11. 北部へ~その2~矢文の出迎え
平原~林~丘~谷あい~…
北部へ近づくにつれ、荒涼とした景色に移り変わり、気温が急激に低下する。
カレンはマントを目深にかぶり、遠目には細身の騎士にしか見えない出で立ちだ。
ダヴィネス城を出て2日間、数時間の睡眠と馬の休憩を除き、ほぼ馬上で時を過ごす。
今は、最後の仮眠を交代で取っていた。
周りには常に複数人の騎士がおり、さも自然を装ってカレンを護衛する。
「寒くないですか?カレン様」
焚き火の側で、毛皮の敷物の上に寝転がるカレンを気遣い、ネイサンが声を掛ける。
「ありがとうネイサン。焚き火が近いから大丈夫よ」
しかし、かなり底冷えがするのでなかなか寝付けない。
と、ジェラルドが側に来た。
「ネイサン、済まないが私も仮眠を取る。頼んだぞ」
言うなり、寝転ぶとカレンを背中から抱き締めた。
ふわりと暖かさに包まれる。
「…ジェラルド…」
「しっ。今眠らないと後がキツい。おやすみ、カレン」
チュッと後ろから頬に口づけた。
「…はい、おやすみなさい」
カレンの体にジワジワとジェラルドの体温が移り、カレンは安堵とともに、いつの間にか眠りについた。
カレンの規則正しい寝息を確認すると、ジェラルドも目を閉じた。
…ヴァン・ドレイク…
ジェラルドは目を閉じたまま、カシャ・タキの棟梁のことを苦々しく考えた。
北部において、もっとも歴史がありそしてもっとも強く誇り高き一族、カシャ・タキ。
その現棟梁のヴァン・ドレイクは、ジェラルドの天敵とも言えた。
ヤツに最後に会ったのは、辺境伯を継ぎ数年経った頃…北部の山合だった。
豪雪に見舞われた行軍の最中、互いの捕虜の交換の場だ。
ダヴィネス軍にとって圧倒的に不利な条件下、ジェラルドとヴァン・ドレイクは対峙した。
背後には互いの部下が弓を構えている。
しかし、数年前の血判状の約束があり、ダヴィネス軍から攻撃を仕掛けることはできない。
「ヴェガ・ダヴィネスよ…我らに斥候とは…お前もまだまだ手ぬるいな」
“ヴェガ・ダヴィネス”
ダヴィネスの獣…これは北部の小部族間におけるジェラルドの呼び名だ。
ヴァン・ドレイクはジェラルドより数年の後に棟梁を継ぎ、その実力は前棟梁を凌ぐと言われていた。
凍った風雪に靡く銀の長髪と鋭い金の瞳を持つ姿は、遠く狼を始祖とするカシャ・タキの象徴と崇められていた。
しかしその左腕は、ランドールの仕掛けた戦いで失っている。
血判状の場には、血を滲ませた包帯を巻いたヴァン・ドレイクも同席しており、血判状にはジェラルドとヴァン・ドレイク…当時の互いの跡取り…の血でもって約束が交わされたのだ。
ヴァン・ドレイクの背後では、数頭の巨大な狼犬が唸りを立てる。
「お前の部下も時にやらかすことは記憶に新しい」
ジェラルドが応じる。
捕虜のカシャ・タキの間者は、木から落ちた所を兵士に捕まった。
ジェラルドの合図でカシャ・タキの間者は連れて来られた。手枷をされてはいるが大した怪我はなく、周りのダヴィネス軍を睨み付けている。
「フッ、しかしお前は手出しはできんぞ。無念だな…それ、荷物を返そう」
ヴァン・ドレイクは顎で捕虜を連れて来るよう合図をした。
「!!」
ダヴィネス軍は全員息を飲む。
カシャ・タキの兵士に連れられて来たのは、両手を切られたダヴィネス北部の兵士だった。
顔色はなく、もはや虫の息だ。
ジェラルドはヴァン・ドレイクを睨み付ける。
「おっとヴェガよ、あまり強い気を放つな、犬達が興奮する」
ヴァン・ドレイクは狼犬を撫でながら、ゾッとするような冷たい笑みを浮かべる。
「ジェラルド!射弓を命じろ!!」
背後で弓を構えるアイザックが叫ぶ。
「黙れザック!!」
同じく弓を構えるフリードがアイザックを制した。
「せいぜい後悔するといい…ヴェガ、いつかお前の最も大切なものを奪ってやる」
ヴァン・ドレイクは金の瞳でジェラルドをひと睨みすると、黒斑点の入った白テンのたっぷりとした毛皮のマントを翻し、雪深い森へと消えるように、その場を去った。
…最も大切なもの…
ジェラルドは、腕の中の小さな温もりをしっかりと抱き直した。
・
北部へと向かう最後の1日。
馬を走らせっぱなしの強行軍だ。
森の中の小川の側で馬を休め、一行はしばしの小休憩を取っている。
カレンは簡易のカップから、水をコクコクと飲んだ。
冷たくて美味しい。
疲れはさほどなく、北部の冷涼な空気が気持ちいい。
「カレン、大丈夫か」
ジェラルドがカレンの頬に指をなぞらせ、隣に座った。
「はい。問題ないです」
カレンの騎士のような答え方にジェラルドは苦笑しながら、カレンのフードを手ずから深く被り直させる。
「あと少しで北部領内へ入る。ローレンスが首を長くして待っているぞ」
「はい」
カレンは笑顔で答え…と、ジェラルドとアイザック、周りの騎士達が一斉にハッとする。
ジェラルドは即座にカレンを抱え込み、そのままバタリと草地に倒れ込んだ。
と、シュンッとカレンの頭のすぐ側の地面に、何かが刺さる。
カレンはジェラルドに抱えれたまま、一体何が起きたのかわからない。
「カレン!怪我は?どこも痛くないか?!」
カレンの真上から、焦った真剣な顔のジェラルドが問う。
カレンはコクコクと頷きだけで答えた。
何が起きたかわからず、まだ胸の動悸は収まらないが、どこも怪我はしていない。
ジェラルドはふーっと大きく息を吐いた。
「ジェラルド!姫様!!」
アイザックが飛んできた。
第5部隊の射手達が、森に向けて弓を構えている。
カレンは咄嗟に起き上がろうとしたが、先ほど刺さった何かが、カレンのフードを貫いて地面に刺さっており、ツンッと頭を引っ張られた。
「待ってカレン」
ジェラルドは、地面に刺さったものを抜いた。
それは特徴のある羽の矢だった。
「……」
一際険しい顔で、矢を見ている。
「やっぱあったか、お出迎えが」
アイザックも厳しい顔だが、やれやれと呆れているようだ。
「とっくに気配はないだろ、深追いすんなよ」
と、射手隊へ指示する。
「なんだ?ラブレター付きか?」
ジェラルドは矢羽の元へくくりつけられた紙片をほどくと、中を改める。
とたんにジェラルドの眉間に皺が寄り、「…んだと?」と、怒気を露にした。
深緑の瞳がメラメラと暗く揺らいでいる。
カレンは取り急ぎ起き上がる。
フードには穴が開いている。
「…“コズミ”って、なんだ?」
ジェラルドの横から、紙片を見たアイザックが呟く。
「古いカシャ・タキの言葉だ」
言うなり、ジェラルドはクシャリと紙片を握り潰した。
「ふざけたことを…!!」
ジェラルドは勢い良く立ち上がった。
カレンはジェラルドの突然の激しい怒りの理由がわからず、座ったままポカンとする。
「…ジェラルド、一体何が…?」
カレンの言葉に、ジェラルドはハッと我に帰り、再びひざまづいた。
「すまないカレン。急ぎここを離れる。準備をして」
と、カレンを立ち上がらせた。
「ジェラルド様、すでに気配はありません」
見回った騎士がジェラルドに報告する。
「…ヤツらは逃げ足はいつも速い。我らも直ぐに出立だ!」
「はっ」
皆、緊張を張り巡らせている。
カレンはアイザックに付き添われ、ネイサンが手綱を引くオーランドへと近づいた。
「ねぇアイザック卿、一体何が起こったのですか?」
「んー、ジェラルドがなんも言わねぇからなぁ…」
「でも…私が狙われたんですよね?」
それくらいはカレンにもわかる。
アイザックは短くため息を吐く。
「北部視察の時は、いっつもお出迎えがあるんだよ、弓矢で」
「まさか…カシャ・タキ?ですか?」
アイザックは口をへの字に曲げて頷く。
「気をつけろー、見張ってるゾーってな…でもさっきのは、ちとあからさまにジェラルドを煽ったな…」
さ、騎乗しな、とカレンを促す。
カレンはオーランドに騎乗した。
「あの紙片には、何が書いてあったのですか?」
「ザック急げ!ネイサンもだ!」
ジェラルドがスヴァジルに騎乗しながらアイザックに呼び掛ける。
「ごめんな姫様、俺からは言えねーよ、ジェラルドあんなだし」
アイザックは、少し申し訳なさそうに言い、北部城塞まであと少しだからな!と、カレンとオーランドから離れた。
一行は、スピードを速め馬を走らせる。
確かに、こんなに余裕の無さそうなジェラルドは珍しい。
カレンはすぐ前を走るジェラルドの広い背中を見つめる。
今までもだったが、今はよりカレンを庇う形で隊が組まれている。
確かアイザック卿は『コズミ』と言っていた。…ジェラルド、一体何があったの…?
カレンは不安な気持ちで馬を走らせた。