アタシの魂の責任だ
「だーかーらー! リリはハンバーグだけ食べたいの! 野菜は嫌い!」
「子供みたいなこと言うんじゃ無いわよ!」
――デカラビアを祓ったあと、アタシは「夕食を共にする」というリリとの約束を履行するべく駅前のファミレスに来ていた。
「ファミレス来てまで栄養バランスがどうのこうのって、そんなこと気にする人いないよ? 怪我治してあげたんだから野菜くらい見逃してよー!」
「怪我を治してくれたのは感謝するわ。でも、それとこれとは別。せめてそのブロッコリーくらいは食べなさい」
えー、うぅ……と唸りながら、ハンバーグプレートの隅に寄せられたブロッコリーを嫌々フォークで刺すリリ。一旦は口元にそれを運ぶも、やはり躊躇って甘えるような眼差しで彼女がこちらを見てくる。
「……ねぇエバちゃん。本当に食べないと、ダメ?」
「早く食べなさい。教師として、アタシには生徒の健全な食生活を指導するという義務があるのよ」
「任務だから仕方なく教師やってるだけのくせにー。……うぅ、野菜の味がする」
「野菜だもの、当たり前でしょ」
これでは教師と生徒どころか母子だな……何やってんだアタシは。そんなことをぼんやり思いながら、リリも食べるかと思って注文した大きめのサラダを一人で食べる。
「エバちゃん、お母さんみたいなこと言うんだね」
「アナタの方がずっと歳上でしょ。創世記から生きてるんだから」
「リリは十六歳のJKだもーん」
可愛いでしょ? とでも言いたげな顔をする彼女に、アタシはため息混じりに「はいはいそうね。今のアナタは女子高生だったわね」と適当な返事をした。
「何かエバちゃん、だいぶリリへの畏れ敬いが損なわれてない? え? 大丈夫? 一応リリ、大魔女だよ?」
「今日ずっと一緒にいて、普通の女子高生らしいアナタもちゃんと悪魔なんだなと思えるアナタも見て、更にはメフィストフェレスにも会って他にもわけ分からないことばかりで、何だか畏れとかそういうのがどっか行ったわ。……疲れてるのかしら、アタシ」
「リリへの畏敬の念ってそんなものなの今の人類って? それはそれで何かショックかもー」とハンバーグを頬張りながら言うリリを見て、自分の目の前に大魔女がいるという事実に改めてため息が出た。本当、何で大魔女さまがわざわざ弱いアタシなんかをご指名なんだか。
「そういえば怪我を治してもらったり夕飯はどうするかの議論とかで聞きそびれてたけれど、あの言葉はどういう意味?」
「あの言葉って?」
口の横にソースを付けたリリが言う。アタシはペーパーナプキンで優しく口元を拭いてやりながら、「ほら、アナタが結界を解いたときの」と続けた。
「アタシに殺してほしいって、どういうこと」
祓ってほしい、ならまだ分かる。現世に来た悪魔のうち何らかの理由で地獄に戻れなくなってしまった悪魔が、祓われる苦痛を承知の上で地獄へと強制的に返してくれと祓魔師に頼みに来る例は極々稀ながら存在する。祓魔師の言う『祓う』とは、悪魔を現世から追い出し地獄へと叩き戻すことを指す。
だが彼女は確かに「殺してほしい」と言った。それは地獄への強制送還ではなく魂の『消滅』そのものを表す。地獄へと帰らせる『祓魔』と現世に留めつつ自由に行動できないように束縛する『封印』。この二つであれば聖教会に所属する現代の祓魔師でも可能だが、悪魔の魂そのものを破壊し存在を完全に消し去る『消滅』を可能とする祓魔師は、歴史上に数名しかいない。それをアタシに、しかも大魔女リリス本人がそれを望んでいる理由が分からなかった。
「言葉の通りだよ。リリはエバちゃんにこの魂を消し去ってほしいの」
「……どうして?」
「それは、どっちに対して?」
リリの言わんとすることを何となく察して、それが正しい予測か確認ついでに明確に言葉にして答える。
「どちらもよ。アナタほどの力あれば好き勝手できるでしょうに、何故わざわざ生を終わらせたがるのか。何故その執行者にアタシを選んだのか。そのどちらもよ」
アタシの言葉に彼女は少し考えて「……エバちゃんが約束してくれたから、だよ」と寂しそうに笑った。
「もしかして、それって前世のアタシのこと?」
アタシが言うと、リリは「思い出したの!?」と少し身を乗り出して目を輝かせる。相手は悪魔だと理解しつつも、――今のアタシは目の前の者の期待に応えられない。――そのことに後ろめたさを感じている自分に呆れつつ、アタシは「……いいえ、全く」と返す。口には出さないが、それでも彼女の桃色の瞳から小さな失望が窺えてアタシの中の申し訳無さがより一層強くなった。生まれた数秒の沈黙と、リリの泣き出してしまいそうなのを堪え誤魔化しているただの少女のような目に耐えきれず、アタシは言葉を捻り出す。
「でも、前世のアタシがアナタと何か約束をしたのね?」
「……うん。そうだよエバちゃん。前世って言っても紀元前より前だけど」
「えっ、あ、何そんなに前のことなの!?」
予想よりもずっと前のことで、アタシはノリツッコミくらいの勢いで言葉を返した。リリが続ける。
「まぁでも、何度転生してもずっと祓魔師やってて、何だかんだ言って毎回最後には思い出してリリのことを殺そうとしてくれるんだけどねー」
「……もしかして、アタシの魂とアナタとの繋がりってとても深かったりするのかしら」
「うん。めっちゃ繋がってる。もう幼馴染みでマブダチの姉妹くらい」
「嘘でしょ……」
「マジだよー」
この世で一番最初のアタシよ、お前は何をしたんだ。大魔女リリスと魂が深く繋がってるとか、それこそ創世記に楽園にいた何者か、リリスが楽園を追放されてから出会った大罪人くらいなものだろう。……え、アタシの前世が大罪人だったらどうしよう。それでその業が魂に刻まれていて、償いとして大魔女リリスと運命共同体とか……それなら納得が行く、かもしれない。……すごく嫌だ。悪魔を祓う祓魔師が大魔女と運命共同体とか、笑えない冗談はやめてくれ。
「ねぇ、それって本当にアタシじゃなきゃ――」
アタシじゃなきゃ駄目なの? ――そう言いかけて出かけた言葉を飲み込む。悪魔に惑わされたら駄目だ。悪魔のことを信じるな。……分かってる。分かってるよそんなこと。祓魔師が悪魔に絆されたらいけないのは分かってるつもりだ。
それでもアタシは、目の前にいる寂しさを誤魔化すようにして無理に笑う少女を突き放すことが出来なかった。彼女が言うにはアタシとリリの因縁は紀元前からずっと続いていて、最初のアタシと交わしたらしい『アタシがリリスを消滅させる』という約束をアタシが何度転生しても履行できずにいる。そのことが彼女にあんな顔をさせているのだとしたら、それはもう何千年もずっとアタシの魂に付いて回る、アタシの魂の責任だ。
「――分かったわ。まだ何も思い出せていないけれど、アタシがアナタの魂を消滅させるわ」
「え……いいの?」
リリがアタシを見る。その瞳には、僅かだが希望と喜びが宿っていた。わけの分からないことだらけだけど、やってやるよ大魔女リリス。
大魔女リリスを消滅させたとなれば、聖教会からアタシが一生働いても稼げないような莫大な報酬金が出ることだろう。そうすればアタシは一生安泰。更には一気に幹部クラスまで昇進することも想像に難くない。……それに何より、例えそれが今のアタシじゃなくとも約束を反故にするのは気に食わない。大魔女ともあろう者にあんな悲しみに暮れる少女の顔をさせるアタシの魂が許せない。だから、やってやるよ。
「約束をなぁなぁにするのは、アタシ嫌いなのよ」
「……本当、何千年経ってもエバちゃんはエバちゃんだね。そういうところも大好きだぞー♡」
リリはそう言って、指でハートマークを作って笑う。……嬉しそうに笑っちゃって。本当、この大魔女は調子が狂う。
「ま、そういうことだから、アナタを消滅させるために何が必要でアタシがどうすればそれが叶うのか、協力しなさいね。……本人に言うのも変な話かもだけれど」
「もちろん。そのためにわざわざ指名して来てもらったんだから。でもまずは、もっと強くなって貰わないとねー」
リリの言葉でデカラビアと戦ったときの自分の無力さがまた込み上げてきて、アタシは「頑張ります……」と俯いて呟いた。
「ところで、はいコレ」
リリがアタシに伝票を渡してくる。リリのハンバーグプレートを見るとあんなに嫌がっていた添え付けの野菜までも綺麗に食べ切られていて、ちゃんと食べたのは偉いなぁと思った。アタシも注文したものは全て食べ切っていたし、そろそろ帰る頃合いかと思い鞄から財布を取り出す。
「えっと……アタシの分はいくらだったかしら……」
「ん? 全部エバちゃんが払ってくれるんでしょ?」
図々しいなこの大魔女。そう思って彼女の方を見たとき、メフィストフェレスのカフェで交わした会話を思い出した。
「……あ」
「約束破るのは、嫌いなんでしょ?」
「そういえばそうだったわね」
「えへっ♪ ごち〜、エバちゃん♡」
アタシは鞄と伝票を手に、リリと一緒に会計へと赴いた。