…すぐに体は温まりますよ」

 料理人はニコニコとカレンへ勧める。


 話のわかる料理人で助かった。


 カレンはボトルとグラスを受け取ると、「最初は舐めるくらいでお試しください」という、料理人の声を背に厨房を後にした。


 さてと…とカレンは階段を1階まで上った所で人の気配を感じ、とっさに陰に隠れた。


「…さすが、ローレンス卿は強いな」

「アイザック卿もなかなかですよ」

「…ったく、お前は弱すぎだゾ」

「明日の鍛練のことを考えるとなかなか…それにここの酒は強すぎます」


 アイザック卿と…ウォルター副官?


 カレンは息を潜めたまま、声の主を想像する。


「まぁ、今はジェラルドがあんなだからさ。俺が頑張っちまうワケよ」

「…ジェラルド様、あまり飲まれてませんでしたが…静かでしたね。私はあんなジェラルド様は初めて見ました」

「ヤツがあんな風に落ち込む理由はただひとつだ」

「…カレン様ですか」


 カレンはドキリとする。


「ジェラルドも頑固だけど、姫様も相当だからな。でもまぁ最後はジェラルドが折れる。賭けてもいいぜ」

「はは、結果がわかっている賭けには乗りませんよ!」

「んだよ、つまんねーなっ」


 二人が遠ざかったのを確認すると、カレンは廊下へ出た。


 ふぅ。

 気配に敏いアイザック卿がかなり飲んでいて助かった。


 カレンは部屋に戻ろうかと思ったが、足を止めた。


 今回、ジェラルドは折れないかもしれない…


 先程の二人の話から、カレンはなぜかそう感じた。

 胸がギュッと締め付けられる。


 これほど迄にカレンを避け、触れもしないジェラルドは初めてだ。

 つまり、それ程に怒りが深いということだろう。

 カレンは歩み寄り方がわからなければ、歩み寄っていいのかもわからない。


 なぜならいつもジェラルドが歩み寄ってきてくれたから…。


 俯いていると涙がこぼれそうになる。


 カレンは顔を上げ、歩みを進めた。

 いつの間にか、湖へ繋がるあの中庭へと通じるアーチ型のドアの前に来た。


 ドアを開け、中庭へと進む。


「わ…寒い!」

 キンとした冷気に包まれる。


 カレンは、白い息を吐きながら中庭の小路を進むとベンチに腰かけた。


 寒いけど、今の私の心の方が寒いわ、きっと。


 落ちそうな気持ちを紛らわせるように、カレンは料理人からもらった酒瓶の蓋を開けた。

 瓶の口に鼻を近づける。


「!」

 モワァと強いアルコールの香りとハーブのような薫りがする。


 カレンは初めての臭気に驚くが、悪くはない。

 早速飲んでみることにする。


 “最初は舐めるくらい”と料理人は言っていた。


 グラッパグラスに、ほんの少し液体を注ぐと、口に含んだ。


「!!  ゴホッゴホッ!」


 喉が焼け付くようだ。

 カレンは初めての衝撃に噎せる。


 …しかし、悪くない。

 少し落ち着くと、今度はグラスに波々と注ぐ。


 どこまでも透き通る液体。

 お酒というより、もはや毒薬のようにさえ感じる。


 カレンはふぅと呼吸を整えると、グラスの中身を一気にあおった。

 鉛のような重みが、強い刺激を伴って喉を下る。


「っ! はーーっ!」

 カレンはたまらず白い呼気を吐き出す。


 人には絶対に見せられない姿だが、カレンは半ばやけっぱちになっていた。


 続けて、2杯、3杯と重ねるうちに、体の中から温かさが沸いてきた。

 寒さが気にならない。


 次のお酒をグラスに注ぐと、ひらりと白いものがお酒に溶けた。


「?」

 カレンは空を見上げる。


 真っ暗な空から、次々と雪華が舞ってくる。


 舞い降りてくるのに吸い込まれそうな錯覚に陥る。


 カレンの目から、ポロリ…と一粒の涙が溢れた。


 私、いったい何をしてるんだろう………


 かつてジェラルドは、私はジェラルドの弱みにはなり得ない、と言ってくれた。

 でも今は...気持ちが通じ合わなければ、ダヴィネスに危険をもたらす私はジェラルドにとって単なるお荷物だ。


 カレンは上を向いたまま目を閉じるが、涙は次々ととめどなく流れる。

 冷たくなった頬に、涙がやけに温かい。


 ペロリ


「?????」


 生暖かく湿ったものがカレンの頬を舐めた。


 目を開けると、目の前に巨大な...金の目をした巨大な銀の狼…らしきものがおり、なお熱心にカレンの頬を舐める。


 !!!!!


 カレンは一瞬、ついに酔っぱらって幻覚を見たかと頭をかすめたが、狼の舌の感触はやけに生々しい。


 巨大な狼は今やベンチに座るカレンの膝に手を置き、カレンは驚きすぎて身じろぎすらできない状態で狼に顔中を舐め回される。


「クックック.......」


 男の笑い声で、カレンはハッと我に返った。


「ティド、そこらで許してやれ」

 男の声に狼はピクリと反応するが、カレンの傍からは離れようとしない。


「ティド」

 男の強い声で、カレンの膝から手をどけた狼は、クゥーンと犬のように喉を鳴らすと、さも惜しそうにカレンから離れて、フサフサの尻尾を揺らしながら声のする方へ行く。


 雪の舞う中庭の、白樺の影から声の主はゆっくりと姿を現す。


 カレンは目を瞠った。


 そこには、まるで足元の狼のような長い銀髪を風雪になびかせ、白テンの見事な毛皮を着た、長身の男が立っていた。

 その瞳は、暗闇に浮かぶ月のような...金色だ。

 そして、ボリュームのある毛皮に隠れてはいるが、男の左腕が無いのは明らかだった。


「...ヴァン・ドレイク?...」

 カレンは思わず呟いた。


「…いかにも」

 男は金の瞳を鋭く輝かせ、カレンを見つめた。

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