一矢報いちゃおってこと
「あ、やっと来たー。エバちゃんこっちこっち!」
翌日。Cafe・Faustの扉を開けるなり、アタシは私服姿のリリに声を掛けられた。リリの私服は淡いピンク色のゴスロリチックな服装で、普段のイメージ通りいわゆる地雷系と称するのが相応しい服装。対するアタシの服装はというと普段とあまり変わらずシャツにロングカーディガン。せっかくの休日なんだし、もう少し何かお洒落とかしてくれば良かったかななんて思った。
「よう、来たかエバ」
「アナタそれ、何飲んでるの?」
昨日とはまた違った柄シャツを着ているベルゼブブのグラスに注がれたオレンジ色の飲み物を見て言う。どこか甘い香りが漂うそれは、昼間のカフェということもあって酒ということは考えにくかった。
「コレか? メロンジュース」
「メロンジュース!?」
「……ンだよ」
「……いや、別に」
ベルゼブブのイカつい見た目からまさかメロンジュースという単語が飛び出てくるとは思わず、つい反射的に聞き返してしまった。派手な色の長髪とサングラスの柄シャツ男からメロンジュースなんて可愛らしい単語が出てくるとは思わないだろう。アタシは何だかおかしくって笑いだしてしまいそうなのを堪えてリリの隣の席に着いた。
「ようこそエバ・ヘヴンラック。注文は?」
「あ、メフィストフェレス……。じゃあアメリカンをお願いするわ」
「承知した」
注文を確認してすぐに戻っていくメフィストフェレスを見ながら、相変わらず顔色が悪いなと思う。慣れた手つきで手早くコーヒー豆を挽くメフィストフェレスを眺めていると、「じゃ、集まったし作戦会議始めよー!」というリリの声が聞こえてアタシは卓上に視線を戻した。
「第一回! エバちゃんの修行がてらリリの恨みを晴らそう作戦〜〜!! いえ〜い!」
拍手をしながら言うリリに、アタシは「待って、恨みを晴らすって何?」と問う。リリは「あれ? 言ってなかったっけ?」と首を傾げた。
「まァ、ンなことだろうと思ったわ」
「え、ベルゼブブは分かってるの?」
アタシが訊くとベルゼブブは「まァな。あのときブチギレたリリを止めたのは俺だからよォ」とメロンジュースをストローで啜りながら答える。ベルゼブブが続けた。
「一つ前のエバを殺したのがアスモデウス。そうだろ、リリ」
「そ。だからエバちゃんのレベルアップがてら一矢報いちゃおってこと」
アタシは何も憶えてないが、どうやら一つ前の前世でアタシはアスモデウスに殺されているらしい。アタシにとっては、アタシ自身の仇討ちでもあるわけか。何だか複雑な気持ちだ。
「ちなみにそのとき、アタシはどうやって殺されたの?」
アタシの問いにリリが「アスモデウスの『破壊』の権能だね」と答える。リリが続けた。
「アスモデウスの破壊の権能は紐解いていくと『熱』と『怪力』の二つを合わせたもの。触れただけで地を揺るがし、ただそこにあるだけで蒸気を発するほどに大気を熱する。でも持続性は全然無くて、一撃必殺って感じかなー。エバちゃんが殺られたのは、その一撃。アスモデウスとの戦闘中に急に暑くなったり、アスモデウスが拳を地面に撃ち込んだらすぐに離れてね」
「……そうなると、何が起こるの?」
「水蒸気爆発っていうのかな。地面に拳を沈めて無理矢理ばーんっ! ってさせてたよ。前のエバちゃんはそれに巻き込まれて死んだ」
水蒸気爆発とは、熱せられた水蒸気に更に熱が加わり、水蒸気に含まれる水素の体積が急激な膨張をすることによって起こる爆発である。簡単な例を挙げるとすれば、飲食店などで油が燃えて炎の上がった鍋を消火しようと水をかけてしまい、爆ぜて火事になるなどといった例がそれに当たる。リリの説明を聞く限りアスモデウスの権能によるそれは、高熱を帯びた拳を地中に撃ち込むことで地中の空気を熱して水蒸気を発生させ、更にそれを熱して圧力を高め、逃げ場を失った水蒸気が膨張し爆発を起こすというものだろう。
アタシは「それを封じる方法は?」とリリに問うた。リリが「そこでバブちゃんの権能の出番」と答える。
「アスモデウスは腕が何本もあるんだけど、その腕の一本いっぽんに魂の欠片があるの。だからそれをバブちゃんの権能『暴食』で食い潰してく」
「暴食でアイツそのものの魂を噛み砕いたら駄目なのか?」
ベルゼブブの問いにリリは「バブちゃん本人ならそれが出来るかもだけど、契約者じゃあそこまで細かい操作って難しくない? 契約者が扱える権能って、基本的に悪魔本人の権能の下位互換じゃん」と答えた。
「なら俺がやったほうが早ェ」
「それじゃあエバちゃんの修行にならないでしょー。今回のアスモデウスぶっ飛ばそう作戦で、エバちゃんには強い悪魔との戦い方と心構えを学んでほしいの」
「そもそも、アスモデウスの野郎が今どこにいるのか見当はついてンのかよ?」
ベルゼブブが訊くと、リリはスマホを取り出して「えっとねー」と操作する。少しして「これこれ」とアタシたちにスマホの画面を見せてきた。そこに表示されていたのは、新宿区の歌舞伎町のとあるホストクラブの従業員一覧表であった。
「この代表取締役って書いてあるとこの写真見て。これアスモデウスじゃない?」
ベルゼブブは写真をじっと見て「あー、コレはそうだな」と納得する。「何で写真見ただけで分かるのよ?」とアタシが問うと、ベルゼブブが写真の男の首元を指さして言った。
「この傷。コイツぁ、ソロモン王と殺りあってアスモデウスが首を落とされたときの傷だ。アイツがどんなに上手く人間に化けても、この傷だけは消すことが出来ない」
見ると、確かに男の写真の首元には十字が連なったような傷痕がある。一見すると優しい面持ちの色男だが、その首の傷痕がどこか歪さを奏でていた。
「エバ・ヘヴンラック。注文のアメリカンコーヒー、お待たせした」
「ありがとうメフィストフェレス」
「メフィストで構わない。……私も『エバ』と呼んでも構わないだろうか」
メフィストがコーヒーを持ってきてくれる。アタシは飲みながら「ええ、いいわよ」と返すと、メフィストは「では以後はエバと呼ばせてもらう」と言った。
「……しかしリリス、淫魔の性質を持つお前が同行すれば、同じく淫魔の性質を持つアスモデウスに気付かれてしまうのではないか?」
「あァ、言われてみりゃそうだな。そこら辺はどうするンだ? リリ」
メフィストの質問にベルゼブブが同意する。リリはそれも検討済みという顔で「分かってるよー」と言って続けた。
「敢えてリリの匂いでアスモデウスを表に引っ張り出す。それで、リリの知り合いってことで無理矢理リリとエバちゃんとバブちゃんをアスモデウスに接客させるの。そのタイミングで結界を張って戦闘開始って感じ」
「オイ待て。俺も客として行くのか?」
ベルゼブブが驚いて声を上げた。それに対してリリは「当たり前じゃん。バブちゃんが一緒にいなきゃ誰がエバちゃんに権能の使い方教えるの? てか、変化くらいできるでしょ?」と何食わぬ顔で返す。
「おま、俺に女の姿になれッてのか?」
「出来るよね?」
「ッざけンな。嫌なこった」
「エバちゃ〜ん」
リリがアタシの方に甘えるような視線で訴えかけてくる。嫌な予感しかしない。
「な、何かしら……」
「バブちゃんのメロンジュース、奢ってあげるよねぇ?」
「え……」
メロンジュースを啜るベルゼブブを見ると、彼はすぐに目を逸らしてグラスに残るメロンジュースを飲み切った。これ、アタシが「もう一杯、奢るから飲んでいいよ」とか言ったらやりかねないなと確信し、「いいわよ」と答えた。それでアスモデウス祓除の勝率が少しでも上がるなら安いものだろう。
「オイ、エバ――」
「じゃ、よろしくねバブちゃん♡」
「ベルゼブブ、追加のメロンジュースだ。飲むといい」
「メーやん仕事が早ーい! さんきゅー」
メフィストが新しいメロンジュースを持ってくる。メロンジュースを目の前に置かれたベルゼブブは「クソッタレが……」と頭を抱えながらもメロンジュースを飲み、「……変な期待はするなよ」と言った。
「ところで、いつ行くの?」
アタシが問うと、リリとベルゼブブが一斉にこちらを見る。
「え、何よ」
「今夜じゃねェのか?」
「別日のほうがいい? エバちゃん」
「え、今夜なの?」
アタシはてっきり今日は会議だけで実行は別日だと思っていたので、急な話で驚いた。リリか言う。
「エバちゃんが今夜ダメそうなら、他の日にするけど……」
「今夜でもいいけど、一旦帰らせて。アスモデウスと戦うなら、弾丸をもっと持っていきたいわ」
今所持している腰のポーチに入っている弾丸だけでは数が心許ない。拳銃の弾倉に六発、他に予備の弾丸が十二発。これだけではアスモデウスと戦うには足りないだろうとアタシは考える。
「おっけ。じゃあ夜の二十時くらいに新宿駅前でいい?」
「分かったわ。ありがとうリリ」
「エバちゃん、せっかくだからお洒落してきてねー。あ、でもあんまり動きにくくはならない程度で」
アタシは今の自分の格好を見て「……分かったわ」と返す。確かに私服姿のリリの同行者に普段の教師としての格好のままの人間がいたら少し不自然かもしれない。何を着ていこうかなと考えながら、アタシは目線を逸らしたベルゼブブを見る。
「……ンだよ」
「いや、アナタはどんな格好で来るのかしらと」
「なんでも良いだろ別に」
「楽しみにしとくわ」
「遊びに行くわけじゃねェンだぞ。分かってンのかテメェ」
そうね、と返しながらアタシはコーヒーを飲み切った。リリのカップに目をやると、リリも丁度ホットミルクを飲み切ったところらしい。
「じゃあ、また夜に新宿で!」
「ええ、また夜に」
アタシは自分のコーヒーの代金とベルゼブブのメロンジュースの代金をまとめてテーブルに置き席を立つ。リリもホットミルクの代金をテーブルに置いて席を立った。
「ご馳走様、メフィスト。美味しかったわ」
「……また来るといい、エバ」
声色はいつもの調子と変わらないが、アタシが「美味しかった」と言った時にメフィストの口元が微笑んだように見えた。
「オイ、エバ」
リリと退店しようとしたとき、ベルゼブブに引き止められて振り返る。ベルゼブブは言葉を探すようにして数秒考え、やがて「権能の使い方は向こうで改めて詳しく言うが、豊穣の権能で死なねェ限りはどんな傷も癒やしてやれる。どんなに瀕死になろうが、全快まで仕切り直せる。だから、生き残ることを諦めるンじゃねェぞ」と言った。
「ええ、死ぬつもりなんて全く無いわ」
「……ならいい」
そう言って、彼はまたメロンジュースを啜りだした。
「じゃあ、また夜に」
「おう。また後でな」
そう軽く挨拶を交わして、アタシとリリはCafe・Faustを後にした。